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不幸な死を遂げたミュージシャンたちの散り際エピソード〜飛行機事故編〜

加藤広大 加藤広大


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オーティス・レディング

この方についても多くを語る必要はないでしょう。事故で死去する3日前、彼の最後のレコーディングとなった『(Sittin’ on) The Dock of the Bay』は、たった2分38秒の中にソウルのすべてが詰まっています。

Reference:YouTube

 

享年26歳。もし、彼があの時飛行機に乗っていなかったら、それ以後どれほどの音楽的影響を世界に与え、たくさんの人々を踊らせることができたでしょうか。残念でなりません。

オーティス・レディング(出典:Wikipedia

1941年、ジョージア州ドーソンで誕生した彼は、同郷のリトル・リチャード、そしてサム・クックなどの音楽から多大なる影響を受けて育ちます。そして1962年、メンフィスにあるスタックス・レコードにて、彼にとって、そして音楽の歴史にとって大きな転機が訪れます。

ジョニー・ジェンキンスというミュージシャンのレコーディングに運転手として同行していた彼は、「空き時間に歌わせてくれないか?」とスタッフに申し出ます。ほどなくして、スタジオに居合わせた人々は伝説の誕生を目の当たりにすることとなりました。

その後も着々とキャリアを積み重ね、喉のポリープも乗り越えて、さあ、これから脂が乗って来る頃だと言う矢先に悲劇が訪れます。

1967年12月6日・7日の2日間、メンフィスにてレコーディングされた3日後の12月10日、オーティス・レディングとファンク・ソウルバンド、バーケイズのメンバー4人、そしてマネージャーとパイロットの合計8人は、公演のためにウィスコンシン州マディソンに向かうべく双発機「ビーチクラフトモデル18」に乗り込みます。しかし、その飛行機は濃霧の中滑走路を見失い、近くのモノナ湖に墜落してしまいます。トランペットのベン・コーリーを除く7人が死亡しました。

オーティスの死後、先述した『(Sittin’ on) The Dock of the Bay』はチャートを駆け上がり、1968年3月16日に週間ランキング1位を獲得します。

生前、オーティスはシングル化に難色をしめすレコード会社にこう語っていたそうです。

「俺の初めてのナンバー・ワン・ソングになるぜ」

彼はその言葉が現実になるのを目にしないままこの世を去ってしまいましたが、年齢に見合わぬ貫禄とどこか悲哀に満ちた歌声と共に、人々の心に生き続けています。

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