ドアを開ける。ノーマスク・ノーサングラスだ。顔面が何ものにも守られていないなんて、スリリング。大人の気分である。こういう小さなステップが、わたしという人間を成長させてくれるのかもしれない。なまぬるい風が頬を撫でる。一歩を踏み出すとき、なぜだかまた、涙があふれそうになる。顔を上げたら、ぽたり、足元に鼻水が舞い落ちた。
ズババ。グシュ。
わたしは進む、鼻水と共に。迷いや不安、醜い嫉妬心すらも、流されてゆくかのようだ。向かい風とあいまって、顔面はもはや、何らかの液体にまんべんなく覆われている。かまうものか。こいつらだって、かけがえのない「わたし」の一部だ。ブッダは言った。「自他不二」と。全ては一つであると。わたしと鼻水は一つであり、わたしと花粉は一つである。立ち止まり、涙に濡れた瞳を閉じる。唇の間から、ささやきがこぼれた。
「宇宙・・・」
いいんじゃあないだろうか。壮大な何かについて考える余裕が生まれている。大人な感じである。成長とかすっとばして、ちょっと悟りはじめている様子なのも、すごくいい。底知れない雰囲気がある。人間的に大きいヤツというのは、えてして、底知れない何かを持っているものなのだ。まして、相手は花粉である。人でないもの相手に立ち向かうのならば、頭のネジを5、6本外しておく程度の思い切りは、必要不可欠であろう。わたしはすでに寛容さと壮大さを手に入れた。でもまだ足りない。親しみやすさだ。カリスマに必要なのは、そう、ふいに見せる、あどけない笑顔。
わたしは「許すわ」と「宇宙」を交互に呟きながら、満面の笑みを湛えて歩き続けた。だんだん、本当にユカイになってきて、「許すわ」と「宇宙」の間に「アハハハハハ」という笑い声が混じりはじめる。ファジー。とてもファジーだ。
「ブエクシュ! ・・・ゆ、許す。アハハハハハ、許すわ。ブエクシュ! ハハハハハハ、宇宙、ズバ、ハハッ」
自分で言うのもなんであるが、完璧である。人格者のオーラが伝わってしまうのか、往来の人々が我先に道をゆずってくれる。わたしと目が合うと、何か深遠なものの淵を覗き込んでしまったような顔をし、すばやく目を逸らす。はっきり言ってここまできたら、花粉症が治るのはもはや時間の問題である。わたしは待った。
「グシュ。許す・・・ブエクシュ! ハハハハ。フハハハハハ」
わたしは、待った。