しかし、物語はある一点を機に大きくテイストを変える。その契機は激しくネタバレになるので書けないが、正体不明のイェーガーが登場し、ジプシー・アベンジャーと相対するシークエンスである。
もう多くの方が言及していると思われるのでコンパクトにまとめるが、若手パイロット候補生たちのストーリーがまったくと言っていいほど描かれていないのは痛恨で、描写不足だと斬って捨てるというよりは、もっと観たかったと感じてしまう。せっかく魅力的な面々が揃った多国籍パーティーなのに、勿体無いし、とても惜しい。
出典:IMDb
イェーガーも同様に、前作と同じくらい個性あふれる機体が揃っているのに、個々で戦う場面は無く、活躍はラストまでお預けなのがこれまた惜しい。何なら量産型のドローンの方が正規イェーガーよりもキャラ立ちしている。
一方、スクラッパーは満遍なく見せ場が用意されており、かなりの高待遇である。各機ともこれくらい登場シーンがあれば、最終戦は何倍にも盛り上がったはずだ。
と、祭りのような本作に突っ込むのは野暮天だと理解しつつも、ついついキメラのような評価になってしまう作品である。
「映画なんてどんな作品でも良い点と悪い点両方あるでしょ、誰もが賞賛する映画なんて、そりゃ宗教だよ」と突っ込まれるならその通りだが、「パフィシックリム:アップライジング」は、数ある映画のなかでも「俺にも何か言わせろ」と、評価する声を呼び込みやすい性質を持っている。なぜか。
その大きな要因の一つは、おそらくギレルモ・デル・トロその人である。
ギレルモ・デル・トロと「パシフィック・リム:アップライジング」が開いた裂け目
「パシフィック・リム」において、ギレルモ・デル・トロは「この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ」とクレジットを出し、日本の特撮、怪獣、ロボットというお家芸を見事にハリウッド映画に昇華した。
多くの好事家はもとより、日本人がこれを受け入れた。映画を楽しみ、「日本の特撮をハリウッドがやってくれた(正確には上手く真似してくれた、が正しいだろう)。特撮、怪獣、ロボットが海外に認められたんだ」と。その感動と衝撃は、かなりのものだったと思う。開国を迫らず、フレンドリーな感じでやってきた黒船のようなものだ。
そして今年、怪獣映画である「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞まで受賞してしまったことにより、デル・トロのイメージは更に補強され、もはやこの手の映画を撮る名監督として、神格化されつつあると言っても言い過ぎではない。外国のオタク(とんでもないレベルのオタクだが)であるデル・トロは、日本の文化に感化され、往年の作品や製作者に多大なるリスペクトを払い、怪獣・ロボット映画の名監督の一人として仲間入りした。
出典:IMDb