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不幸な死を遂げたミュージシャンたちの散り際エピソード〜飛行機事故編〜

加藤広大 加藤広大


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出典:Wikipedia

若くして才能もありながら、惜しまれながら亡くなってしまったミュージシャンたち。前回は、主に男女関係のもつれから夭逝してしまった方々をご紹介しました。

今回は、音楽家の中でも意外と多い死因である、飛行機事故で亡くなってしまったミュージシャンをご紹介します。

バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.“ビッグ・ボッパー”リチャードソン

飛行機事故で惜しくも亡くなってしまったミュージシャンを語るとき、このエピソードは外せないでしょう。1959年2月3日、一機の小型飛行機がアイオワ州クリアレイク近郊に墜落し、搭乗していた4人全員が亡くなりました。この日は、ドン・マクリーンが「アメリカン・パイ」の中でこう表現しています。

「音楽が死んだ日」

この事故は、それほどアメリカの音楽界、とりわけロック界隈では一大事だったのです。

事故の顛末はこうです。件の小型飛行機の搭乗者は、パイロットのロジャー・ピータースンの他、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.“ビッグ・ボッパー”リチャードソン(以下ビッグ・ボッパー)の3人のロック草創期を支えた、それはもう偉大なるミュージシャンが乗り合わせていました。

左からバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパー(出典:Chicagotribune.com

この3人がどれほど後の音楽に影響を与えたかに関しては、おそらくすべて書き出したらこのご時世においても、ページが読み込めずにブラウザがフリーズするほどの情報量になりますし、街クリのサーバーに多大なる負荷をかけてしまう可能性がありますので泣く泣く割愛しますが、百聞はなんとやら、3人を代表してバディ・ホリーの代表曲『Peggy Sue』をお聴きください。

Reference:YouTube

彼らは当時「ウィンターダンスパーティー」と題されたアメリカ西部を回るツアーに参加していました。ところが、移動に利用していたバスのエアコンが早々にイカれるわ、エアコンがイカれたから寒さでバディ・ホリーのドラムが凍傷になるわ、プロモーターが日程を埋めたいがために無かったはずのギグを勝手にブッキングするわとかなりブラックで、それはそれは過酷なツアーだったようです。

その勝手にブッキングされた「無かったはずのギグ」が行われたアイオワ州クリアレイクに一行が到着したのは事故の前日、2月2日の午後でした。すでに辛い移動に嫌気が差していたバディ・ホリーは、バンドメンバーに「もう飛行機で移動しちまおうぜ、この際よ」と語っていたそうです。

そこで白羽の矢が立ったのが、当時地元の飛行機会社「ドワイヤー・フライングサービス」に努めていた若干21歳のパイロット、ロジャー・ピータースンでした。彼は一人あたり36ドルの料金で、ミュージシャンを小型単発機「ボナンザ」に乗せることを了承します。ボナンザの定員はパイロットを除いて3名。ここから彼等の運命は大きく動きます。

ビッグ・ボッパーは風邪をこじらせていたことから、もともと乗るはずだったバディ・ホリーのバンドメンバー、ウィロン・ジェニングスに席を譲ってくれないかと頼み、ジェニングスはこれを受け入れます。そして、リッチー・ヴァレンスも、バンドメンバーのトミー・オールサップに席を譲って欲しいと頼むのですが、トミーは

「もうひとつの席はコイン次第だ」

と返したそうです。そして離陸直前、DJのボブ・ヘイルが彼等の前でコイントスをし、その結果不運にも勝利してしまったリッチー・ヴァレンスは飛行機に乗り込むこととなります。そして、生憎の悪天候の中、経験不足のパイロットのミスも重なり、ボナンザは時速270kmで地面に叩きつけられ偉大なるロックン・ローラーたちは還らぬ人となってしまいました。

奇しくも、彼等が搭乗した小型飛行機名のボナンザは、「大当たり」「思いがけない幸運」という意味を持っています。何たる皮肉でしょうか。

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