【読まず嫌いの誰かへ】岸本佐智子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美『『罪と罰』を読まない』(2015)文藝春秋
本を読むのが苦手な人に、どうしても一冊贈るなら、本書はベストチョイスだろう。翻訳家の岸本佐智子、作家の三浦しをん、作家・装丁家の吉田篤弘と吉田浩美の4名が、ドストエフスキー著『罪と罰』を未読の状態から内容を推察していくという、抱腹絶倒の対談企画。
書籍に関わるプロフェッショナルの面々である4人が「読んでません」とあっさり白状するところからこの企画がスタートする。序盤から、やりたい放題である。
三浦:もし、ドストがいま生きていたら、やっぱり現在を書くでしょうね。そうなんじゃないかという根拠なき確信があります。だから、当時の風俗を、うまく織りまぜて書いているはずですよ、ドストは。
浩美:どうしてそんなことまでわかるの(笑)。
篤弘:というか、その、「当時」っていうのがいつなのか知りたいんだけど。
三浦:ま、それはわかんないんですけどね(笑)。
篤弘:ドストエフスキーって大器晩成型かな。まったくの勘なんだけど。
引用:岸本佐智子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美『『罪と罰』を読まない』(2015)文藝春秋、p.24
破天荒にもほどがある、作家たちの会話が続く。
どこで殺人が起きるかを予測するため「三浦さんならいつ殺りますか?」と質問するシーンなどは、文学に関する対談とはとても思われぬ物騒さである。ヒントの度に増えていく人物に役割を振り分けるためなら、「これは捨てキャラですね」と断言することも厭わない。実に思い切りの良い決断の連続を前に、読者の笑いは止まらない。
誰もが知っている名作を読んでいないからこそ、成立した面白さ。読んでいても読んでいなくても、本に関わる会話は、こんなにも愉快になりえるのだと示してくれた奇跡の書だ。
【書けないと泣いている私やあなたへ】エドワード・ゴーリー『弦のないハープ またはイアプラス氏小説を書く。』(2003)河出書房新社
カルト的な大人向け絵本の作家として名高いゴーリーのデビュー作は、書くことの苦渋そのものをテーマに据えた、チャーミングな悪意に溢れる一冊である。主人公のイアプラス氏は小説家。ほとんど全てのシーンで彼は、絶望している。
ひどい、ひどい、ひどい。何を書いたところでこんなクズしか出てこないのに、いったい何を好きこのんで、作家業の野蛮なる苦悩を忍んでいるのか。頭がどうかしているにちがいない。どうかしている。なぜ私はスパイにならなかったのか? どうやったらスパイになれるのか?
引用:エドワード・ゴーリー『弦のないハープ または、イアプラス氏小説を書く。』(2003)河出書房新社
こんなにも絵本に向いていない文章があるだろうか。このページに絵をつけることで誰が喜ぶというのだろうか。
書けない、書けないと今日も錯乱している、あの人たちに贈りたい。
【情報に疲れた彼らへ】佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(2010)河出書房新社
毎月、気になる新刊がいっぱい出る。ニュースなら、くだらないものから物騒なものまで、毎日うんざりするほどの量が飛び交っている。全てを追いかけていたら、きっと擦り切れてしまうだろう。高速度でインプットを続ける中でふと立ち止まった時に読んでほしいのが、佐々木中のインタビュー録。思想家の彼が10時間をかけて語るのは「読む」という行為が持つ獰猛さについてだ。
だから、こういうことになります。本を読むということは、下手をすると気が狂うぐらいのことだ、と。何故人は本をまともに受け取らないのか。本に書いてあることをそのまま受け取らないのか。読んで正しいと思ったのに、そのままに受け取らず、「情報」というフィルターにかけて無害化してしまうのか。おわかりですね。狂ってしまうからです。
佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(2010)河出書房新社、p.29
ものごとの情報量だけを評価する態度や、新しさを信仰するモードから一旦降りたとき、読書という行為が単なるインプットではなく思想活動であるという恐ろしい事実に気付かされる。情報の処理にちょっと疲れていそうなあの人に、贈ってみるのもいいかもしれない。まあ、狂うかもしれないけど。
【小説なんて読み飽きたという曲者に】ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)NHK出版
「全ての文学は既に書かれた文学さ」とか、訳知り顔で語る野郎の鼻先につきつけたいのがこの小説だ。映画とは全く別のフェーズから楽しめる作品なので、ぜひ、ストーリーを知っている人にも手を出してほしい。アメリカの現代文学において最も注目すべき若手作家、ジョナサン・サフラン・フォアによる9・11文学は、ものすごく読みにくくて、ありえないほど面白い。
テロによって父親を亡くした少年オスカーをはじめ、「決定的なできごと」によって遺族となってしまった人々が描かれている。
紙の書籍ならではの表現を追求している。実験的な手法がふんだんに盛り込まれ、ページをめくるたびに驚かされる。哀しみというものは本来、整った文章では表現できないシロモノなのだ。文字には形や色があり、印刷された表面には触れることができる・・・という、読書体験の原点に気付かせてくれる。カラフルに氾濫する文字や、重なり合って真っ黒になってしまったセンテンスを眺めていると、「言葉って壊れものだったなぁ」と合点する。
あらゆる表現の先端を切り拓く勇者どもに贈りたい、特別な作品。