10月、大阪の某映画館にて。
出口は鑑賞を終えた観客達で溢れていました。時折、すすり泣く声も聞こえてきます。 「無限列車めっちゃよかった……」「煉獄さん……」同じように涙ぐみながら、思ったのでした。
やべえ。俺だけこの中で「鬼滅の刃」まだ観てない客だ。
そう、映画鑑賞後のトイレ後、別のシアターから出てきた「鬼滅の刃 無限列車編」を観てきた皆さんの大集団に紛れてしまったのです。隣から作品のネタバレも聞こえてきて「未鑑賞だからやめてー！」と悲鳴を上げかけておりました。そんな鬼滅で泣いた皆さんにオススメしたい！
こちらの映画もボロボロ泣けますよ、と。
出典：映画.com
辻村深月の小説を原作とした映画「朝が来る」。
本作は、第93回アカデミー賞国際長編映画部門の「日本代表作品」にすでに選出されています。空前の「鬼滅の刃」ブームに負けない、とても深いメッセージ性がある素晴らしい映画です。ネタバレをだいぶ含んでいますが、ぜひ最後までご覧ください！
「なんで私がこんな目に……」 優しさ故に涙する中学生の母・ひかりの地獄
本作のヒロインは2人。登場順としては栗原佐都子を最初に紹介するべきですが、この記事ではあえて片倉ひかりから紹介・解説します。
出典：映画.com
奈良県在住のごく普通の中学2年生だったひかりは、学年の人気者である男子から告白を受けることに。「こんな好きになった女、他にないよ」と囁く彼氏との青春に幸福を感じていたひかりでしたが、交際の5ヶ月後に事態は一変します。なんと子供を妊娠してしまったのです。
「人生がダメになるぞ」「育てられるわけがない」「お腹の子どもがいなければどれだけいいか」
高校受験を前に起きた事態に、一方的な言葉をぶつける家族。ひかりの一切の意思を無視した彼らの結論は、広島にある施設で子どもを産み、特別養子縁組に出すこと。彼氏も全く会おうとしない失意の中で出産し、そのままひかりは見知らぬ夫婦に自分の息子を預けることになります。
数少ない心の支えだった我が子を手放し、奈良の実家に帰ってきたひかりを待っていたのは、親戚からのあざ笑う視線。そして想像を絶する地獄の日々でした……。
出典：映画.com
ごく普通の人生から転落していく10代の少女・ひかりを演じた蒔田彩珠は、現在18歳。「万引き家族」(`18）、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(`18）にも出演した若手女優で、撮影中にひかりが受ける苦痛を本人もダイレクトに受けていたそうです。
撮影中は本当に、ひかりでした。ひかりとして居る事を、お芝居とは感じませんでした。本当に心細いし、本当に孤独で。出逢った人たちがみんな順番にいなくなっちゃうんです。だから、それぞれの人と別れるたびに寂しかったです。 公式パンフレット・蒔田彩珠インタビューより抜粋
出典：映画.com
「なんで、私がこんな目に」 蒔田の繊細な演技の中でも、現実に耐えられず嗚咽するシーンがとても印象に残る本作。そしてその悲鳴に対するある人物の返答は「バカだからじゃねえの？」という冷笑でした。
全編を通し、ひかりの行動の軸は「他人への優しさ」です。
大好きな彼氏の好意を受け止め、苦悩する友人にそっと手を差し伸べる。しかしそんな思いやりが生んだ不幸は、全て彼女一人に襲いかかってくるのです。そして彼女に最後の絶望を与えたのが、もう一人の主人公・栗原佐都子とその夫でした。
「あなたは誰ですか？」 普通と正しい側になったもう一人の母・佐都子の拒絶
佐都子を演じるのは、永作博美。彼女の母親役といえば、井上真央主演の「八日目の蝉」（`11）が真っ先に思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
出典：Amazon.co.jp
不倫相手の子を誘拐するも、実の子のように愛してしまう女性を熱演した永作の今回の役どころは、子宝に恵まれない主婦。その原因は夫・清和（井浦新）の無精子症にありました。
出典：映画.com
「精液中に精子が全く見られない」日本人男性の約1%がなるこの状態の、苦痛を伴う治療に悩み続ける夫に、佐都子はやさしく声をかけます。もう無理しなくていい、2人だけで生きよう、と。
出典：映画.com
そんな2人が出会ったのが、特別養子縁組制度・ベビーバトン。育てられない生みの親から赤ん坊を受け取り、代わりに育てる制度に参加した2人はある子どもの親になることに。それが朝斗、ひかりが生んだ息子でした。
恋に落ちるように、と聞いた、あの表現とは少し違う。けれど、佐都子ははっきりと思った。 朝が来た、と。 終わりがない、長く暗い夜の底を歩いているような、光のないトンネルを抜けて。永遠に開けないと思っていた夜が、今、明けた。 この子はうちに、朝を運んできた。 「朝が来る」辻村深月・著（文春文庫）より抜粋
引渡しの際に対面したひかりに深く感謝し「あなたにはもう一人お母さんがいるのよ」と言い聞かせながら、朝斗を大切に育てる佐都子と清和。長いトンネルを抜けた2人に、今までの苦悩が嘘のような幸せが訪れるのでした。
そこに届いた「子供を返してほしい。でなければ噂をばらまくか、お金を請求する」という旨の電話。それに応じ対面した女に「あなたのような人は知らないし、朝斗のお母さんがこんな愚かなことをするはずない。あなたは誰ですか？」という拒絶の言葉を佐都子と清和はぶつけます。2人が別人だと思ったのも無理はないでしょう。
出典：映画.com
目の前に現れた女の正体は、地獄のような日々を経て、2人が出会った頃から大きく変わり果てたひかりだったからです。
出典：映画.com
とはいえ、多少は面影があるはずのひかりを、何故別人だと断言したのか。まず1つは、2人が「普通」側の人間になったのが大きな理由だと僕は考えています。
言葉を選ばずに書いてしまうなら、かつて子供を作れない苦悩を抱えていた2人は、世間から冷たい目を向けられる「普通でない」側の人間でした。それが朝斗を迎えた事で「普通」側になれた喜びは、とても大きかったもの。
だからこそ自分たちの脳内で数年会っていない片倉ひかりを「私たちに幸せをくれた人」と必要以上に神格化し、目の前に現れた実際のひかりをギャップもあって「私たちの幸せを奪おうとする何者か」と敵視する結果となったのです。
また、もう1つの理由として「正しい」側の人間になってしまったのも大きいかと思います。
ひかりから脅迫を受ける直前、保育園で朝斗が友達に怪我をさせたのではないか？ という疑惑の視線を佐都子たちは向けられます。しかし実際は朝斗は全くの無実であり、保育園側から謝罪を受けることに。
出典：映画.com
「この子を最後まで信じてよかった」
息子への愛と自分たちの正当性を実感した2人にとって、目の前に現れた女性を「もしかして本当に朝斗のお母さん？」と思う迷いはありませんでした。「正しい」側であると保証された夫婦は、かつて自分たちに向けられた冷たい視線を、容赦なくひかりにぶつけてしまったのです。
優しく強くまっすぐに子供を守る佐都子と清和は、確かにとても「正しい」。「八日目の蝉」で子供への愛と世間の視線に苦しむ役だった永作が、この佐都子を演じたのは観ていて不思議な感覚でした。
辻村深月の書く少し不思議な世界と、 河瀬直美の撮る温かい光の世界の交わり
「普通」「正しい」
見方によってはとても冷酷なこの2つの単語は、原作小説の文中でも何度か登場しています。
出典：Amazon.co.jp
姉も両親も、考え方がとても合理的で、正しすぎる。そこにはひかりや巧の気持ちが介入する余地なんてない気がした。
————————————————————————————————–
「意外。ひかりちゃんって、普通の子だと思ってたのに。」 普通の子、という言葉を、どう受け止めるのが正しいのかわからなかった。 しかし、不思議とその言葉自体に怒りはそこまで湧いてこなかった。自分はもう「普通」じゃないのか、と打ちひしがれるわけではまるでなく、この時、ひかりは「そうだよ」と一人、心の中で密かにこの言葉を肯定した。
「朝が来る」辻村深月・著（文春文庫）よりそれぞれ抜粋
作者である辻村深月といえば、彼女が幼少期からファンの藤子・F・不二雄の影響を受けた「SF（少し不思議）」な世界観がウリ。松坂桃李主演で映画化された「ツナグ」や本屋大賞を受賞した「かがみの孤城」など数多くの作品で、多くの読者を魅了しています。
出典：Amazon.co.jp
出典：Amazon.co.jp
昨年は敬愛する「のび太の月面探査記」の脚本を書き下ろし、街クリ映画部でも金子ゆうきさんによる記事が掲載されているのでぜひご覧ください。
さて、そんな彼女の本作における「少し不思議」な世界とはズバリ、「普通でない・正しくない」側になり追い詰められていく人間への「普通・正しい」側の眼差しではないでしょうか。小説・映画ともに佐都子側の視点から物語はスタートし「突然現れた朝斗の母を名乗る女の正体は誰か？」というミステリーとして序盤は展開しています。
今、家族の問題を考えたとき、大切なのはそこが｢自分の居場所｣と感じられるかどうかだと感じます。血のつながりがあったとしても、家族がかならずしも居場所にならないこともたくさんあります。
『朝が来る』で言えば、生みの母である中学生のひかりが育った家は、親が頭ごなしに子どものその後を決めてしまう。血のつながりがあるからこそ、親は最初から親だし、子どもは子どもという考えが強く、ひかりの言葉や意思はそこでは尊重されません。
対して、｢親になること｣を自分たちで決意した栗原家は、迎えた子ども・朝斗（あさと）と常に対話をします。血のつながりに甘えない分、相手を理解しようと、朝斗の｢居場所｣になるため言葉で話していくんです。 この｢自分で選ぶ｣という選択肢自体が与えられないからこその苦しさが現実にもたくさんあります。 「BUSINESS INSIDER」辻村深月インタビューより抜粋
同じような痛みを体験し、誰よりも理解者になれるはずだった栗原夫婦ですら、見抜くことができなかったひかりの「闇」。人は自分の物差しでしか物事を見ることができない、そんな恐ろしさを痛感させられる描写がこの作品には多数存在しています。
そんな難題にまっすぐに向き合い、苦しいだけの映画ではなく希望ある作品にしたのが「あん」(`15）「ひかり」(`18）などで知られる河瀬直美監督です。
出典：Amazon.co.jp
出典：Amazon.co.jp
里親のNPO法人を多数訪問したり、栗原家3人に実際に有明のタワマンで住まわせる「役積み」など独自の撮影をした河瀬監督。実は彼女自身も養子縁組をされた人間だったそうです。
いつの頃からか、自分の両親はどこにいるのだろう、とか、自分のルーツを探りたいという想いが生まれ、その感覚が、初期のプライベートドキュメンタリーにはあったんだと思います。こうした題材を、映画を通して描くということは、（キャリアを通して）ずっとつながってきているもの。原作小説の中には私がずっと追い求めてきたことがリアルに描かれていました。特に、朝斗の視点を、短いけれど、あえて入れている。そこに私はすごく希望を感じました。（映画にも）あれがある、と、ない、とではまったく違うと思い、辻村深月さんにはまず、そのことをお伝えしました。
自分自身、この映画をいちばん観てほしいのは誰だろうと考えると、自分を育ててくれた養母と養父。いまはもうこの世にいませんが、この人たちがいたから私はいま、ここにいる。そう言える人たちなんです。その意味では、『朝が来る』はすごく「自分ごと」でした。 公式パンフレット・河瀬直美インタビューより抜粋
自身の体験があるからこそ、2人の母の物語を丁寧に撮影できた河瀬監督。原作ではひかりの実家は栃木でしたが、自身の故郷・奈良に変更し、彼女の出産するシーンではその奈良の美しい自然を挿入しとても幻想的な映像に仕上げています。
出典：映画.com
またひかりの数少ない理解者であり、佐都子に親になる希望を与える「ベビー・バトン」代表役に「あん」で樹木希林と共演した浅田美代子をキャスティング。暗い物語に温かい日差しを差し込む重要な役目を、彼女に託しています。
最後の最後に訪れる「救い」
世界にどんなに傷つけられても、 朝は必ず来る
シングルマザーに起きた悲劇を描いた映画と聞くと「子宮に沈める」（`12）、最近Netflixでも配信開始された「マザー」(`20）などが浮かびます。
出典：映画.com
2作とも実際に起きた事件を題材にしており、普通と正しさから外れていく生き地獄を徹底的に描いたとても重い作品です。
この「朝が来る」も苦しい描写の多い映画ですが、キャストの素晴らしい演技・河瀬監督の温かい眼差しで描かれており、最後まで目を背けずに完走できる作品となっています。そして最後の最後まで見続けたあなたのために、監督はある素晴らしいプレゼントをエンドロールに用意しているのです。
上映が終わり、劇場の灯りがついて、幼いまなざしに映る「朝」を確かに見せてもらったと感じた瞬間、気づいたら、前の席に座っていた河瀬監督と抱き合い、「ありがとうございます」と呟いていた。相当に過酷で長い旅を終え、この景色に辿りついてくださったであろうことを思い、胸がいっぱいになった。
公式パンフレット・辻村深月インタビューより抜粋
多くのネタバレを書いてしまいましたが、それでも本作のラストの演出は必見の価値があります。
親になれない苦しみ、親になってしまった苦しみ、他人から選択肢を奪われる苦しみ。特にこの2020年は「何が普通か・正しいか」が世界規模で変わり、たくさんの人々が苦しんだ昏く終わりのない夜のような1年でした。
だからこそ、その「普通」と「正しい」の目に苦しむ主人公たちを描いたこの映画最後のメッセージを、多くの人に受け取ってほしいと思うのです。
出典：映画.com
出典：映画.com
全ての人に、朝が来てほしい。そんな願いを込め、今回の筆を置きたいと思います。（さて、この後は「鬼滅の刃 無限列車編」いくか……）
—
このコラムについてみんなで語り合えるオンラインコミュニティ「街クリ映画部」会員募集中です。また、コラムの新着情報をオリジナルの編集後記とともにLINE@で無料配信中です。こちらから「友だち追加」をお願い致します。
［イラスト］清澤春香
