ふだん広告代理店でテレビCMのプランナーやコピーライターをしている僕が映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくコラム。それが、「田中泰延のエンタメ新党」です。それだ。それです。
それなのです。なのですが、更新が遅い! そこで、「街角のクリエイティブ」編集長・西島知宏氏が重い腰を上げ、対談なら何とかなるだろうということで始まりました、
【エア対談】「田中泰延のいい黄身だ」。
いや、ほんとうにこのタイトル、さっぱり意味が分かりませんけど、西島さんが決めましたし、僕は反論しません。編集長には逆らえないのが資本主義なのです。かつて僕と西島編集長は、同じ会社の先輩後輩の間柄でしたが、いまは編集長と原稿の遅いライターという関係になり、立場が逆転しています。社会の階層というものをしみじみと感じる出来事です。
たとえ自分が間違っていても後輩には繰り出すことができた必殺技
「お前、平成何年入社や?!」はもう使えないのです。
さて、社会問題に提言したり、トランプ政権に関して論ずるのはこれぐらいにして対談を始めたいと思います。
田中泰延
はい、始まりましたね。
西島知宏
小野はオブザーバー的にお菓子を食べながら見ておりますので、ご安心下さい。
編集部・小野
ブルボンのアルフォートが好きです。それと、今回の対談はチャットキャストという会話型記事作成サイトを利用してください。それから、アルフォートはリッチミルクチョコが好きです。
泰延さん、まず今回の対談に関してです。そもそも、何でこんなに分かりづらいツール(チャットキャスト)を使うんですか?
あんたが使えというたからや。
そうでした。では始めます。
もう始まっとるがな。ていうか画面越しにキーボードで話し合ってるのに、写真はまるで大阪・北新地の「木曽路」の個室でリアルに対談してる風ですね。
それは半年前に大阪・北新地の「木曽路」の個室で対談したときの写真の使い回しですし、泰延さんが勝手に写真を貼ってますよね。
すき焼き定食が食べたいです。
知らんがな。さて、この【エア対談】「田中泰延のいい黄身だ」は泰延さんの街クリの連載を月1で確保するため、映画コラムが書けない場合に実施するプランB的な企画です。
大事ですね。プランB。
たとえCカップでなくても納得するためのやつですね。
下ネタですね。
まだそんなに下まで行ってません。カップの話はどちらかというと上の話です。
はい、その通りです。それでいいです。さて、適当にテーマを決めてサクッと東京と大阪で話しあう企画の第一回は「優秀なライターが持っているもの」にしました。これは泰延さんがコピーライターもやられて、最近は街クリそっちのけでネットで記事を書きまくられているので、ネットと広告における向き合い方の違いなどをまずはお伺いできればと。
「そっちのけ」とは心外な。あちこちから記事を書いてほしいというお話が来て、断り方がわからなかったんです。で、この「優秀なライターが持っているもの」ってテーマ、西島編集長には痔瘻があるそうですね。間違えた、持論があるそうですね。
持論と言っても大した持論ではないのですが、私もネットでちょろっと文章を書いている手前、優秀なライターとそうでないライターの違いについて、考えることがあるんです。
ふむふむ。
共通項を発見できること
ひろのぶさんが以下のツイートでも仰ってた
ライターの仕事はまず「調べる」ことから始める。そして調べた9割を棄て、残った1割を書いた中の1割にやっと「筆者はこう思う」と書く。つまりライターの考えなど全体の1%でよいし、その1%を伝えるためにあとの99%が要る。いきなり思うことを書いて今お金もらってる人、すぐ仕事なくなるよ。
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2016年8月31日
あ、うんちくとうんちくんは違うって話ですね。
これね、「うんちくとうんちくんは違う」てよく言うんですけど、
別にギャグでもなくてですね、
「蘊蓄(うんちく)」はやはり、仕入れがあって、蓄積の上に溢れるものなんですよ。文字通り。
「うんちくん」は、垂れ流しなんですよね。文字通り。
なるほど、下ネタ被せですね。
たしかにBカップ地点からはだいぶ下がってきました。重力に逆らわずに話をしていると、自然に下ネタになるんです。
僕、これに関しては、こうも書いてました。
若い書き手におっさんらしく言わせてもらう。歴史や社会や科学と分断された状態で自分の関心事や享楽と向き合ったところで、それは書いても書いても書いても鏡に写った自分の話でしかないぞ。何万いいね的な共感を得たように見えても、それぞれが鏡に映った自分に向き合ってるだけやで。
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2016年8月17日
なるほど。ひろのぶさんや、他の優れた文章を書く人のモノを見ていると「調べること」もそうですが「知っていること」→「共通項を発見できること」→「普遍的価値、方法論として提示できること」が重要だなと改めて思うのです。
例えばこれは、エンタメ新党の「神々のたそがれ」の回の一節なのですが、
これな。「その話はまたいつかしようと思います。」って言って一生しないやつな。
そのうちしてください。たぶん、「神々のたそがれ」を見て「ガンダム」との共通項を、ほとんどの人は見いだせられないわけなんです。
そこが評論というものを書くにあたって楽しいけど難しいところなんですよね。それを読んで、これ「牽強付会」だよ、って言われたら終わりですからね。「
そこで、強引だと言われない、他人を納得させて感心させる。それができる人がコラム的長い文章を「書ける」人なのではないかと。
不思議なことに、「ガンダム」を夢中で見ていた中学生の自分は、何十年の後に、これがロシア人が創った映画と脳の中で「つながる」とは思っていません。
ふむふむ。