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「劇場」の中心で、愛にできることはあっただろうか

ハマダヒデユキ ハマダヒデユキ


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モラハラ、ダメ。絶対。

みなさーん、松岡茉優は好きですかーーーーーーーー!!
みなさんが好きな松岡茉優ってどんな松岡茉優?!

「蜜蜂と遠雷」!? 「万引き家族」!? 「桐島、部活やめるってよ」!? 俺?! 俺は断然「勝手にふるえてろ」の松岡茉優ですよ!



出典:映画.com

アンモナイトや中学時代の初恋男にこじらせながらもね、一生懸命恋に生きる松岡茉優がね、最高なんですよ! ああ、もうなんなの、天使なの? 俺が勝手にふるえてますよ。

そんな彼女にモラハラするとんでもねえ男がいるんですよ。

信じられますか?
キレていいですか? 激おこいいですか?
今からそいつを、これからそいつを、殴りにいっていいですか?
YAH YAH YAH YAH YAH!!

……大変失礼しました、映画の話です。素晴らしい演技をされた山崎賢人には、一切の罪はなくむしろ惜しみのない賞賛を送らせていただきます。そんな二人の名演技と「演劇」の物語がこちら。

出典:映画.com

又吉直樹原作の「劇場」。本作も前回執筆した「ストーリー・オブ・マイライフ」と同じく本来の時期よりズレ、かつ大幅に劇場を縮小して公開された作品。公開後、各レビューは「山崎賢人の役がクズ男すぎる」「松岡の演技がいい。それゆえに彼女の精神が壊れていく様子がしんどい」といった話題で溢れています。

何より注目されたのが、原作小説とは異なるラストシーン。本作は劇場公開と同時にAmazon Primeでも配信されていますが、この結末は「映画館だからこそ活きるものだ」と各メディアで賞賛されています。その結末を中心に、今回は考察をしていこうと思います(ネタバレがっつりしています。ご注意を)

又吉映画第二作。賞賛される映画オリジナルのクライマックス



出典:映画.com

演劇で大成したいという想いを抱きながらも、なかなか芽が出ない青年・永田(演・山崎賢人)。彼を明るく支えながらも結果を出せずイラつく永田のモラハラもあって、徐々に心を壊していく女性・沙希(演・松岡茉優)。原作を手掛けたのは、気がつけばすっかり芥川賞作家の顔が定着してきたピース・又吉直樹です。すでにデビュー作「火花」も多くのメディア化を果たしているのは、皆さんのご存知の通り。


出典:映画.com


出典:filmark.com

彼は今回の映画化の感想を

物語として大きな事件があるわけでもなく、登場人物の心の中の揺れを描いているだけなので、「そんなんどうでもええやん」という一言で片付けられることもあります。無かったことにされやすい物語でもあります。

そんな物語を映画にするのは難しいと思っていたのですが、行定監督の名前を聞いて、それなら面白いものになると思いました。行定監督の映画は、いずれの作品も繊細な感情を丁寧にすくい取って表現されているので、「劇場」の複雑な感情も逃さず光をあててくれるのではないかと思いました。

実際に完成した映画を観て、本当に嬉しく思いました。原作を大切に扱って下さったこと、それ以上に嬉しかったのは、模倣などではなく、原作を理解した上での、新たな語り直しであったことです。小説では表現できない映像もいくつも有って、原作者の自分でさえも作品を改めて理解できる嬉しい発見がありました。
公式パンフレット・又吉直樹インタビューより

と答え「GO」(`01)、「世界の中心で、愛を叫ぶ。」(`04)をかつて手掛けた行定勲監督の演出を絶賛しています。その際たる例が永田が自らの更生を誓い、実家に帰る沙希にエールを送るラストシーン。小説では二人が暮らした部屋で行われたシーンでしたが、映画では部屋の壁が途中で崩れ、演劇舞台に移動するのです。

これは「屋体崩し」と呼ばれる技法で、永田が成長を宣言して終わる原作に対し、実際に成長した永田が演劇で「沙希との思い出、感謝と謝罪」を表現し客席の彼女を励ます少し未来を描いたシーンとなっています。

小説としては見事なラストシーンです。でも、映画にするのであれば、あの部屋を飛び越えて劇場にしたかった。演劇ではなんでもできるんだってセリフがあったけれど、映画だってなんでもできるんだって、張り合ったというのもあります(笑)。

今の沙希に当時の沙希を外側から見せたらどうか、そのアイデアがヒントとなって映画のラストシーンが生まれました。
公式パンフレット・行定勲インタビューより

「一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことがなんでできなかったんだろうな。」

小説のキャッチコピーであるセリフも含んだ、劇場の中心での告白。

この演出により、実際に映画館で鑑賞した際には映画館の客席とスクリーンに映る舞台の客席が重なり、あたかも沙希と同じ場所から永田の演技を見ていたかのような錯覚に陥ります。「劇場」というタイトルにとても相応しいクライマックスとなりました。

ひげを生やした山崎賢人演じる永田。虚栄心と暴力性の克服を「演劇」で表現



出典:映画.com

そんなラストに向かうまでの永田は、我が道を行きつつも迷走に迷走を重ねる青年です。同業者の成功に苛立ち、沙希に甘え続ける一方で当たり散らす役柄は、「キングダム」(`19)や「四月は君の嘘」(`15)などで主人公を演じた山崎にとって新境地。行定監督は「その顔を汚したい」と考え山崎に、それまでの役にはないボサボサの髪とヒゲを与えています。

僕自身は永田のひげや髪は鎧みたいなものだと思っています。他人との間に張っている壁みたいなものだろうし、バリアーみたいなものじゃないかと。たとえば、おでこを全開にしている人って壁がなさそうに見えません? 永田は髪で顔を覆うような感じにすることで、どこか人を遠ざけているところがあるじゃないかと
『日本映画navi 2020vol.86』・山崎賢人インタビューより

自分の劇団を抜けようとする人間を脅したり、沙希に「沙希ちゃんのオカン嫌いだわ」とすごむシーンから、ピュアゆえの虚栄心、制御できない暴力性が彼の中に混在しているのが見て取れます。この映画の始まりである顔のアップや時折流れるモノローグから、個人的には同監督の「GO」の杉原を連想しました。

出典:Amazon.co.jp

また彼は演劇という才能の世界に身を置き、自分は他の人間とは違う特別さがあると嘯きつつ、同世代への嫉妬心を爆発させます。

『まだ死んでないよ』の作・演出を手掛ける小峰という男が自分と同じ年齢だと知り、不純物が一切混ざっていない純粋な嫉妬というものを感じた。彼を認めるということは、彼を賞賛する誰かを認めることでもあって、その誰かとは、僕が懸命にその存在を否定してきた連中でもあった。
『劇場』又吉直樹・著

その「まだ死んでないよ」の団員と飲食店で対面し、知らない振りを装うシーンは彼の心の弱さが非常に描写されています(同時にこの時、沙希と他の男との関係を疑っていることも含め)。

永田は不器用で可愛げがあって個人的に好きなのですが、書評や感想に「どうしようもないダメ男」と過剰に書かれることが多かったです。その度に、自分と周囲の捉え方に違いがあると思っていました。小説は永田の一人称で書いているので、永田の視点で表現していますが、映画になると当然のことながら永田自身の姿も見られるわけで、客観的に永田を見てみるとーーー本当にどうしようもない男でした(笑)弱いから強がる、未成熟ゆえの弱さ。そんな永田の弱さを沙希は気づかないフリをする、優しさから受け入れようとしてしまうんですね。
公式パンフレット・又吉直樹インタビューより

数々の失敗を繰り返した結果、7年交際した沙希と別れ成長することを決意する永田。自分の弱さを認めることができたからこそ、映画オリジナルの「想いを込めた屋体崩し」が生まれたのでしょう。

しかし僕にはこのラストを美しいと感じながらも、できれば見たくなかったシーンに思えました。それは、客席の沙希がずっと涙を流し「ごめんね」という言葉を繰り返していたから。

沙希は永田に本当に救われたのか? 断片的に綴られるキーワードから考察する閉幕の真相

原作通り最後は笑顔を浮かべる沙希ですが、彼女は本当に救われたのか? その心情について、幾つかのセリフから推察してみることにしました。

出典:映画.com

まず一つ目は、彼女の家にふらりと帰ってくる永田に何度も言う「梨のあるところが一番安全です」というセリフ。梨の花言葉は「愛情」「癒し」であり、沙希の都合を考えずに帰ってくる永田への変わらない献身的な気持ちをとてもよく表した言葉と言えるでしょう。松岡も脚本で読んだ際に「このセリフを私は言いたい!」と心惹かれたのだとか。

そんな常に優しい笑顔を浮かべる沙希を、永田は苛立ちのはけ口にします。沙希が学校の友人からもらってきたバイクを無造作に乗り回し、道の端からおどけて「ばあああ」と登場し笑わせようとする沙希を徹底的に無視する永田。周回するごとに沙希の笑顔がなくなり、最終的に永田の手によってバイクが壊されるシーンは二人の崩壊する未来を連想させます。

それでも、現実世界で迷走する永田を笑顔で支える沙希。ですが7年間の交際の中で、帰宅した彼に「わたし、お人形さんじゃないよ」と冷たい声を発するという変化を見せるようになります。そして永田を嫌う青山に誘われ他の劇団を見に行き、彼にばれた際には

「だからわたしだって、ずっと気を使っていたんだよ。気づいてないと思うけど、永くんって、わたしのこと褒めてくれたこと一度もないんだよ!」
『劇場』又吉直樹・著

とこれまで見せなかった感情を爆発。やがてまともに睡眠を取ることすらできなくなる姿から、彼女の精神的なダメージがいかに蓄積されていたのかがわかります。


出典:映画.com

沙希でもう一つ印象的なのが「今までよく生きてこれたね」と永田に優しく語りかけるセリフ。居候しながら生活費も払わない、一晩中TVゲームに興じる、余裕があるように見せて時折「お前は俺を馬鹿にしている」と感情を爆発させる。彼の弱さを沙希は見抜いており、それでも温かく迎え、ひっそり傷つき続ける。二人の間に確かに愛はあったけれど、同時にとても歪な7年を過ごしてきたのです。

いつも笑っている人が、いつも傷ついていないとは限らない。あいつは罵倒してもまた笑ってくれる。傷つけても愛してるから大丈夫だというのは、身勝手な妄想でしかない。

永田がそこからようやく成長したきっかけが、彼女と別れたこと。そしてその謝罪と励ましの方法が、自分との7年間を大衆の前で舞台で表現すること。彼女がどれほど精神的に立ち返った未来かはわかりませんが、それは「私がそばにいた限り、この人は何も変わらなかったんだ」と現実を突きつける結果になったとも考えられます。

ラストシーンの舞台では永くんの「今度は、俺が(梨の皮を)むくから」というセリフがあって、もう遅いよ……と思うのですが、間に合わないことも世の中はあるけれど、それでも彼の言葉は沙希ちゃんにとってうれしかったんだと思います。自分は永くんという人と逃げずに向き合ったんだ、ひとりの人と向き合い続けたんだというその事実と自信は、沙希ちゃんをこれからも励ますと思うし、人生の節目節目で思い出すだろうし、死ぬ間際にも思い出すかもしれない。
公式パンフレット・松岡茉優インタビューより

ふたりは言葉を交わさなかったし、直接会わなかったし、沙希の「ごめんね」というセリフは永田の夢は叶わないことの表明であるけれど、彼の想いはちゃんと彼女に届いていたと思っていて。最後、彼女は名残惜しそうに席を立って、足を止めて、もう一度だけ舞台を見る。あれって人生そのものですよね。人生に対しての後悔と、もう後悔しないと受け止めたことと、それは永田が沙希にしてあげた最大の恩返しでもある。目の前の彼女を笑わせるーーー小説のその先を映画では描きたくて、それが何において幸せなのかということに繋がる。傍目には不幸に見えても自分としては決して不幸じゃないことって、たくさんあるじゃないですか。劇場を後にして沙希が下北沢の街をひとり歩いている姿は、肩を落としているんじゃなくて胸を張っている、僕はそう思いたいんです。
公式パンフレット・行定勲インタビューより

演じた松岡本人と監督がそう語る以上、あれは沙希が救われたハッピーエンドなのでしょう。ですが、僕にはあの「劇場」が彼女の奥底に眠った傷を掘り返す行為にも見えました。

変わらずにそばにいて欲しかったけれど、同時に自分はこの人を変えることがずっとできなかった。許したいのに、許せない。永くんが、耐えて耐えて壊れた自分自身が。その葛藤も込められた「ごめんね」だったのではないか。最後のエンドロールで立ち上がり劇場を見つめていた沙希は、本当に晴れた表情をしていたのか。俺は君のおかげで成長できた、だから沙希ちゃん笑ってくれ。永田の気持ちを込めた表現は、彼女に笑顔を届けながらも、最後の最後まで身勝手に彼女を傷つけたのではないのか。

小説ではそれでも将来の二人に希望を感じられたラストだったゆえ、その先を描いた映画版は「確かに美しいけれど、見たくなかった未来」というのが何度か鑑賞した結論でした。

 

不安定な二人がそれでも7年暮らせたのは、そこが下北沢だったから

さて、ここで少し個人的な話題について触れたいと思います。それは本作の撮影された主な舞台が、東京・下北沢だったこと。僕はこの街に約4年ほど暮らし、この春大阪へと引っ越しました。有り難いことに関西での暮らしは周囲の人に恵まれていますが、それでもスクリーンに映し出された見覚えある光景には胸を締め付けられました。



出典:映画「劇場」オフィシャルサイト

当時の南口商店街は今よりもチェーン店が少なく昔ながらの個人商店や喫茶店が多かった。珍しい雑貨屋がたくさんあって、いちいち立ち止まって眺めたり、かっこいい内装の喫茶店でお茶を飲んだりした。ただそれだけの思い出だったが、そのにぎやかさは明らかに地元谷中銀座の賑わいとは違っていた。下北沢のにぎわいは若い人が未来を作るためのものであって、地に足の着いた生活の買い物のための大人のにぎわいではなかった。そこにまた若い私はしびれてしまった。
『下北沢について』吉本ばなな・著

駅前のヴィレッジ・ヴァンガードや地下の劇場。茶沢通りに面したレコード屋。通いつめた公園近くの図書館。いつものように歩いた道。道。道。

演劇の聖地とされていますが、あの街はそれ以上に「東京で最も温かい場所」だと僕は思っていて、何故か他の下北沢暮らし経験者も似たような意見を述べていることをよく耳にします。珍しい雑貨屋が多いことを「おもちゃ箱をひっくり返したような街」と表現する人もいれば、街から離れた今も学生時代に親しんだ焼き鳥屋に足を運び続ける人もいる。そして地方に帰った今も「新宿や渋谷から少し離れているだけなのに、ぶらりとお芝居が見れたりする安心できる場所だった。あそこで過ごした数年間が自分の人生で一番幸せだった」と遠い目で語る人もいる。そんな不思議な安堵感がある空間が、下北沢なのです。

沙希は理想的な速度で歩いてくれた。僕は自分よりも速く歩く人は嫌いだし、自分よりも歩くのが遅い人はもっと嫌いだった。おなじ速度で歩いてくれる人だけが好きだった。そうすることによって、歩く速度を意識させない人が好きだった。だが、沙希は完璧な速度で歩くことによって、僕は歩く速度について深く考えさせられた。
『劇場』又吉直樹・著

下北沢のあの終わりのない安堵感を知っているから、永田と沙希が不安を抱えつつ7年間暮らせた理由がとても理解ができ、そして大切な誰かを傷つけていた当時から成長しきれていない自分がダブっても見えました。多くのレビューでも書かれていたように、永田の迷走は誰もが身に覚えのある行動。そんな共感があるからこそ映画のラストが沙希の救いであってほしいと思う一方で、永田が許されてほしくないのだと感じたのかもしれません。

「おかえり」

反省の意味を込めてブロック片手に帰宅する永田に、沙希が笑顔を向ける幸せだった頃のシーンも、とても印象深い映画「劇場」。今コロナにより帰りづらくなっており、次に下北沢へ足を向ける日は当分先になるのでしょう。ですが、それでも、それでも時折あの場所に。



出典:映画「劇場」オフィシャルサイト

ああ、くそ。帰りてえな。


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[イラスト]清澤春香

街角のクリエイティブ ロゴ


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