海老蔵さんと麻央さんのニュースに触れて、僕は妻に自分の父と母の最後の2年間の話をした。2年という時間が永遠の価値を持つことがある、大事なのは時間の長さではなく濃度なのだよ、というふうに。僕は今、無職で、胃の調子もよくないこともあって、自宅マンションにいる時間がただただ長くなる一方である。おのずと僕と妻、二人だけの、重苦しい空気と気まずい時間が一日を占める割合が大きくなっている。
僕は妻にこう言った。
「今、支出を抑えるべく、休日も二人でマンションにただ滞在しているだけの時間が、後々、宝物のような時間になるかもしれないよ。だからこの時間を無駄と思わず、将来への投資と思ってほしい」
妻は僕の覚悟の言葉を聞いて、感極まったように頷くと
「確かに麻央ちゃんの件は私も悲しいですし、お子さんも小さいから心配ではあります。でも、私たちに出来ることなんて祈ることくらいしかないよね。そんな便乗商法めいた御託はいいですから、朝いちばんでハロワに行って仕事を探してきてください。とりあえず仕事を見つけようとするポーズだけでいいから見せて。私の心の安定のために。私は将来の宝物より来月の生活費の方が大事なのです」
とマシンのような冷たい口調で言った。どうやら僕の評価は僕が思っているよりも下に落ちているみたいだ。
僕は、妻が以前のように僕の人権を尊重してくれるような奇跡が起きるのを信じている。
《奇跡は起こらないから奇跡なのかもしれない。それでも奇跡を信じていなければ生きていけないのは、人間が弱すぎるあまり、奇跡にすがっていないと生きていけないからなのだろうか》
僕はそのクエスチョンの答えをすでに持っていることに気づいた。根拠や理由もない奇跡を信じ、祈り続けられること。そんなことが出来るのは人間が信じ続けるという強さを持っているからできる行為なのだ。
【過去5回の「神様がボクを無職にした」はこちら】
・働かない豚はただの豚だ
・無職の人生は紙切れひとつで救えるのです
・東アジアの片隅で哀を叫んだ無職
・ソンタクとかいいから仕事をくれ
・全部、ノストラダムスのせい