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「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」はジェームズ・ボンドの人間宣言かもしれない

平野陽子 平野陽子


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2020年4月公開予定から3度延期された「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」がようやく公開された。
ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンド最後の作品を、極力ネタバレしないように頑張ってカジュアルに綴ります! (公開までみんなが散々見た予告編を今一度!)

1960年代型ボンドの完成形=ピアース・ブロスナン

2005年の発表時、ダニエル・クレイグ版のジェームズ・ボンドは「NO MORE」的なアンチサイトが生まれるほど大バッシング。
それもそのはず、ジェームズ・ボンドというと、
・黒髪マッチョで高身長
・高級スーツの似合うダンディズム
・女性にモテる(手玉に取る?)イケメン

というイメージがあまりにも強かったといえる。

個人的には、その「ジェームズ・ボンド」を完成形にしたのは、ブリオーニの細身スーツがとにかく似合うピアース・ブロスナンだと思っている。
もちろん、ショーン・コネリーもロジャー・ムーアも素敵だ。ショーン・コネリーの体格や出自的にタフなブルーカラーの香りが漂っていたところに、やや年を重ねてボンド役を務めたロジャー・ムーアは「スタイリッシュさ」を纏わせた。
ティモシー・ダルトンが務めた「007/消されたライセンス」以降、契約上の問題により007シリーズとジェームズ・ボンドは5年以上の中断を余儀なくされる。ピアース・ブロスナンは、シリーズが再び息を吹き返すのにふさわしいボンド像をイメージして臨んだに違いない。

1960年代に描かれた「スタイリッシュで女性が好きで世界を股にかける諜報部員」が優美に仕上がるだけではなく、女性へのセクハラ発言をたしなめられたり、東西冷戦が終わった中での諜報部員の立ち位置の難しさなどを突き付けられる設定だ。
賛否両論はあれど、パラダイムシフトの中にある美しきオールドスクールなボンド像がピアース・ブロスナン時代と言える。


https://m.media-amazon.com/images/I/517PZ2PMFPL._AC_.jpg
出典:Amazon

ちなみに、ピアース・ブロスナンをただのイケメンで2枚目の役しかやらない人だと思ったら大間違いだ。
「マーズ・アタック!」ではサラ・ジェシカパーカーと共に犬と顔を入れ替えられるわ、「ミセス・ダウト」ではプールサイドで鍛えたボディを披露した直後、喉に食べ物を詰まらせて家政婦に変装したロビン・ウィリアムズに力業で応急手当をされるわ、イケメンなのに何かがおかしい。

007シリーズを大河ドラマ、ジェームズ・ボンドを武田信玄とか徳川家康だとして、要潤が主演を務めたら「めちゃくちゃかっこいい! だけど、他の作品だとこの人タイムスクープハンターとか謎の役柄多くない?」に近い。

クレイグ版ボンドの功績は「人臭さへの脱皮」

就任当初、大バッシングだったダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド。
息の長いシリーズもの作品が人気なイギリスを舞台にしているだけあって、「イメージの連続性」で意見が割れた点は、「どのシャーロック・ホームズが好きか」の話題とも近い。

ダニエル・クレイグは金髪でブルーの瞳、がっちり系の体格と酒場で取っ組み合いの喧嘩でもやりそうな雰囲気の無骨な表情を持ち、前任者2人とは大きくイメージが違う。

その前評判を乗り越え公開されたのが「007/カジノ・ロワイヤル」(2006)だ。イアン・フレミングによる最初の原作が元となっており、ジェームズ・ボンドが007になるまでを描いているため、「リブート」色が強くなったとファンの間では言われている。


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出典:シネマカフェ

今までのジェームズ・ボンドなら無いであろう全裸拷問シーンや、エヴァ・グリーン演じるヴェスパー・リンドに本気で恋に落ちる面含め、「こ、これは新しいタイプのジェームズ・ボンドである」と観客が認識させられたのが、この作品と言える。
ただ、スーツが話題になりがちな007だが、この時はまだピアース・ブロスナンにぴったりだったブリオーニのままだ。

クレイグ版ボンドのオリジナリティが解放されるのが「007/慰めの報酬」(2008)である。

運命の人とも言えるヴェスパーの死への復讐と組織での役割との狭間で揺れるジェームズ・ボンドは非常に人臭くなる。女性との関係も道具に過ぎない敏腕諜報部員が、1人の女性を引きずって悩むシーンと従来通り利用して終わるシーンが同居し、葛藤から本来の組織の指示とは違う行動に出て失敗もする。その一方で、同じ目的を持つ女性との共闘も行い、この作品のボンドは感情の振れ幅がとても大きい


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出典:映画.com

ダニエル・クレイグ主演の007シリーズの中では、印象の少ない本作だが、ジェームズ・ボンドに「人臭さへの脱皮」が起きるターニングポイント的な作品と言える。
今でこそクレイグ版ボンドの象徴的なトムフォードのスーツも、この時から登場する。
今回の「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」公開時にミッドタウン日比谷に展示された着用スーツを見る限り、ダニエル・クレイグの広めの肩幅と胸板から腹筋にかけての厚みをきれいに包み込んで活かした美しい仕立てだ。

タフさ、スタイリッシュさだけの存在から、「人臭さ」を纏ったジェームズ・ボンドが、自分の原点となった故郷を戦いの場所に選ぶのが「007 / スカイフォール」だ。


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出典:映画.com

上司であるMとの絆含め、美しいスコットランドの景色の中、生々しい人間ドラマとしての様相も現れる作品は興行的にも大ヒット。もう、「ダニエル・クレイグはジェームズ・ボンドにふさわしくない!」なんて誰も言わない、クレイグ版ボンドならではの面白さが定着した作品でもある。

そして、前作の「007/スペクター」へと続く。
ここで、クレイグ版ボンドにとって、もう1人の運命の人、レア・セドゥ演じるマドレーヌ・スワンとのタッグが生まれる。


https://eiga.k-img.com/images/movie/78967/gallery/sub1_large.jpg?1446022630
出典:映画.com

恋人も、追う犯罪組織のラスボスも、全てがジェームズ・ボンド自身のコアに当たる部分と密接に関わり、ボンドは否応なしに何度も自分の深い部分の感情をえぐられる体験をする。

このダニエル・クレイグ版過去4作を通じて、今まで「パーフェクトなスパイを描く映画」だった007シリーズは、「1人の人間としてのジェームズ・ボンドを描く壮大なドラマ」に変わったといえる。
そこで、コロナ禍で3回もお預けをくらった「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」につながるのだ。

ボンドガールからボンドウーマンへ

ダニエル・クレイグ版のジェームズ・ボンド全5作品で、今までと最も大きく変わったのは「女性の扱い方」だ。

ショーン・コネリー版やロジャー・ムーア版などを007シリーズでは、女性は「簡単にセクシーな男性に誘惑されてあっさり肉体関係を持ち、映えるよう印象的に殺される存在」という小道具に過ぎないことが多い。

同性としては「マフィアのボスの奥さん」とか「新人のエージェント」とか味方として深くない2番手のボンドガールが登場すると、チャーミングであればあるほど「この人デコラティブな殺され方するんでしょ」と感情移入は避けてしまう。だいたい上映時間が6~7割過ぎたあたりで死ぬ。

その演出も徐々に脱ぎ捨てていったのもこのクレイグ版ボンドの特徴といえる。
全5作品を見る限り「慰めの報酬」と「スカイフォール」までは過去作品からの流れ通りに女性は結構な死に方をする。


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出典:Daily Mail Online

特に「慰めの報酬」で出てくるジェマ・アータートン演じる新人エージェントなんて、「ゴールドフィンガー」で金粉まみれになって死んだボンドガールへのオマージュを含めた殺され方をしている。

そのため、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」でアナ・デ・アルマス演じるパロマが出て来た瞬間ちょっとだけ緊張感が走るのも本作のドキドキポイントと言える。


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出典:「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」公式サイト

ダニエル・クレイグ版になってからの15年の間に#MeTooやBLMなど「人の捉え直し」につながる大きな時代の変化が起きる中、ボンドガールそれぞれの自由意志が描かれるようになっていったと感じている。
ジェームズ・ボンドと意志を持って関わり、必ずしも肉体関係にならない「人間らしいボンドウーマン」もこの作品以降で新たな魅力を放っていくに違いない。

なんだろう……「半沢直樹」っぽい日本感

極力ネタバレしないよう、フラットにダニエル・クレイグ版最終作である「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」の良い部分について書いてきたが、1つだけもやっとしたことを書こうと思う。
今まで、007シリーズの監督は「MI6のスパイ」が主人公なだけあって、英国または英国連邦出身の映画監督が長く勤めていた。今回のアメリカ出身で日系であるキャリー・ジョージ・フクナガ監督は異例の抜擢だったといえる。
故に日本へのオマージュ的な演出も混ざっているのだが、「能面の増女の恐怖演出」「畳」「土下座」となかなかステレオタイプのジャパンイメージだ。


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出典:excite

なんだろう……「頭文字D」で運転を覚えたら公道を走れないのと同様、「半沢直樹」を見て銀行員目指したらヤバい的なちぐはぐがあるぞ……というモヤモヤが日本人として残った。
私たちの文化は、そんな潔く土下座とかしないし、大規模なシステムトラブルが起きても会議をしている。唯一(合ってる!)と思ったのは色々あった時に「遺憾の意」を表明してそうな感じだけだ。

自分達の文化が分かってもらえるよう輸出するには、「受け取り側が食べやすいように調理する(ステレオタイプ)」「今の姿を正しく伝える(アップデート)」両方が必要なのだと考えさせられた。

ダニエル・クレイグ版を見た後に、他作品を見ると味わい深いから見て欲しい

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を見た後に、ショーン・コネリー版やロジャー・ムーア版を見ると、かなり味わい深い。
クレイグ版ボンドでは、男のダンディズム体現の意味も強かったシリーズにもかかわらず、パーフェクトだった主役に「人臭さ」が加わり、ベン・ウィショー演じるQや意志を持ったボンドウーマン達といったキャラクターを通じ「今の世の中との自然な共通言語」を得た全5作だったとあらためてわかる。


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出典:映画.com

ジェームズ・ボンドの新たな捉え直しに積極的に挑み、15年もの間同じ役を安定して務めたダニエル・クレイグには「本当にお疲れ様でした」と言いたい。
15年かけて、人気シリーズの作品イメージを整理しアップデートし続けた007シリーズの次回作にも期待したくなる作品だ。


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[イラスト]清澤春香

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