困難を克服して栄光を掴む。
映画「アド・アストラ」のタイトルのもとになったラテン語の格言「Per aspera ad astra.(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」の日本語訳です。
「アド・アストラ」は「星の彼方に」という意味もあり、物語の冒頭で「TO THE STAR」とも出てきましたね。
いきなり始めましたが今回取り上げるのはブラッド・ピット主演の「アド・アストラ」。
出典:IMDb
もはや当然のごとく、ネタバレ全開。
気になる方は、鑑賞後にお読みください。
「2001年宇宙の旅」
「地獄の黙示録」
「ゼロ・グラビティ」
「惑星ソラリス」
この辺りが楽しめる方には激しくおススメします。
逆に、
「インターステラー」
「オデッセイ」
「アルマゲドン」
「スペース・カウボーイ」
この辺りをイメージ・期待している方には注意が必要です。
宇宙が舞台ですが、ド派手なスペース・アクションはありません。静謐で、ゆったりと、内省的に進む映画です。しかし、決して、退屈じゃないのが凄いんです。
ひとりの宇宙飛行士が直面する困難とは?
そして、彼方で手にする栄光とは?
それでは、どうぞ。
思ってたのと違う? 賛否両論は仕方ない
まずは、予告編をご覧ください。
出典:YouTube
公式サイトからあらすじを引用しましょう。
時は近い未来。宇宙飛行士ロイ・マクブライド(ブラッド・ピット)は、地球外知的生命体の探求に人生を捧げた科学者の父クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)を見て育ち、自身も宇宙飛行士の道を選ぶ。しかし、父は探索に出発してから16年後、太陽系の彼方で行方不明となってしまう。だが、父は生きていた。ある秘密を抱えながら。父の謎を追いかけて地球から43億キロ、使命に全身全霊をかけた息子が見たものとは?
「アド・アストラ」公式HPより
出典:IMDb
予告でロイを心配そうに見つめる女性は「アルマゲドン」のリヴ・タイラー。
出典:映画.com
ロイの監視役には「赤い影」などのドナルド・サザーランド。
出典:IMDb 「24」のキーファー・サザーランドのお父さん。
トミー・リー・ジョーンズとドナルド・サザーランドのコンビといえば、クリント・イーストウッド監督の「スペース・カウボーイ」。歴戦のおじいちゃんたちが宇宙に向けて奮闘する姿に笑って勇気をもらえて、最後はホロリとさせてくれる痛快な作品です。
出典:IMDb
「アルマゲドン」と「スペース・カウボーイ」を意識したキャストから考えても「地球を救う」活躍が描かれるような期待が高まります。
父の秘密とは? どんな旅になるのか? ロイは地球を救えるのか?
……しかしですね。
冒頭から、どうやらそういう映画じゃないらしい雰囲気が漂ってきます。
ロイの独白で物語が進みますが、その言葉は「これは芝居なんだ」「僕に触れるな」「自滅的傾向がある」。えらい後ろ向きです。
結論からいいます。
「アド・アストラ」は
感情に乏しく、他者を受け入れられない男が自分の心(インナー・スペース)の旅を通して人間性を回復する。
という物語なんです。
インナー・スペース【inner space】
① 精神世界
② 大気圏の内側
大辞林 第三版より
宇宙空間(アウター・スペース)は、ロイの精神世界(インナー・スペース)のメタファーでもあるわけです。
冒頭とラストのロイの心理検査の目線や表情の違い。恋人のイヴ(他者の象徴)が冒頭の回想ではぼかされているのに対し、最後の待ち合わせ時ははっきりと顔がわかっていることから、火星・海王星へのミッション、父との対峙をとおして、ロイの人間性が大きく変化していることが分かりますよね。
帰還後の笑顔は「新世紀エヴァンゲリオン」ヤシマ作戦後の綾波レイのようでした。
出典:IMDb
笑えばいいと思うよ。
なので、予告の印象とちがうと思ってもしかたありません。公開後の反応は、賛否両論。「否」の方が多いような印象もうけます。
宇宙空間の表現は美しく、見ごたえがあります。冒頭の宇宙アンテナからの落下や、月でのカーチェイスなどSFとしての面白さもあるので、予告詐欺だ! というわけではないです。
それに、最初から「これは、心という未知の宇宙を巡る冒険」なんて哲学的に打ち出してもプロモーション(興行)的にちょっと……という考え方もできます。
賛否両論は理解できるし、好き嫌いがはっきり分かれると思います。
僕は、好きです。そして、2019年の今、語られるべき物語だと思います。
「アド・アストラ」を作り出したジェームズ・グレイ監督の作品にはどのような特徴があり、それが今作にどのように繋がっているのか? 考えていきましょう。
強みを封印した、監督の新境地
出典:IMDb
ジェームズ・グレイは1994年、25歳の時に「リトル・オデッサ」で監督デビュー。いきなりベネチア国際映画祭銀獅子賞を獲得し、注目を集めます。その後「裏切り者」「アンダーカヴァー」「トゥー・ラバーズ」「エヴァの告白」と撮っていくことになります。
「裏切り者」~「エヴァの告白」の4作にはいずれもホアキン・フェニックスを、主演か、それに次ぐ重要な役で起用。ホアキンといえば「JOKER」が注目されていますね。この原稿を執筆段階ではまだ「JOKER」は公開前。とってもたのしみです。
-
出典:Amazon.co.jp -
出典:Amazon.co.jp
-
出典:Amazon.co.jp -
出典:Amazon.co.jp
過去作から、グレイ監督の特徴だと感じたのが
■狭い街や人間関係に捉われた登場人物
■父と息子、兄と弟、元恋人と恋人、など男同士の関係
■絵画を意識した画づくり
「狭い街や人間関係に捉われた登場人物」「父と息子、兄と弟、元恋人と恋人、など男同士の関係」は、デビュー作「リトル・オデッサ」から顕著です。
出典:IMDb
リトル・オデッサとはニューヨーク・ブルックリン区のブライトン・ビーチの通称で、ロシア系、ウクライナ系の住民が多く住んでいる地域。殺し屋の男が依頼をうけ、地元に戻ったことで家族に起こる出来事を描いています。
ロシア正教の賛美歌をBGMに、ロシア系住民の閉ざされたコミュニティでの人間関係が生む息苦しさが重要な要素になっています。
「裏切り者」は母子家庭という境遇を背景に、真っ当に生きたいのに仲間や親戚の影響もあって悪い方、悪い方に転がっていく主人公が印象的です。特に、叔母の再婚相手で街の有力者である叔父が父親のような存在として主人公に影響し、大人として「現実」に染まるのか? それとも……。という感じで「父殺し」的な要素も含んでいます。
全部紹介するとキリがないですが、
「育った環境が与える閉塞感」「家族との関係」「父殺し」といったキーワードは「アド・アストラ」にも盛り込まれ、グレイ監督が繰り返すテーマといえます。
続いて「絵画を意識した画づくり」。多くの作品で既視感のある構図、油絵のような質感の画面といった特徴が共通しています。「エヴァの告白」なんて、油絵が動いている! という印象すら受けました。
「裏切り者」のブルーレイ版には特典映像として、映画づくりの参考にした絵画を紹介するコンテンツがあり、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖トーマスの不信』など多数が収録されています。
出典:Wikimedia 『聖トーマスの不信』
監督自らの音声コメンタリーもついてまして、「裏切り者」のラストカットの紹介で「撮影監督にイメージの絵画を見せて構図を共有した」という旨を語っています。具体的な絵の名前は分かりませんでしたが、一見して「絵画を意識してるな~」というのが伝わってくるシーンでした。
「アド・アストラ」の舞台は宇宙です。
時勢的には現代や過去を扱うことが大半のフィルモグラフィにおいて、新しい挑戦であることは間違いありません。シャトルや宇宙でのシーンが大半なことから「絵画的な画作り」という強みも発揮しづらかったのではないでしょうか。
そこで重要な役割を担ったのが、撮影監督のホイテ・ヴァン・ホイテマ。クリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」「ダンケルク」で撮影監督をつとめ、「ダンケルク」ではアカデミー撮影賞にもノミネートされています。
パンフレットでもグレイ監督は「ホイテが撮影現場の指揮官になってくれた」「彼には感謝している。なぜなら『インターステラー』で試した多くの技術的なことのほとんどを、私は知らなかったからだ」と述べ、「アド・アストラ」の画づくりに多大な貢献をしてくれたと語っています。
出典:IMDb インターステラー撮影時。カメラを持っているのがホイテ。
撮影はフィルムで行われ、月・火星・海王星のほとんどのシーンはロケ地で撮影した映像がベース。月のカーチェイスはカリフォルニア南部の砂漠で撮影されたとのことです。
出典:IMDb
結果的に「アド・アストラ」は未来の物語でありながら、非現実的すぎず確かな手ざわりがある映像になり「ロイの心の旅」というテーマに説得力を持たせることに成功していました。
製作会社は、ブラッド・ピットが社長を務める「プランBエンターテインメント」。
グレイ監督と「プランB」のタッグは2作目。前作はグレイ監督作品としては直近の「ロスト・シティZ 失われた黄金都市」。もともとブラッド・ピット主演でスタートしていたものの途中で交代。最終的にはチャーリー・ハナムが主人公の探検家・パーシー・フォーセットを演じました。
出典:IMDb 主人公の息子役を演じたのは、MCU版「スパイダーマン」のトム・ホランド。
「ロスト・シティZ 失われた黄金都市」はアマゾンの奥地に古代都市があると信じ、取りつかれたように探検を続ける主人公とその家族を描いた作品。息子との関係性も後半の大きなテーマとなっていて「アド・アストラ」との共通点も発見できます。
グレイ監督とブラッド・ピットは「リトル・オデッサ」の頃から親交があったようで、新人だった監督にブラッド・ピットが連絡をしてきたんだとか。プランBが製作で、ブラッド・ピット主演。そして、テーマは自分が撮り続けてきたこと。
「アド・アストラ」は、ジェームズ・グレイ監督にとっての集大成ともいえますし、それに見合うだけの作品に仕上げたのはさすがの一言。
ここからは「アド・アストラ」の物語に影響を与えた作品も交えながら、テーマを伝えるための語り口を紐といていきましょう。
神話・ヒーローズ・ジャーニーを踏襲した物語
公開前からスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」、ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』とそれを原案にしたフランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」からの影響が指摘されてきました。実際、グレイ監督や共同脚本のイーサン・グロスもこれらの作品からの影響を公言しています。
この辺りは多くの方が指摘しているのでサラッといきます。
■「2001年宇宙の旅」の下敷きのひとつは叙事詩『オデュッセイア』。「アド・アストラ」の主人公・ロイの名前は「トロイア戦争」から取られた?
■神話的という点でいえば、ロイの恋人はイヴ。ロイは最初の人間・アダムの位置づけか。感情のないロイが人間として帰ってくる物語とも捉えられる。
出典:Wikipedia ミケランジェロ作『アダムの創造』
■グレイ監督は、ジョーゼフ・キャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」の視点で「地獄の黙示録」を捉え直したと語っている。
■ヒーローズ・ジャーニーは、神話学者のジョーセフ・キャンベルが提唱した語りのパターン。
■ヒーローズ・ジャーニーは「日常生活」「冒険への誘い」「冒険の拒否」「賢者との出会い」「戸口の通過」「最も危険な場所への接近」「最大の試練」「報酬」「帰路」「復活」「宝を持っての帰還」という流れを経る。「アド・アストラ」もヒーローズ・ジャーニーを辿るように進行する。
■『闇の奥』「地獄の黙示録」は、共に未知の世界で人間の心が狂気的に変容していく様を描く。「アド・アストラ」では狂気に取りつかれるのが父・クリフォードで、息子・ロイは他者を受け入れる人間性を取り戻すように変容していく。
「ヒーローズ・ジャーニー」については『物語の法則』(クリストファー・ボグラー&デイビッド・マッケナ著 府川由美恵訳)という本に詳しく紹介されているので、興味のある方は読んでみてください。
神話や過去のSF的文脈を大いに含んだ「アド・アストラ」。その中でも、特に印象的だったのが「再生」を視覚的に表現しているという点です。
繰り返される「再生」のモチーフ
「アド・アストラ」がどのような物語なのか? 繰り返します。
感情に乏しく、他者を受け入れられない男が自分の心(インナー・スペース)の旅を通して人間性を回復する。
ロイという人間が別の人間となる「再生」の物語ともいえます。
宇宙を舞台にしたSF作品では「誕生」や「再生」を視覚的に見せるという手法が多く用いられます。
「2001年宇宙の旅」で、ボーマンたちが乗る宇宙船ディスカバリー号の造形は「精子」を彷彿とさせます。ボーマンが新たな生命体として「再生する」旅であることを象徴しています。
出典:IMDb
アルフォンソ・キュアロン監督「ゼロ・グラビティ」ではサンドラ・ブロックが宇宙ステーションで母体の中の胎児のように浮遊し、コードがヘソの緒のように配置されます。地球に帰還後の湖は羊水から出てきた出産を思わせます。ちなみに、キュアロン監督にとっての「産まれ直し」は「ROMA/ローマ」でも大きなテーマでした。さらにちなみに「ゼロ・グラビティ」のラストシーンのロケ地は「猿の惑星」(1968年)の不時着シーンと同じ湖。
出典:IMDb
出典:IMDb
リブ・タイラーつながりの「アルマゲドン」だと地球に接近する小惑星は「卵子」、それに向かう宇宙船は「精子」のメタファーで、2つが接触し、地球の命を守るという見方もできます。
これらを踏まえたうえで「アド・アストラ」です。
冒頭の冒頭、「近い未来~」とオープニングの文章が流れるシーンで流れるSE。
ゴォォォォォ ボッ ボッ ボッ と聞こえる音。
どこかで聞いたことあるなあと思い記憶をたどって思い当たったのが、妊娠中の検診で行われる超音波(エコー)検査の音。
ボッ ボッ というのはお腹の中で聞こえる胎児の心音。何回か検診に立ち会ったことがあって特徴的な音だったので憶えがありました。妻にも確認しましたが、たしかにそんな音はしていたとのこと。裏はとれておらず、僕の推測ですがテーマも考えると間違いではないかもしれません。
そして、赤い画面にボンヤリ映し出され、重なるいくつかの円。太陽系の星々のイメージですが、卵子のようにも見えます。
冒頭から、生命の誕生を暗示しているかのようです。
物語は進み、火星のエルサ基地へ。
火星で出会ったのは父・クリフォードに両親を殺された火星生まれの女性、ヘレン・ラントス(ルース・ネッガ)。彼女がヒーローズ・ジャーニーにおける「賢者」の役割ですね。クリフォードから大きな影響を受けている点で2人は兄妹ともいえます。彼女から父の真実を告げられ、海王星へ向かい父と対峙する決意を固めるロイ。
出典:IMDb
ヘレンに湖まで送り届けられ、宇宙船を目指します。
出典:IMDb このシーンは出産直後という位置づけでしょう。
ここから、妊娠→出産を逆に辿ります。
湖は羊水に満ちた、子宮。必死にたぐるロープは、ヘソの緒。宇宙船は、精子。自ら子宮に飛び込み、ヘソの緒をたぐり、精子へと帰る。向かう先は? 父・クリフォードです。
出典:IMDb
火星基地の名称「エルサ」は神話に登場する女神の名前。ロイを導く「ヘレン」は女神「ヘレネー」がラテン語化した「ヘレナ」が起源。火星が母体そのもののメタファーであるかのようです。ヘレナはトロイア戦争の原因。ヘレンはロイの起こす戦いの原因ともいえるわけで、幾重にも暗示が施されているんですよね。
ここまでくると字幕の「父との対峙」が「胎児」とかかっているのではないかとすら思えてきます。
火星~海王星までの道のりは、ヒーローズ・ジャーニーの「最大の試練」。自らの目的のために乗組員を(結果的に)殺害するという父・クリフォードとまったく同じ過程を経て長い・長い孤独の旅へ。
そして、父との対峙。
「リマ」に乗り込むと白黒のミュージカルが流れていました。1930年から40年代頃までハリウッド映画に多く出演したニコラス・ブラザーズの映像です。
出典:YouTube
あれが流れていたことで、クリフォードは完全に狂気的に変容したわけではない? という見方ができてきます。火星から送られたロイのメッセージがクリフォードに届いていたことになるからです。ロイは「小さいころ白黒のミュージカルを見たね」と語っていましたから。
ともあれ、30年以上を宇宙で過ごしたクリフォードは地球で英雄と称えられた姿とはまるで変わっていました。まるで、月から火星への航路で出会った実験船の猿のよう。
出典:IMDb 30年間、よく食糧がもったものです……。
父との再会後、特にお互いが宇宙服になってからは「え? これロイ? クリフォード?」と思えるほどお互いの顔が似ていてびっくりしました。意図的に同化を表現しているんじゃないかとも感じたのですが、どうなんでしょう。
父の体内に精子として戻るわけですから。
最終的にクリフォードは、最後まで知的生命体とのファーストコンタクトにこだわったまま、闇の奥へと消えていきました。
ロイは「リマ」の核爆発を推進力にして地球へ。再び父から放たれ、母なる大地へ産まれ直します。
出典:IMDb 核が都合の良い道具として描かれるのは、正直違和感がありました。
「孤独が終わる」ことを願いながら。
「アド・アストラ」が示す、希望
「アド・アストラ」を考えていく過程で過去のSF映画をいくつか見ましたが、もっともテーマ的に近いと感じたのが、1972年のソ連映画「惑星ソラリス」です。監督はアンドレイ・タルコフスキー。
出典:IMDb
海全体がひとつの知的生命体であるらしい星「ソラリス」と人類がファーストコンタクトした未来。ソラリスを探索中の宇宙ステーションに派遣された主人公・クリス。荒れ果てた宇宙ステーションでクリスが出会うのは、奇妙な小人、自殺したはずの妻、ソラリスが起こす奇怪な現象の数々。
地球外知的生命体とのコンタクトを描いているのに、主人公の過去のトラウマや心のありようを示すかのような映像が連続するなどスペース・アクションとは程遠い哲学的で文学的な映画です。
宇宙ステーションなのに、3人いる科学者が誕生会をしようとスーツで図書室に集まったりするんです。見ている側も、どこにいて、何を見せられているのか分からなくなってきます。
誕生会のシーンで科学者のひとり、スナウトがこんなことを言います。
出典:IMDb 高齢の科学者・スナウト。
科学? バカバカしい
こんな状況にあっては科学もクソもありゃしない
我々は宇宙の征服など考えるべきではない
地球の開発だけで充分だ
別の世界は理解できないし する必要もない
我々に必要なのは“鏡”だ
だが接触すべき対象はいまだ見つからず
化け物に向かい猪突猛進するような―
愚かな状況に陥っている人間には人間が必要なのだ
映画「惑星ソラリス」より
「アド・アストラ」で描かれる未来。商用で気軽に月に行けるように進歩しても、目にするのはSUBWAYやDHLの看板。地球の延長。資源を巡ってつづく争い。
ロイは鏡のように自らが映る宇宙船の窓を眺めながら、自分と向き合います。最後に望むのは、孤独が終わること。他者に心を委ね、苦悩を分かち合い、労り合う。
出典:IMDb
43億キロの旅の果てに掴んだ栄光は、他者の存在、他者を受け入れること。
ある意味、それだけです。
しかし「それだけ」のことを本当にできている人がどれだけいるでしょう。もちろん、僕も含めてです。科学は映画の世界に近づくように進歩しても、人間の心はどこまで進歩したというのでしょう。
壁をつくり、あちらとこちらを分けるようなことばかりではないでしょうか。人類以外の知的生命体を果てしなく探すように、見つかることのない栄光ばかりを狂気的に追い求めてばかりではないでしょうか。
人間には、人間が必要だ。
このメッセージの重みは、1972年よりはるかに増しているのではないでしょうか。
グレイ監督とブラッド・ピットが用意したのは「それだけ」ですが、それはたしかな希望です。
希望を受けとった我々がどうするか。まずは、暗闇に映る自分の姿を静かに見つめることから始めることなのかもしれません。
見つかるのは、愛か狂気か。
「アド・アストラ」を見た人であれば、きっと大丈夫です。ロイに優しく微笑み返してあげましょう。
—
このコラムについてみんなで語り合えるオンラインコミュニティ「街クリ映画部」会員募集中です。また、コラムの新着情報をオリジナルの編集後記とともにLINE@で無料配信中です。こちらから「友だち追加」をお願い致します。
[イラスト]清澤春香