ケース1 触れたその手を離さない「“ながら”気功運転手」
遡ること2年前。私が人生で初めて海外へ長期滞在するためにタクシーをつかまえ、ひとり空港に向かっていた時の話。楽しみだったはずの海外生活を目の前に、自分でも驚くほどテンションだだ下がりで車内の窓にもたれかかっていたところ・・・
・・・ご旅行ですか?
はは、まあそんなもんですね、ただ期間がちょっと長めですけど。
寒い時期なんで体には気をつけてくださいね。
そうですね、節々が痛いですね。寒さのせいですかね。冷えがひどくって、あっちで生き延びれるか心配です。
“冷え”! ですか!?
彼は突然開花した。
僕はねえ・・・、“気功”ができるんですよ。お客さんみたいな冷えに悩んでいる人を乗せた時には、たまに僕の気功をプレゼントするんですよ・・・。
そうして、私に片手を肘掛けに置くように促す運転手。
空港まであと10分・・・ちょっと短いけどやってみましょう。
一体何なんだこの人は。そう思っているさなか、彼は運転しながら自分の左手を、私の手に添わせるようにして気功を送り始めた。
(なんだろう、このシチュエーション。どちらかというと運転に集中してほしい。気まずい。非常に気まずい。新手のセクハラ?)
時折気を送る彼の手が力を込めすぎたのか震える。血管が浮いている。このまま彼の血管が切れないか、心配になってしまうほどである。
空港着10秒前。運転手は忘れていた呼吸を一気に始めるようにして、息を大きく吸い込んだ。そして近年稀に見るドヤ顏でこう言った。
・・・どうですか? ポカポカしてきませんでしたか・・・?
ああ・・・っ。たしかに言われてみれば、腰と肩あたりの筋肉が緩んできてコリが和らいだ気がしますね・・・。
思ってもいないのに、あたかも実感しているような嘘がペラペラと口元から放たれる。こんな自分が嫌いである。
幸先良い感じになりました。ありがとうございます。これであっちの国の寒さも耐えられるかもしれません。
お気をつけていってらっしゃい!
また嘘をついてしまった。しかし、彼は満足げな顔で颯爽と去っていったのであった。気功運転手、ありがとう。正直、あのポカポカは途中から差してきた日差しのおかげだけど、ナーバスだった感情が幾分か緩和された瞬間だった。