さて、身勝手の最たるものとも呼べる存在がニーチェである。己の主張のためには神をも殺す男である。ドイツの哲学者F・ニーチェは、以下のように語っている。
あらゆる人間はあらゆる時代と同様に、今でもまだ奴隷と自由人とに分かれている、なぜなら、自分の一日の三分の二を自分のために持っていない者は奴隷であるから。
引用:F・ニーチェ著、池尾 健一訳(1994年)『ニーチェ全集〈5〉人間的、あまりに人間的1』ちくま学芸文庫、p.299
いきなりの奴隷宣言である。ニーチェにならえば、近代化された社会を生きるほとんどの人間は奴隷ということになる。それが悪いこととは限らない。でも、奴隷であることを捨てて初めて得られる深い思考だって、あるのだろう。
出家の際に押さえるべき最初のステップは、自己中心的になることだ。出家という行為はどこまでも自分のためのものであるべきだ。だから、出家が「身勝手である」という批判はトートロジーに過ぎない。社会を捨てる人に社会性を求める行為は、ベジタリアンになろうとする人を焼き肉に誘うようなもの、カラオケが嫌いな人を「絶対楽しいから!」とカラオケに連れ出した揚げ句、タンバリン役を押し付けるようなものである。楽しいのはお前だけである。人はそれを、原理主義と呼ぶのだ。