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清水富美加から西行法師まで。人が出家をしたくなる3つの理由

岡田麻沙 岡田麻沙


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自分のため

出家や隠遁という言葉には、何か壮大なもののために自分自身を捨てるようなイメージがつきまとう。だが本当にそうだろうか。『徒然草』の作者である兼好法師は40歳の頃に出家をしたと伝えられているが、その理由は甚だ利己的なものであった。

命長ければ恥多し。長くとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ
引用:吉田兼好『徒然草』

長生きしていると恥ずかしい目に合うことも多いから、40歳ぐらいで死ぬのが、ダサくなくていいなあ、と言っている。そう言いつつ死ねなかったので、出家したのである。めちゃくちゃ自分勝手だ

西行法師も負けてはいない。彼は、4歳の子供が泣いて縋るのを蹴り飛ばして出家した、とも伝えられるキング・オブ・自分勝手男であるが、出家の際にはこんな歌を残している。

惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな
身を捨ててこそ 身をも助けめ

「どんなに惜しんだところで、惜しみ通せるようなこの世なのかよ?」と、はなから投げやりである。「ポイズン」と聞こえてきそうな勢いである。無常観と言えば聞こえはいいが、果たしてそんな雅なもんなのか。

下の句を見てみよう。こちらはもっと正直だ。「この身を捨てて出家してはじめて、この身を助けることができるのだ」。お、おう・・・なんというか、西行、自分のことばっかりである。『この世』と『この身』を並べて詠むあたり、セカイ系の走りとも言える。すごくいい。というか、こうでなくては。出家とはそもそも、自分のためのものだ。

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