進化は、進歩とは限らない。
こんにちは、金子ゆうきです。
今回、見て書くのは「映画ドラえもん のび太の新恐竜」です。映画ドラえもんシリーズ通算40作目にして、ドラえもん50周年記念作品。
出典:映画.com
2019年の「映画ドラえもん のび太の月面探査記」につづいて2年連続で紹介します。
今年も、小学1年生になった息子と見てきました。
今回は結末に触れる決定的なネタバレなしです。
それでは、どうぞ。
宝島コンビが挑戦した、あたらしい恐竜の物語
映画ドラえもんシリーズですが、最初の「ドラえもん のび太の恐竜」(1980)から興行収入20億円を下回ったことがないオバケシリーズです。一般社団法人日本映画製作者連盟が発表している歴代の興行(配給)収入の上位作品データから過去39作品分をまとめました。
過去最高の興行収入作品が「映画ドラえもん のび太の宝島」(2018)です。監督:今井一暁、脚本:川村元気のコンビで生まれた「大人も楽しめる」をテーマにした作品です。
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「映画ドラえもん のび太の新恐竜」も、宝島コンビにより作られました。
監督の今井一暁さんは1976年生まれの44歳。「映画ドラえもん のび太の宝島」を手がける前に短編映画「パロルのみらい島」(2014)で監督としてデビューします。「パロルのみらい島」は外の世界と隔絶された島にすむパロルたちが、漂着した写真の景色を見るため大海原へ飛びだす物語。
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脚本の川村元気さんは1979年生まれの41歳。企画・プロデューサーとして「電車男」(2005)、「告白」(2010)、「モテキ」(2011)、「君の名は」(2016)、「天気の子」(2019)などを手がけています。小説家として活躍し「世界から猫が消えたなら」(2016)、「億男」(2018)は映画化されています。
告白しますが、僕は「映画ドラえもん のび太の宝島」が苦手です。
海洋冒険ものというコンセプトはいいし、ワクワクします。「親子(父と息子)」を強調するのもまあ分かります。しかし、後半の展開、特に悪役の狙いや背景が穴だらけで「??????」状態になるんです。今回のために見返しましたが、感想は変わりませんでした。
だから「映画ドラえもん のび太の新恐竜」も、不安だったんですよ。「どうせ書くなら褒めたい」が、僕のモットーですから、褒められないと辛いんです。
しかしそれは杞憂となりました。新恐竜、良いです。
まず「恐竜」というテーマであたらしい物語を作った。この点だけでも拍手です。
藤子・F・不二雄先生(以下、F先生)による大長編ドラえもんの第一作『ドラえもん のび太の恐竜』(1980)。そして、それを原作とした映画「ドラえもん のび太の恐竜」は大名作です。
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あらすじは……
のび太は勢いで言ってしまった「恐竜は現代にいるかもしれないだろ!」という言葉を証明するために恐竜について必死に勉強します。そして、成りゆきで掘ることになったおじさんの庭から卵のような化石を見つけます。ドラえもんに泣きつき、タイムふろしきで化石の時間を戻すと首長竜・フタバスズキリュウの赤ちゃんが生まれました。「ピー助」という名前をつけて育てることに。大きくなったピー助が現代で暮らせなくなり、のび太は1億年前の白亜紀へピー助を連れていくことを決意する。
という感じです。
普段はダメなのび太が、SF(すこし不思議)な出会いをし、きびしい現実に直面しながらすこしだけ成長する。
これが映画ドラえもんに共通している本質だと思います。そしてそれは「ドラえもん のび太の恐竜」によって決定づけられたんです。
「ドラえもん のび太の恐竜」では、のび太がピー助の疑似的な父親になることで成長します。のび太とピー助の親子物語でもあります。
いつもはドラえもんに守られてばかりいるのび太。しかし、ピー助という守るべき存在ができます。食べ物をさがし、ボールで一緒に遊んであげる。誰かを守るのがどんなに大切で大変かを体験していくわけです。
そんなのび太をドラえもんはうれしそうに見守ります。『ドラえもん のび太の恐竜』で、ドラえもんはこう言います。
自分の頭で考え、自分の力で切り抜けてほしい!
ぼくは、あくまで見守っていてあげるからね。
『ドラえもん のび太の恐竜』P11より
やがてのび太は、ドラえもんが自分のことをどんな気持ちで見守っているかも理解していきます。
「ドラえもん のび太の恐竜」は2006年に「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」としてリメイクされていて、2006年版のストーリーはほぼオリジナルを踏襲しています。
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「ドラえもん のび太の恐竜」に対して今井監督と川村さんは共に、恐竜でこれ以上やれることはないのではと感じた。と語っています。
ふたりは、むずかしすぎるお題にどう応えたのでしょうか。
ポイントは2つだと思います。
ひとつは、「恐竜とのび太の親子物語」というテーマの拡張。
具体的には、のび太が親としてピー助を守るだけだったオリジナル版に対して、親としての戸惑いや葛藤を付加したことです。後ほど詳しく書いていきます。
そしてふたつめ。「恐竜」という設定自体に、オリジナルからの40年間で起こった恐竜研究の変化を反映したことです。
F先生は、1968年に首長竜・フタバスズキリュウの化石が日本ではじめて発見されたことに影響されて大長編『ドラえもん のび太の恐竜』を描いたといわれています。日本にも恐竜がいたという恐竜研究の変化に触発されたんです。
『ドラえもん のび太の恐竜』からの恐竜研究の変化。キーワードは「ミッシングリンク」と「羽毛恐竜」です。
……これが、さっぱり分かりませんでした。
僕の知識と理解力のなさが原因です。自慢じゃないですが、理科と算数が大の苦手なんです。
ジュラ紀と聞くとホテル聚楽のCMが脳内再生されるくらいです。じゅらくよ~。
しかし、逃げちゃいけない。映画評を書くよろこびは知らなかったことを知るよろこびでもあるわけですから。
図書館で恐竜の本、ダーウィン『種の起源』についての本を借り、ナショナルジオグラフィックや、NHK「100分de名著」の『種の起源』回のウェブサイトを読んだりして調べました。
まず、言葉の定義を知りましょう。
「ミッシングリンク」は、広辞苑(第五版)に以下のように記載されています。
生物の系統進化において、原生生物と既知の化石生物との間を繋ぐべき未発見の化石生物。これが発見されると、進化の系列が繋がる。
広辞苑(第五版)より
なるほど、ミッシングリンクは「未発見の化石生物」なんですね。
ダーウィンは1859年の『種の起源』において、全ての生物は一種あるいはほんの数種の祖先的な生物から分岐して誕生したという進化論を主張しました。
出典:Wikipedia 『種の起源』に掲載された樹形図。
「映画ドラえもん のび太の新恐竜」において重要な種の繋がりは「鳥」と「恐竜」です。
現代の鳥、スズメやカラスの祖先は恐竜(爬虫類)である。この考え方はながく論争が続いてきたようです。原生生物(鳥)と、既知の化石生物(恐竜)を繋ぐ化石生物が発見されていなかったからです。
ながらく既知の化石生物だったのが、始祖鳥の俗称で知られるアーケオプテリクスです。
出典:Wikipedia アーケオプテリクスの想像模型。
アーケオプテリクスの化石が発見されたのは1860年。鳥のような羽と羽毛を持つアーケオプテリクスは、ダーウィンの進化論を裏付けるうえでも重要な役割を担いました。
その後、鳥と恐竜の間を繋ぐ化石生物は見つからなかたんです。アーケオプテリクスが見つかったのは、後期ジュラ紀(1億4600万年~1億4100万年前)の地層です。
恐竜の大量絶滅が行ったのは約6600万年前ですから、その間に約8000万年あります。存在していたであろう鳥と恐竜を繋ぐ化石生物。それが「ミッシングリンク」というわけです。
大きな変化がおとずれたのは1996年。奇しくもF先生が亡くなった年です。中国の遼寧省にある前期白亜紀の地層から見つかった化石に、羽毛の痕跡が見つかりました。
シノサウロプテリクスと名づけられたこの恐竜は、前期白亜紀(約1億4400万年前~約9900万年前)に生息されていたと考えられ、始祖鳥よりも後に生息していた種だと考えられます。まさに、ミッシングリンクです。
シノサウロプテリクス以降、羽毛の痕跡がある種の化石がたくさん発見されます。鳥と似た特徴をもつ「羽毛恐竜」の一部が絶滅を逃れ、世代を超えて変化しながら現在の鳥に繋がる枝分かれをしてきたという考え方が大きく前進しました。
出典:Wikipedia
……長かったですね、ごめんなさい。「映画ドラえもん のび太の新恐竜」で分からなかったのが「ミッシングリンク」と「羽毛恐竜」だったので、なんとか解説してみました。
つまり「映画ドラえもん のび太の新恐竜」は、「恐竜」というテーマを踏襲しながらも、F先生の時代にはほとんど発見されていなかった羽毛恐竜と、鳥と恐竜の繋がりの要素を付加したというわけです。
今井監督と川村さんは、福井県の恐竜博物館や化石発掘場を巡って最新の恐竜研究にふれながら物語のヒントにしたそうです。
「恐竜とのび太の親子物語」「ミッシングリンクとなる羽毛恐竜」の象徴が双子の羽毛恐竜「キュー」と「ミュー」なんですが、くわしい話は、あらすじも追いつつ書いていきます。
親の心をえぐる、のび太の姿
「現代にも恐竜はいるんだ!」いつものように大口を叩いてしまったのび太。偶然見つけた卵の化石のようなものを抱えてドラえもんに泣きつきます。
ちなみに、もし恐竜がいなかったら目でピーナッツを食べてやる! というのび太の大口は「ドラえもん のび太の恐竜」の鼻でスパゲッティを食べてやる! からの踏襲です。「目でピーナッツを食べる」の元ネタはコミックス2巻の『オカミ一家』というエピソードです。
さらにちなみに、のび太の部屋には前年や過去の映画作品のモチーフがあることが定番になっていますが、前作「映画ドラえもん のび太の月面探査記」にでてくるムービットのぬいぐるみがおいてありましたね。僕は見落としていましたが、ルカの帽子もあったみたいです。
タイムふろしきで時間をもどした化石から2匹の羽毛恐竜が生まれました。それぞれの鳴き声から「キュー」と「ミュー」と命名します。
恐竜誕生までの流れは「ドラえもん のび太の恐竜」「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」とほとんど同じ。2匹の羽毛恐竜が生まれたところからがオリジナルの物語。川村さんはパラレルワールドになっていくと語っています。
まずですね、キューとミューが問答無用にかわいいです。
出典:映画.com
「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」以降の映画で取り入れられた作画の線。手書き風で不揃いな太さの線が2匹の躍動感と相性が良くて、イキイキと表現できていたと思います。
キューとミューはかわいいだけじゃなく、未来でも発見されていない新種の恐竜でした。宇宙の真理すら載っているひみつ道具「宇宙完全大百科」にも載っていません。「宇宙完全大百科」のシーンにピー助と思われるフタバスズキリュウがちらっと映っていましたよね。その後の「あのシーン」の伏線だと思います。
物語前半からの繋がりでいうと、のび太たちの家の前の電線にとまるすずめを強調するようなシーンがいくつかありましたが、あれも……でしょうね。
キューとミューが成長する過程は親としての喜びと戸惑いに満ちています。はじめてご飯を食べてくれたときの喜び、はじめて体調を崩したときの絶望にも似た戸惑い。はじめて公園でいっしょに遊んだ時の感動。わかる、わかるぞのび太! と思いながら見ていました。
物語中盤以降、6600万年前の白亜紀でキューとミューの仲間たちをみつけた後、仲間と同じように飛べないキューに対して「どうしてみんなみたいにできないんだ!」とあたってしまうのび太。
「コミュニティに受けいれてもらうには、おなじようにできないといけない」とも受けとれる描写への否定的な意見も理解できます。大人の新恐竜が飛べないキューを傷つけて拒絶するシーンが強烈なので、印象が強くなっていると思います。僕もここまでの描写はいらなかったと思います。
みんなと同じようにできる必要なんてないという理屈はまったくその通りです。でも、自分が親として最初からできているかといえば、そんなことないですよ。
「どうしてできないの!」と言ってしまうこともありますよ、正直。
その度に嫌な気持ちになります。後悔します。後悔するなら言うなよと言われればその通りですけど、理屈で解決できるなら苦労しないんです。
理屈で解決できないのが子育てだと、つくづく思います。
涌井学さんが書いた『小説 映画ドラえもん のび太の新恐竜』ではこのように書かれています。
「どうしてみんなみたいにできないのさ!」
そう言ってしまったとき、自分の胸がはりさけそうだった。
『小説 映画ドラえもん のび太の新恐竜』P236
のび太にとっては、自分が言われてきて嫌だった言葉をキューに言ってしまったんですよね。子どもを通して自分の嫌な部分を、欠点を突きつけられる。それを乗りこえるのが、親として成長することなのかもしれません。
子どもという理屈が通じない命を通して自分も子どもに戻ってしまう。一緒に成長する。
そして、キューが自分の意志でそれを乗りこえた瞬間に万感の想いがこみあげてくるわけです。
親としての葛藤や、子どもと一緒に成長していくこと。
「ドラえもん のび太の恐竜」の「親子物語」というテーマに親としてのリアルを組みこむことで物語を拡張できていたと思います。心をえぐられたという点も含めて、僕は成功だったと思います。
ミスチルという暴力と、堅実な劇伴音楽の相乗効果
物語はもちろん、音楽でも感情を揺さぶってきます。その象徴がMr.Childrenの『Birthday』『君と重ねたモノローグ』です。
物語に合わせてつくられたミスチルの新曲。良いにきまってるじゃないですか。作詞・作曲を手がけるヴォーカルの桜井さんはパンフレットのインタビューで、『ドラえもん』は小学生の時にはじめて好きになった本、感動して泣いた本だと語っています。思い入れのある作品に書きおろされたミスチルの新曲。そんなの良いにきまってるじゃないですか。
暴力ですよ。エモの暴力。歌詞とメロディと、流れるタイミング。心がハンマーで叩かれたみたいに揺れまくりです。
ミスチルの主題歌については色んな人が褒めるでしょうから、僕はこのくらいにします。
主題歌に隠れていますが、劇伴音楽もめちゃくちゃ良いんです。
場面場面で鳴るべきメロディが鳴るべきタイミングでかかっています。特に、大切な場面でアレンジを変えながら流れる『のび太とキュー』は大好きです。口ずさみやすくて印象に残るんですよね。
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分かりやすくて適切な音楽が、子どもでもシンプルにたのしめる要素になっていると思います。
手がけたのは服部隆之さん。「電車男」をはじめ、川村さんが関わった多くの作品で音楽を担当。ドラマ「半沢直樹」の音楽も手掛けられています。映画ドラえもんへは「映画ドラえもん のび太の宝島」から3年連続の参加ですね。
「映画による体験の半分は音だ」というのはジョージ・ルーカス監督の言葉ですが、音楽がいいと全体の印象もぐっと良くなるとつくづく思い知らされます。
名作は進化する。かたちを変えて残りつづける。
「映画ドラえもん のび太の新恐竜」は、同じ今井・川村コンビの「映画ドラえもん のび太の宝島」から大きく進歩していると思います。「ドラえもん のび太の恐竜」という名作がベースにあることが大きな要因でしょう。
F先生の「ドラえもん のび太の恐竜」を、川村さんが40年後の現代にプロデュースして進化させたということだと思います。
「進歩」と「進化」という言葉を使いましたが、2つの言葉の意味は同じではありません。すくなくとも、ダーウィンは違うと考えていました。ダーウィンは進化にあたる言葉として「世代を超えて伝わる変化」(descent with modificatio)という言葉を使っていました。
ある種の中で、他の個体とは違う特徴をもった個体がたまたま生まれます。変化する自然環境に対応できる特徴を持った個体は、子孫を増やしやすくなります。
最初は特異だった特徴が世代を超えて当たり前になり、あらたな「種」として生き残っていくんです。
あくまで「たまたま」なんです。それが自然に選ばれたかのように結果的に数を増やすだけです。
だから「退化」だって「進化」なんです。飛べない鳥ダチョウは、飛べる鳥から進化しました。外敵がいなくて低いところに食べ物がたくさんある環境だったから「飛べない」個体が優位になって、それが世代を超えて当たり前になったんです。
現代の僕らが当たり前だと考えている、ダーウィンの進化論に基づいて考えるならば生物の能力の個体差に「優劣」なんてないんです。
「映画ドラえもん のび太の新恐竜」に話をもどします。
キューはミューたちのような滑空による飛行はできなくても、鳥のような羽ばたきによる飛行能力を得ました。木村拓哉さんが声優を務めたジル博士の言葉でいえば、キューがのび太を救うために飛んだ瞬間は「恐竜から鳥への瞬間の第一歩」となりました。
キューの飛行能力を受け継ぐ個体が、長い長い時間をかけて増え、更に変化しながら現代の多様な鳥へと進化していくことになります。
でもそれは、キューがミューより「優れている」ということにはならない。キューだって他の仲間を見返すために、優れていると証明するために飛んだわけじゃない。目の前ののび太を救うために飛んだんです。
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1980年の「ドラえもん のび太の恐竜」、2006年の「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」と2020年の「映画ドラえもん のび太の新恐竜」も同じだと思うんです。
比較して優れている点や劣っている点を探すことはできるし、好き嫌いで語ることもできます。
「映画ドラえもん のび太の新恐竜」にも欠点はたくさんあるでしょう。ミューが、キューと対比されるためだけの存在になってしまっているのは気になります。あのキャラクターの登場が超蛇足だというのも分かります。
超巨大翼竜について何の説明もなく、唐突すぎるし。恐竜ハンターの残留物の影響(放射能とかね)を受けて巨大化したとかにすれば「ドラえもん のび太の恐竜」とのリンクも作れたと思います。恐竜ハンターに触れるセリフもあったんだから。
欠点はあっても「映画ドラえもん のび太の新恐竜」は1980年から進化(進歩とは限らない)した、現代の親子を楽しませる物語として提示できていたと思います。
それは、これからも続いていくと思います。
「ドラえもん のび太の恐竜」「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」「映画ドラえもん のび太の新恐竜」はドラえもんに限らず、たくさんのエンターテインメントに影響を与えながら進化をつづけていいくんだと思います。
「ドラえもん のび太の恐竜」はスティーブン・スピルバーグ監督の「E.T.」に影響を与えていると言われています。そして、川村元気さんがはじめて見た映画は「E.T.」だといいます。作り手と作品が進化の樹形図のように繋がっていると思えてなりません。
最後に、いっしょに見た小学一年生の息子におきた変化を紹介して終わります。
彼には「映画ドラえもん のび太の新恐竜」より「映画ドラえもん のび太の月面探査記」の方が好みのようでした。特にキューが仲間の大人恐竜から傷つけられるシーンは結構ショックだったみたいです。
ですが、鑑賞後しばらくして『進化の迷路: 原始の海から人類誕生まで』という本を図書館から借りてきました。そして、読書感想文を書きました。原稿用紙も全部埋まってないし、句読点の使い方もめちゃくちゃです。
でも、こんな一文で締めくくられていました。
いろんなきょうりゅうのほんをみてきょうりゅうはかせになりたくなってきました、がんばろう。
これを読めただけで、僕にとって「映画ドラえもん のび太の新恐竜」は6600万点です。
ぜひ、親子で見てください。きっと、新しい自分と子どもに出会えるはずですから。
○参考文献
・羽毛恐竜(大島英太郎著・福音館書店)
・若い読者に贈る美しい生物学講義(更科功著・ダイヤモンド社)
・藤子・F・不二雄の世界 完全保存版(平山隆編集・小学館)
・大人のために恐竜教室(真鍋真・山田五郎著・ウェッジ)
・ダーウィン『種の起源』を読む(北村雄一著・科学同人)
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[イラスト]清澤春香