文章の「静か」さについて
最近、ある人の、なんてことないブログを読んでいて思ったのですが、
まさか僕の書いた「鶴の恩返し」じゃないですよね?
もう、まったく全然違います。
見解の相違がありますが、お聞かせください。いい文章とは?
いい文章は、「静か」である。ということです。
なるほど、表現しようとしていないということなんでしょうか。
いい文章とは、目的を達成するために書かれたものではないこと。
もちろん政治的な目標を達成するための檄文も、思想的に啓蒙を進めるための名文もあります。ただ、しかし、それはあくまで用途のある巨大な建造物のようなもの。広告文もそうですよね。ある目的を達するためのもの。
はい。
それに対して、「静か」な文章とは、書いている時、時間と、目的地から切り離されたもの、そしてそれを読む側も切り離されるものではないかと思ったんです。
ウケたい、とか、話題になりたい、とか「面白い話やろ! 読んで!」とかでもない。
なるほど。文章がただそこにある、と。
いい文章は、水のように流れてきて、静かにグラスを満たし、その読後感は、無味無臭で、透明なもの。
なかなか難しいですけど。
しかし、ある目的をもって書かれたはずなのに、結果的に上記のように【いい文章】になることもある気がします。
「静か」ってリアルとはまた別なんですかね? クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観ていて思ったのですが、助かった親子も、管制官も、公聴会がうまくいった時も、誰も歓喜しないんですね。人は本当に驚いた時は歓喜できないわけで、そこを映画という表現物だからといって温度を上げない。これがリアルなんだな、凄いな、と感じたんです。
ああ、それは「節度」なんですね。「静か」に書くためには、筆のほとばしりや、激情を注意深く避けなければいけない。
なるほど。
クリンとイースとウッドの三人組、さすがですね。
そのギャグ、ひろのぶさんから聞くの20回は超えてます。