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「人間失格 太宰治と3人の女たち」華と太宰と、時代感。

あづま あづま


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『人間失格』

内容は知らなくても、誰もが1度は耳にしたことのある作品名だろう。戦後の売り上げは新潮文庫版だけでも、累計発行部数670万部を突破するという脅威の名作。その名作の誕生秘話を、3人の女性との関わりを中心に再現した作品になっている。

この作品の見所は、大きく分けて2つ。

「華」「太宰」である。

まずは視覚的に楽しめる、「華」から見ていきたい。

3輪の華

この作品はサブタイトルにもあるように、「3人の女たち」が中心人物になっている。3人とも極めて美しいだけでなく、それぞれが違った「華」を持っている。


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出典:
映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公式サイト

津島美知子(宮沢りえ)
『華』:しとやかさ
しとやかで、優しく、強い。愛を捧げる女性。

太宰の正妻で太宰の才能を強く信じており、自由奔放な太宰を献身的に支えている。私生活が乱れに乱れる太宰に不平不満を言うシーンが一切なく、浮気を目撃したときでさえ、悲しみに打ちひしがれながらも耐え続けている姿が印象的である。太宰はもっとすごい作品が書けると信じて疑わず、「家庭など壊しなさい」と伝えるほど我が身を省みず、太宰の成功を一心に願う強さと優しさを持つ。太宰に愛を捧げ続けた女性である。


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出典:映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公式サイト

太田静子(沢尻エリカ)
『華』:まっすぐさ
自分に正直で、したたか。恋に生きる女性。

太宰の愛人であり、弟子でもある。太宰に本気で恋をしており、「愛されない妻より、ずっと恋される愛人でいたい」とのセリフがあるように、とにかく恋への想いが強い。静子が子を身ごもってからは太宰は関わりを避けるようになったが、太宰から養育費をもらったり、自分の日記がモデルになった太宰の小説『斜陽』に自分の名前を載せようとしたり、したたかなところがある。映画の最後のシーンで、なんだかんだ一番幸せそうだったのは静子だったように思う。したたかに、一心に恋に生きた女性である。


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出典:映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公式サイト

山崎富栄(二階堂ふみ)
『華』:一途さ
一途で、愛が深い。闇も深い。愛に溺れる女性。

太宰の最後の愛人。太宰に恋した当初、死別した夫への罪の意識から泣き崩れる一途な描写が見られる。太宰との恋に落ちた後は太宰以外は目に入らないといった様子で、やはり一途な様子である。しかし、一途すぎて太宰が他の女性に会おうとすると自殺をほのめかして束縛したり、太宰が拒んでも身篭ろうとしたり、闇が深い。最後は太宰と入水自殺し、まさに愛に溺れた女性であった。

3人の女性はそれぞれに芯のある生き方をしており、自由奔放な太宰が振り回しているように見えるが、女性が太宰を翻弄する面も多分にある。女性が3人とも「恋愛」への異なるアプローチをとっており、それぞれが複雑に絡み合っているのも面白い。3人の女性がそれぞれの「華」で彩る恋愛模様は、大きな見所である。

太宰

もう1つの見所である「太宰」は、現代に生きていれば当然会うことのできない有名人である太宰治について、「あー、こんな感じだったのかなあ」と、想像しながら見られることである。キャストは小栗旬で、脱力感、廃れ具合がとても様になっている。『人間失格』を書くまでの、太宰の「だらしない」人生を表現するにはとてもいい配役だと思う。あまり馴染みのない人からすると、太宰治は「すごい小説家」というイメージしかないので、小説家としての才能の裏にいろんな問題を抱える裏の顔を見られるのは素直に興味深い。


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出典:映画.com

小説を読んだ人なら、内容を思い出しながら、小説が書かれるまでの背景を想像しながら映画を見られる。また見終わった後に、「あのシーンか?」と脳裏によぎることもあると思う。文学という文字だけの世界に、映像をつけてもう一度楽しめるのはとても面白いと思う。

(僕のように)実は小説を読んだことがない人なら、この背景を知った上で小説を読むことができるし、読んでみようという気持ちになれる。670万部も売れている名作であり、一度は必ず読むべき作品だと思うので、この映画をきっかけに小説『人間失格』を読めたのはよかった。

時代感

しかし1つ、残念に感じたことがある。それは、「時代感」である。

この作品は1948年、つまり約70年前の時代を再現したものである。もちろん背景や着物などは、当時のものを再現している。完成度も高いし、技術的にはよく再現されている。


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出典:映画.com

しかし、セリフや映像などから、どうしても「現代の匂い」がしてしまうのである。これは役者の演技力とか、映像の技術力とか、そういう次元ではないのだと思う。どこまで演技と技術を凝らしても、五感が現代を感じてしまう。セリフには現代のニュアンスが出てしまうし、映像でも演出が過剰な部分もあった。

時代感が現代チックになってしまっていることで、『人間失格』という文学作品のアートとしての魅力はあまり感じられない(元々そのつもりで作っていないのかもしれないけれど)。「『人間失格』をモチーフにした現代エンターテイメント」としては、配役がいい分なかなか楽しめるけど、小説の『人間失格』とは別物として考えた方が楽しんで見られるように思う。

文明は後戻りできない

この言葉を痛感した。これまで街クリでは「ミュウツーの逆襲」「ライオン・キング」といった、映像技術が「進化」してリメイクされた作品について書いてきた。この2作品は現代技術によって、より高次な作品になっていたし、むしろ「現代」を楽しむ作品になっていた。

「人間失格」は、逆である。「時代を巻き戻さないといけない」のである。これは今の技術をもってしても、いや、むしろ今の技術だからこそ、再現することができない。いくら映像が華麗になっても、演技が上手くても、「文明の持つ空気感」までは再現できない。ある意味で、映画表現における1つの限界を知ることができた貴重な機会だったとも思う。

「文明の空気」は再現できないからこそ、『人間失格』といった昔の文学作品に、いつまでも価値があるのだろう。その時代の空気の中だけで書けるもの。その空気は驚くほど技術が発達した現代であっても、生み出すことはできない。そういうことなのかもしれない。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Osamu_Dazai.jpg
出典:Wikipedia

「人間失格 太宰治と3人の女たち」は、「人間失格をモチーフにした現代エンターテイメント」であり、3人の女性が放つ「華」、「太宰」のぐちゃぐちゃの人生を楽しめる。3人の女性たちはキャストも美しく、それぞれのキャラクターも味のある性格で、3人を見ているだけでも楽しい。偉大な小説家、太宰治の人間的な欠点まみれの裏の顔も、やっぱり面白い。

ただ、この作品を『人間失格』という文学作品の延長線上で考えてしまうと、時代の空気感のズレに違和感を感じてしまうかもしれない。これは文学作品ではなく、エンターテイメント作品。文学作品としての価値は、やっぱり小説を読むことでしか得られない。僕のように映画を見てから本を読んでもいいし、すでに読んだことがある人は、スクリーンの中で繰り広げられるエンターテイメントを予備知識を持って楽しめるだろう。「再現」とは違う世界での、現代と歴史の融合が見られて楽しかった。

日本小説の超大作 × 華の現代エンターテイメント。ぜひ劇場でご覧になっていただきたいと思う。


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[イラスト]清澤 春香

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