本作における音楽の力は「超時空要塞マクロス」級である
物語の後半、ジャンゴは「とある理由」から、ナチスの晩餐会で演奏することとなる。その際にナチスに突き付けられたいくつかの注文がある。その要求とは
・スウィングの曲は全体の20%以下にすること
・ソロは5秒以内、足でリズムを取ってはいけない
・キーはメジャーで、マイナー、ブルースは禁止
・ブレイクも禁止
・食事中の音は小さく、会話の邪魔をしない
・シンコペーションは曲の5%以下
などといったもので、もう爆笑である。もちろん、ジャンゴ達がそれに従うわけがない(従わない理由もあるのだが、理由がなくとも従って無かったと思う)。最初は大人しくしていたものの、徐々にソロが長くなり、リズムは跳ね出し、スピードは加速していく。ジャンゴにとっては屈辱の極みであろう、足に巻かれた鈴を鳴らしながら、構うものかと繰り出されるのは名曲「マイナー・スウィング」である。
Reference:YouTube
この曲が演奏されるに至り、話は冒頭の敗北宣言に戻る。こんなことやられたら、冷静に判断などできない。だって感動しちゃったんだもの。
私は「音楽は世界を変える、平和をもたらす」などとは毛ほども思っていない。音楽は薬にもなれば毒にもなる。第二次世界大戦で言えば、米国だってV-ディスクを作製し、スウィングの推進力により戦争を駆動させていたのだ。ナチスだって音楽が人にもたらす影響を良く理解していた筈だ。利用する人間によって、音楽の効能は大きく変わる。
本作でのジャンゴも、音楽の力でナチスと戦う(あまり「戦う」という表現はしたくないのだが)。その力は圧倒的で、ナチス高官連中は先程の注文なぞ端から無かったかのように踊り、演奏を楽しむ。そこには血も鉄も無い。ただ音楽の素晴らしさがあるのみである。
ギターはマシンガンより軽く、無限の弾で人の心を撃つ。でも、こんなに素晴らしい音楽が戦いの道具に使われていることはとてつもなく哀しい。これまたアンビバレントなシーンである。
出典:Youtube
ところで、この「音楽の力」は「超時空要塞マクロス」シリーズで描かれるそれに通ずる。話が飛び過ぎだと思うなかれ、多様性を認めず、他の文化を(ちょっといいなと思っていても認められずに)根絶せんとするナチスの姿勢はゼントラーディのそれである。そしていくつかの「マクロス」では、人類は移民船団を送り出し、文字通り宇宙の放浪者となっている。
その船団はまさにロマのキャラバンのようなものであり、新天地を求め何代にも渡り放浪し続ける故郷のない人たちの拠り所は、つまるところ言葉や音楽に代表される「文化」であり、そう考えるとロマにとって音楽とは、生活の糧以外にも「自分たちを自分たち足らしめているもの」という側面があるように思えてならない。
また、全員がノリノリのなかでも、一人正気を保てたナチスのお偉いさんが叫ぶ「猿の音楽に惑わされるな!」という台詞も、実にマクロス的であることは強調しておきたい。
歌で救い、歌で救われるのがマクロスシリーズの基本マナーである。「永遠のジャンゴ」も結果として音楽で家族や友人を救い、ジャンゴが作曲した迫害し、虐殺されてしまったロマの人々へ捧げられた葬送曲の演奏で魂が救われる。しかもその曲を再現してみせたのはニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズのウォーレン・エリスである。もう無理、無理無理祭りである。再び完全敗北。ちなみに曲は最高。
この、構造を抜き出してしまえばかなりマクロス的な本作を、マクロスが好きすぎてかつて2万文字のコラムを書いてしまった私が客観的に観られるはずもない。
もちろん、冷静に観ることだって可能だし、時代考証だって、演技だって、カメラワークだって、いくらでも突っ込める部分はある。同じくらい賞賛したい部分だってまだまだある。ただ、ジャンゴに関しては詳細な記録が殆ど残っていないので、ある意味ではやりたい放題であるが。ああ、もう、こんなことを書いていたら一向に終わらない。
とにかく、音楽の力を感じる映画である。近年の音楽映画では余り見られなかった音楽の使われ方をした映画でもある。そして何より、ジャンゴ・ラインハルトを初めて真正面から描き、ともすれば歴史の影に隠れがちなロマへの迫害を知らしめてくれた本作は、多くの方に、特に今だからこそ観られるべき作品であろう。