心が、動いた。
小説や映画など、そのコンテンツに触れたあと、行動が変わったり、なんか言いたくなったりする。そんな、心を動かすコンテンツは「いいコンテンツ」と呼ばれます。「TENET」なんかまさにそうでしたよね。「わかんねー!」だけでも言いたくなる。
「82年生まれ、キム・ジヨン」も、「なんか言いたくなる」小説であり、映画でした。
出典:映画.com
「小説を読んだ」とSNSに投稿しただけで炎上し、映画にキャスティングされた俳優には非難が集中。よくある「小説の映画化」とはまったく異なる空気の中で制作された映画です。キム・ジヨンというひとりの女性が生きていく中で、「ただ女性であるがゆえに」経験した差別と不合理の物語。できれば小中学校の授業はもちろん、企業の人事の方や、女性商材を扱う部署の人、政治家になろうという人には必須で観てほしいくらいなんですけれど。
日本でのレビューを見ると、共感の声が多いものの、マイルド化されたことによる不満もあるようです。
原作の小説は「史上最高の激辛カレー爆誕!」と叫びたくなる刺激的なものでした。それが「辛さ星5つ!」程度になっていましたからね。いや、それでも「星5つ」。十分に、大汗かきますよ。
わたしは、小説と映画、どちらも好きです。たとえていうなら、小説は「ルビンの壺」で、映画は「パンドラの箱」といえると思います。
なんのこっちゃだと思うので、このコラムでは「82年生まれ、キム・ジヨン」の小説と映画の違いについて紹介します。そして、一見“理想の夫”にみえるコン・ユについてと、映像化された中で浮き彫りになった違和感についても。なにしろ「ルビンの壺」が割れちゃったので、「あ、これもか!」と気がついてしまったのですよ……。
「82年生まれ、キム・ジヨン」とは
よく本屋さんに行く方なら、こんな不思議な表紙の本が並んでいるのを目にしたことがあるのではないでしょうか。「顔ハメパネル」のような表紙です。
出典:Amazon
実はこの表紙、小説の内容をとても秀逸に表しているんです。
主人公は、1982年4月1日に生まれた女性。名前は、キム・ジヨンといいます。「ジヨン」という名前は、82年に誕生した女児の中で、一番多い名前なのだとか。実際、この映画のプロデューサーのひとりも「ジヨン」で、スクリプターとポスターデザイナーの中にも同じ名前の人がいたそうです。
そんな、ありふれた名前を持つ、どこにでもいる女性。つまりそれは、本を手にしたすべての人にとっての「わたし」の物語でした。だから表紙には「顔」がないのです。
小説は、男性精神科医のカルテという形で進みます。
患者であるキム・ジヨン氏から聞きとった家族のこと、ジヨン氏が実際に経験したこと、そして男女の賃金格差の実態や、女性の年齢別就業率などが、データと共に綴られていく。この小説が特に女性たちに支持されたのは、伝統や慣習という名で正当化された「女性の生きにくさ」を言語化した点にありました。
出典:KMDb パン屋さんでアルバイト募集の広告を見る主人公。
「投稿作品」として送られてきた小説を読んだ編集者は、すぐに出版を決めます。これは行けるぞと思い、初刷り1万……といきたかったところ、さすがに恐ろしくて8千部からスタート。これが2016年10月のことです。すぐに評判となり、いまでは120万部超えのベストセラーになりました。韓国内でちょうどフェミニズムに対して関心が高まっていたこと、ハリウッドから広まった「#MeToo」運動も追い風になったようです。
日本では2018年に翻訳出版され、こちらも20万部を超える大ヒットに。現在では17か国で読まれているそうです。
出典:Amazon 英語版の表紙。
世界経済フォーラムが発表した2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」によると、調査対象153か国のうち、韓国は108位でした。ちなみに日本は121位で過去最低と、どっちもどっちの結果になっています。ジヨンが経験したことは、日本でもそのまま受け入れられるくらいの素地と普遍性があったといえるかもしれません。
2次元の小説であれば可能だった、共感を生む「装置」としての「顔ハメ小説」。ですが、映像化するには当然、「俳優」という身体に肉付けされることになります。
映像化にあたっての一番の変更点は、男性陣に「名前」が与えられたことでした。
原作ではジヨンの夫に「デヒョン」という名前が付いているだけ。父にも弟にも会社の同僚にも名前がありません。「名前分の働きはしてもらうよん」といわんばかりに、男たちはジヨンの周囲で「男の論理」を振りまきます。
出典:KMDb
また、精神科医が男性から女性に変更されていました。小説では最後の最後に、特大級の激辛スパイスが待ち受けているのですが、女性医師だとあのオチが使えないのに!? そんな、より間口の広いエンタメ用に用意したラストも、賛否両論を生んでいるようです。
もうひとつ、大きな変更は、ジヨンの母ミスクの出番が大きくなっていたことです。
特に、小説にはない母ミスクのシーンによって「確実にそこに存在するのに、ないことにされている叫び」を可視化した小説は、「女たちのサーガ」ともいえる映画に進化していました。
この映画のおもしろいところは、タイトルが固有名詞なので個人的な物語なのかと思いきや、とても普遍的な話であるところです。ひとつ、わたしのお気に入り箇所をご紹介しますね。息子がいてよかったーと語る、父方のおばあちゃんの言葉です。
あったかいごはんを炊いたのもあったかいオンドルの上に布団を敷いたのも、息子ではなく、嫁でありキム・ジヨン氏の母であるオ・ミスク氏なのだが、祖母はいつもそう言った。
チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』より
めっちゃ分かる! この皮肉、大好き!
歴史社会学者の森類臣さんは、「ユリイカ」2020年5月号のコラムで、韓国映画の疑似ジャーナリズム性について語っています。
現代史に刻み込まれる事件や時代の転換点に注目し、その現代的意味を浮き上がらせる。(中略)韓国映画が特にこのような点で注目されるのはその“リアリズム(写実主義)”だろう。
「ユリイカ」2020年5月号より
性差別を経験した人にとってはリアルな世界。知ろうとしない人にとっては目に映らないフィクションの世界。ふたつの世界をつないだのが、「82年生まれ、キム・ジヨン」なのです。
韓国ドラマ界の「騎士」コン・ユが“いい夫”だった理由
韓国映画の誕生から現代までの歩みを紹介した本『韓国映画100年史』で、著者のチョン・ジョンファさんは、韓国型ブロックバスター映画の特徴として「キャラクター」戦略を挙げています。
何よりもスター俳優が扮するキャラクターの力に期待し、同時に主演や助演の様々なキャラクターをよく布陣した人物構成の力を映画的動力に換える方式である。
チョン・ジョンファ『韓国映画100年史』より
映画版「82年生まれ、キム・ジヨン」は、ジヨンの夫役であるコン・ユのキャラクターを最大限に活かした映画だったといえます。しかも、期待とは逆の形で。
ジヨンとデヒョンの夫婦を演じるのは、チョン・ユミとコン・ユのコンビ。共演3回目にして初めての夫婦役です。
出典:KMDb
わたしは小説版を、まさしく「わたしの物語」として読んでいたので、スクリーンに映し出されたチョン・ユミを見て、びっくりしました。
(わたしったら、いつの間にこんな美人になったのだ!?)、なーんてね。
出典:KMDb
そして夫デヒョンを演じた、コン・ユ。わたしは彼のことを「韓国ドラマ界の騎士(ナイト)」と呼んでいます。
つぶれかけた喫茶店を、イケメンコーヒーショップとして生まれ変わらせたドラマ「コーヒープリンス1号店」でブレイクしたコン・ユは、「ラブコメの帝王」で、「キス職人」と呼ばれています。
出典:KMDb 「あなたの初恋探します」のワンシーン。
聴覚障害者への性暴力を題材にした小説を読んで、自ら映画化に向けてアプローチ。闘う教師を静かに熱く演じた「トガニ 幼き瞳の告発」で、チョン・ユミと初共演。
出典:KMDb 手話にも挑戦。
「新感染 ファイナル・エクスプレス」では、特急列車の中で突如発生したゾンビに立ち向かう、利己的なファンドマネージャーを熱演。チョン・ユミは、腕回り50センチのマ・ドンソクに守られる身重の女性役で出演していました。
出典:映画.com ゾンビがかわいそうといわれた伝説の映画。
憂国のレジスタンスを演じた「密偵」では、ソン・ガンホと互角に張り合うシーンも。
出典:映画.com でかいもの対決感のある映画でした。
900年の長きにわたって人間の愚かさを見つめるトッケビ(お化け)役は、トッケビシンドロームが起きるほどの人気に。
出典:Amazon 「愛の不時着」より胸キュン度高め!
コン・ユは、利己的だったり、意地悪だったりもするけれど、常に「善なる騎士」を演じてきました。いつも誰かを、何かを守る役回りである「騎士」がジヨンの夫を演じると発表された時、わたしの胸に一抹の不安が生まれました。
精神的に追い詰められた妻を、ぼくが! 全力で! 守り抜く!!!
出典:KMDb 「サスペクト 哀しき容疑者」では北朝鮮の元エリート工作員に。
そんなマッチョな映画になっていたらどうしようと思っていたのです……。もちろん、そんな話にはなっておらず、コン・ユ演じる夫デヒョンは、とても“いい夫”でした。ピントが外れていたり、空回りしていたりするものの、ジヨンを大切にしていることは伝わってきます。そんな彼でさえ、ジヨンの苦悩の本質を理解することができない。慟哭する夫デヒョンによって気づかされました。
騎士でさえ、ジヨンを救うことはできない。
出典:KMDb
それを強調するために、コン・ユ演じる夫は“いい夫”だったのだと思います。では、病んでしまったジヨンを救えるのは誰なのでしょう。そして実は、コン・ユにはもうひとつ役割があったんじゃないかと思われるんですよね。そのことについて、もう少しみていきます。
女たちのサーガが開く「パンドラの箱」
わたしは韓国映画好きであり、韓国ドラマ好きでもあるのですが、あるときふと疑問に思ったことがあります。
嫁って、一家の奴隷なの!?
韓国で2005年に放送された「がんばれ!クムスン」は、未亡人のクムスンが、嫁ぎ先で育児をしながら家事と美容師の仕事をし、おまけに恋までしちゃうというドラマです。
彼女はなんと、5人家族の洗濯物を毎晩手洗いしているんです(もっとも、韓国式“手洗い”なので、タライに入れて足で踏むんですけど)。長男の嫁に「洗濯機を買いましょう!!!」と言われるまで、その異常さに気づいていませんでした。えっと、時代劇ではなく、現代劇です。
「キム・ジヨン」にも、法事の際に大量の料理を作るシーンが出てきます。その量、相撲部屋かよ!
出典:映画.com 韓国料理って大量に作った方がおいしくはある。
旧暦のお盆とお正月におこなわれる法事の準備は本当に大変だそうで、「民族大移動」と呼ばれる帰省ラッシュと共に、徐々に改善されてはいるそうです。それでも、女たちは準備に明け暮れ、男たちはお酒を飲みながらのんびり「休暇」を過ごす。
韓国の伝統的な風習は、女たちの献身の上に成り立ってきたといえます。
そんな伝統としきたりと、当たり前のように割り振られる役割と、気遣いの果て、お正月休みに夫の実家に帰省したジヨンは、「ちょっと奥さ~ん」と自分の母の本音を語りだし、婚家の家族を唖然とさせちゃうんです。原作では「憑依現象」と表現されていますが、オカルトっぽさはないのでご安心を。
出典:映画.com ひとり台所に立つジヨンと、くつろぐ夫のご家族の図。
映画に登場するジヨンの家族は、4つの世代にわたっています。
ジヨンの母方の祖母、母、ジヨン、そしてジヨンの娘であるアヨンちゃん。それぞれの「花盛り」の頃が挿入されることで、韓国社会の時代の変化を感じることができる構成でした。
原作にも、映画にも、登場人物の具体的な年齢は出てこないので、演じた役者さんの年齢をもとに、彼女たちの「20歳」がどんな時代だったのか調べてみました。
こうしてみると、日本の「戦後感」がすごいですね。祖母と母の俳優さんが8歳差なのは、キャスティング上の都合かな。実際には、祖母はもう少し上の設定なのだと思います。すると、1950年6月25日に始まり、1953年に休戦した朝鮮戦争のど真ん中世代ということになる。とにかく生きることが優先された、こんな時代だったのではないでしょうか。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」より
そして、男兄弟のために自分の夢を放棄しなければならなかった母世代。ミスクはまさに一族における「おしん」な10代を過ごしています。
家族のために自分を犠牲にしたリアル「おしん」から、カリスマ経営者のユン・セリが「わたしの大好きな映画はね、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』」と叫びながらエンジンをぶっ放すまで、わずか40年足らず!
原作の翻訳家・斎藤真理子さんはTBSラジオに出演した際、小説について、こう語っています。
韓国では2010年に「女性家族部」という行政機関ができ、男女平等を掲げるなど、少しずつ、少しずつ、変わってきました。それでも人々の意識に残るのは、昔のままの「女は、男の奴隷」というすり込み。
女性の活躍を“応援”してます!
こういうお役所的なスローガンを目にすると、“いい夫”のデヒョンを思い出してしまう。ちょっと皮を一枚めくってみましょうか。
ペロン。
ほーら、そこに見えるのは、ポーズとしての配慮。
キム・ジヨンという存在が、女たちがリレーせざるを得なかった「犠牲のバトン」を象徴するのだとすると、夫デヒョンは「社会システム」そのものだといえます。
いつも誰かを守ってきたコン・ユは、一家を支配し、統率することを男の役割とした「家父長制」を体現しているのではないか。だから夫デヒョン役は「善なる騎士」コン・ユというキャラクターでなければならなかったのだと思います。
そんな彼でさえ妻を救えないという絶望は、「家父長制」が幻想であったことを露わにしたのです。
「家父長制」こそが、国を、家族を守るものだと信じる側は、「女子どもは男が守る。代わりに女は、“無償の愛”を提供せよ」と強制してきました。でも、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せに、持続可能性なんてない。だから女たちは決断するのです。自分たちが受け継いできた「バトン」を捨てることを。それだけがジヨンを救う方法だと信じて。映画の中でそれを言い出すのは、誰よりも我慢の時代に生きた人でした。
原作になかったこのシーンは、映画の方向性を大きく変えていました。
出典:映画.com 母ミスク役のキム・ミギョン。名演技に泣く。
小説版は、これまで声を上げることができなかった女性が「No!」を突きつける本として、読む者の目を開かせるものでした。この本を読んではじめて、「あれも、これも、それも、そういうこと!?」という気づいた人も多かったと思います。だから「ルビンの壺」なんです。一度気づいてしまえば、もう元には戻れない。
出典:Wikipedia
一方の映画版は、すでに「ルビンの壺」が割れた人も、まだ割れていない人も観る可能性があるため、女たちの「バトン」に焦点を絞ったのではないかと思います。女たちはジヨンの身体を借りて「パンドラの箱」を開けました。
家族の中で、街中で、学校で、会社で、女性がぶつかる憤りを、この世に放った。
出典:KMDb
この映画を演出したキム・ドヨン監督は、長く役者として活躍したあと、結婚して2児の母となります。ジヨンと同じように、自身もキャリアが断絶する危機を感じたことがあるそう。
46歳で映画学校の門をたたき、第17回ミジャンセン短編映画祭で最優秀作品賞を受賞した監督にとって、「キム・ジヨン」は初めての長編映画になります。
年齢関係なく、どんな条件の中でも自分が望む方向に船首を回すこと、ゆっくり進むことが最も大切なのではないかと思います。
中央日報 キム・ドヨン監督インタビューより
映画用のラストシーンは、原作者のチョ・ナムジュさんとも、キム・ドヨン監督の姿とも重なります。「パンドラの箱」に残っていたのは、誰も犠牲にしない、個人の選択としての「希望」。
おしとやかになんてしなくていい。
女たちよ、春風にのって飛び歩こう!
激辛カレーにそんなメッセージを添えてみせたキム・ドヨン監督。ぜひ、名前を覚えておいてください。これからも、心を動かす、「なんか言いたくなる」映画をみせてくれる監督だと思います。一番そばにいる人と一緒に観たい映画を。
外国映画につきもののアレに見えた「女性性」
豆好き・チョコ好き・あんこ好きとして、コラムでは毎回「映画の友」をご紹介しています。
今回ご紹介するのは「クリームパン」。豆にもチョコにもあんこにもかかってないけど、許して。映画を観た方なら、このチョイスを分かってくれるはず。
実は娘のアヨンちゃんの出演シーンを見ていて気づいたことがありました。
ピンクがない!!!
出典:KMDb アヨンちゃんの出演シーンは髪型に注目してね。
わたしの友人宅はもちろん、韓国ドラマに登場するどこの家庭も、「娘」をビラビラのフリフリのピンクで飾り立てていることが多いんです。それが、アヨンちゃんには見られない。おもちゃで散らかった部屋。壁いっぱいに貼られた写真。「子育て中」感たっぷりの濃密な空間にも関わらず、ピンクがほとんど使われていません。
これは周到な計算の上で作られたビジュアルなのだと思います。夫デヒョンの実家に帰った時、義妹がプレゼントしてくれたプリンセス風ワンピースを見て、ジヨンは複雑な表情を浮かべていました。このことからも、彼女がどんな風に娘を育てようとしているのか感じることができます。
注意深く、記号としての「女性性」を排除した映画。なのに「どうして?」と思うことがひとつ。
「迷惑かけちゃったわね」なんて、女言葉の字幕をつけないで欲しかった!!!
言語学者の中村桃子さんは、こうした翻訳における女言葉の使用を「ステレオタイプの経済性」と呼んでいます。典型的な言葉遣いをさせることで、人物描写をカンタンにするということですね。
でも。
サラッと見てしまう字幕でも、そこまで気にしていなくても、意識にはすり込まれてしまうんじゃないかと思うんです。わたし自身、気がついたのは映画の中盤でした。
9月に国連本部で演説をした韓国のアイドルグループBTS(防弾少年団)は、過去に「歌詞が女性蔑視だ」と批判されたことがありました。その後、自らフェミニズムについて学び、歌詞をフェミニズムの専門家にチェックしてもらっているそうです。それほどまでに慎重に、表現と差別の境界を探っているのです。自分たちの歌で、誰かが傷つくことのないようにというガチの配慮。
かっこいいじゃないですか!
言葉はアイデンティティです。この映画でジヨンに女言葉は、使って欲しくなかった。
NHKの短歌番組で以前、こんな歌が紹介されていました。
さいとうすみこ
コラムの冒頭に紹介した世界経済フォーラムの調査結果から、世界全体で男女の格差を完全に解消するには、99.5年かかるという試算があるそうです。ジヨンの娘であるアヨンが20歳になったころ。時代は、どんな景色をみせているのでしょう。「82年生まれ、キム・ジヨン」という映画を字幕付きで観て、こうつぶやく世界でありますように。
「これってファンタジー?」
<参考文献>
チョ・ナムジュ著・斎藤真理子訳『82年生まれ、キム・ジヨン』筑摩書房
鄭琮樺著・野崎充彦・加藤知恵訳『韓国映画100年史――その誕生からグローバル展開まで』明石書店
『ユリイカ 2020年5月号 特集=韓国映画の最前線』青土社
康熙奉『韓流スターと兵役 あの人は軍隊でどう生きるのか』光文社新書
池畑修平『韓国 内なる分断: 葛藤する政治、疲弊する国民』平凡社新書
上野千鶴子・田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』大和書房
斎藤真理子編集『完全版 韓国・フェミニズム・日本』河出書房新社
奥田祥子『「女性活躍」に翻弄される人びと』光文社新書
中野円佳『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』光文社新書
中村桃子『翻訳がつくる日本語: ヒロインは「女ことば」を話し続ける』白澤社
—
このコラムについてみんなで語り合えるオンラインコミュニティ「街クリ映画部」会員募集中です。また、コラムの新着情報をオリジナルの編集後記とともにLINE@で無料配信中です。こちらから「友だち追加」をお願い致します。
[イラスト]清澤春香