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「アングスト/不安」が思い出させてくれた、カルト映画を観る楽しみ

橋口幸生 橋口幸生


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監督は無名。
人気スター不在。
37年前の作品で、
これまで日本では劇場未公開。

ヒットする要素が皆無にも思える映画「アングスト/不安」が、意外にも大ヒットしている。シネマート新宿、シネマート心斎橋では公開初日から満席が続出。今でも席が取りづらい状態が続いている。

この成功の背景には、巧みな宣伝戦略がある。筆者の本業であるコピーライターの視点から「アングスト/不安」の話題づくりを読み解いていきたい。

「顔」に焦点を当てた宣伝戦略

まず何より印象的なのは、作品のキービジュアルだ。



出典:eiga.com

荒い解像度でアップにされた、狂気そのものの男の表情。一度見たら決して忘れられないインパクトがある。添えられた惹句「本物の異常が今、放たれる。後悔してももう遅い」も効果的だ。普通に考えれば一笑に付してしまいそうな言葉だが、顔とセットになることで、無視できない説得力で作り出している。

ポスター下部にあるコピー「世界各国上映禁止。常軌を逸した実話を描く、映画史上最も狂った驚異の傑作、日本劇場初公開」も良い。ここから読み取れるのは、映画会社が訴求を明確に「怖いもの見たさ」に絞ったことだ。ポテンシャルのある層に確実に届けるために、幅広い観客へのアピールは初めから放棄する。みんなに好かれようとして退屈なものになりがちな日本の広告業界にあって、思い切りの良い姿勢が気持ちいい。ミニシアター公開のカルト作であることを活かした戦略でもある。

その他のポスターも、主人公である殺人鬼「K」の顔にフォーカスを当てている。



出典:Yahoo



出典:eiga.com

この夢に出てきそうな顔の持ち主は、オーストリア人俳優アーウィン・レダー。「アングスト/不安」に出演した1983年の時点で、ヨーロッパでは名の知れた存在だった。代表作は「Uボート」(1981年)。「シンドラーのリスト」(1993年)や「アンダーワールド」(2003年)などハリウッド大作にも出演しているので、見覚えのある人も多いだろう。

子ども時代を父親の経営する精神病院で過ごした……という話もある。そう聞いてなるほどと思ってしまう説得力が、この顔にはある。

68歳の今も健在で、「アングスト/不安」のVimeoでの公開に寄せたコメントを発表している。鋭い眼光は一切衰えていない。

しかし1988年に日本でレンタルVHS化された時は、「K」ではなく被害者の女性の顔がキービジュアルとして使用されている。



出典:「アングスト/不安」が不安に至るまで

この時の邦題は「鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜」。パッケージ下に英語タイトル「FEAR」が見えるので、英語圏でもこのビジュアルが使用されたのだろう。

フランス語タイトルは「SCHIZOPHRENIZA」で、この時も女性の顔が使用されている。



出典:TERROR FACTORY

「アレックス」「LOVE 3D」といった過激な作品で知られるフランス人監督ギャスパー・ノエ監督は、「アングスト/不安」の熱狂的なファンとして知られている。彼が若き日に見たのはこのバージョンだろう。

現在、海外で販売されているブルーレイのジャケットにも、同じキービジュアルが採用されている。「アングスト/不安」は、基本的には「おびえる女性の顔の映画」と認識されている可能性が高い、ということだ。



出典:IMDb

「K」の顔をキービジュアルに選んだのが日本の配給会社なのかどうかは、情報不足で分からない。しかし、絶大な宣伝効果があったことは、「アングスト/不安」を取り上げた記事の多くがこの「顔」をタイトル画像に設定していることからも分かる。



出典:eiga.com



出典:eiga.com

作品を公開した劇場でも、このビジュアルを使った遊び心のあるPRを展開していた。

モンド映画的なコピー・ライティング

キービジュアルに加えて、コピーも巧い。

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※本作は、1980年にオーストリアで実際に起こった事件を描いております。当時の司法制度では裁ききれなかったために発生した事象であり、本映画をきっかけとして以降大きく制度が変わりました。劇中、倫理的に許容しがたい設定、描写が含まれておりますが、すべて事実に基づいたものであります。本作は娯楽を趣旨としたホラー映画ではありません。特殊な撮影手法と奇抜な演出は観る者に取り返しのつかない心的外傷をおよぼす危険性があるため、この手の作品を好まない方、心臓の弱い方はご遠慮下さいますようお願い致します。またご鑑賞の際には自己責任において覚悟して劇場にご来場下さい。
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猟奇的な文体は、かつてのモンド映画を彷彿とさせる。「アングスト/不安」が公開された1983年は、日本で「食人族」が公開された年でもある。

「テレビではこれ以上お見せできません」「全世界で上映禁止! イタリアでも上映2日目で映写ストップ」と宣伝するなど、その手法は「アングスト/不安」に通じるものがる。

公式サイトにある次の一文も良い。

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ジェラルド・カーグル監督はこれが唯一の監督作。殺人鬼の心理を探るという崇高な野心のもと全額自費で製作、全財産を失った。
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監督の人生をも狂わせてしまった、呪われた作品。これは観なければ……という気になる。

しかし、「唯一の監督作」という書き方には、やや語弊がある。ジェラルド・カーグルが手がけた長編映画は確かに「アングスト/不安」1作のみだが、その後、100以上のCMやプロモーション映像を制作している。しかもカンヌ国際映画祭や、広告界で権威のあるクリオ賞などを受賞しているというから、普通に成功した映像作家と言っていい。

ここで海外サイトでのインタビューから、監督の発言の一部を引用してみよう。

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撮影のために、鏡を使った特別な機材をつくりました。おかげで、様々な変わった視点から撮影することが出来たんです。でも、そのせいで出来なかったことも沢山あります。主人公が森の中を駆け抜ける長回しのショットのために、ロープを使った機材を作りました。物凄くお金がかかったけど、その価値があったかは疑問ですね。鏡のせいで、撮影範囲に限られていましたから。

作品の出来には満足していません。特に暴力描写はやり過ぎでした。あんな風に撮るべきでは無かった。今、やり直すのであれば、違う方法で撮りますね。



出典:http://www.ikonenmagazin.de/interview/Kargl.htm

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「殺人鬼の心理を探るという崇高な野心のもと全額自費で製作、全財産を失った。」という一文から想像してしまう世捨て人のような姿は、どこにもない。むしろ極めて常識的で、プロフェッショナルな人物であることが伺える。

これが、カルト映画である

巧みな宣伝でヒット作となった「アングスト/不安」だが、実際の作品の評価は、どうだろう。

ネットには「それほど怖くなかった」「期待外れ」だったという意見が散見される。

実は、僕もそう感じた観客の一人だ。いくら過激でも37年前の作品。主人公が拳銃を撃ち、カットが変わると被害者が苦しそうな顔をして倒れる殺人描写は、古臭くを感じざるを得ない。ギャスパー・ノエの作品を観てしまった現代の観客の目には、ゴア描写も控えめに映る。

しかし「アングスト/不安」の本質は、作品以上にその語られ方にあると僕は思う。

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「この映画は見た人がほとんどいない。
 全く無名の作品であることもこの映画の魅力だ」

—–

「アングスト/不安」を60回は観たというギャスパー・ノエの、この言葉が象徴的だ。(ちなみに「40回」になっている資料もあり、どっちなんだという気はする

この言葉が、「アングスト/不安」の本質をもっとも的確に表しているように思う。

ネットが発達した今、「全く無名の映画」はそう無い。どんな映画もググるだけで、マニアックなディテールまで根掘り葉掘り調べ尽くすことができる。しかし「アングスト/不安」の場合、そういうものが全然見つからない。海外サイトも含め、公式発表以外の情報が驚くほど少ないのだ。

「アングスト/不安」に限らず、そもそも映画を観るというのは、こういう体験だったのだ。予告編とチラシのわずかな情報だけを頼りに劇場に行く。時には感動し、時には「コレジャナイ!」と肩を落とす。見世物小屋を覗き見るような怪しい感覚は、今では失われてしまった。

噂だけを頼りにレアなVHSを探し、「アングスト/不安」を観た当時のギャスパー・ノエの衝撃は相当なものだっただろう。それを37年の時を経て疑似体験できただけでも、「アングスト/不安」日本公開は価値がある。僕はそう思うのだ。


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[イラスト]清澤春香

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