人馬一体
乗馬において馬と騎手がひとつになったような巧みな連携がおこなわれること。自動車とドライバーに対してもつかわれます。
今回ご紹介するのは「フォードvsフェラーリ」。
カーレースというテーマと脚本・演出・演技が巧みに連携され疾走する作品です。
あらためまして、街クリ映画ライターの金子ゆうきです。
もう分かりますね。褒めます。ベタ褒めフルスロットル。
出典:IMDb
世界中で絶賛されていますね。第92回アカデミー賞では作品賞含む4部門(作品賞・音響編集賞・録音賞・編集賞)にノミネート。カーレースをテーマにした映画が作品賞にノミネートされるのは史上初。
時速300km以上で疾走する作品の映画評がモタモタしていられませんが、すこし前置き。
1月の作品を「フォードvsフェラーリ」と「キャッツ」で迷っていてそれをツイートしたんです。すると、20世紀フォックスの公式アカウントさんに直接おススメしてもらいました。これは見るしかあるまい! と即決したんですが大正解。ありがとう、20世紀フォックス! フォックス表記がなくなっても大好きです!
https://twitter.com/foxjpmovie/status/1204000249351528450?s=20
というわけで、全力そんた……いやいやそんな必要なく最高な「フォードvsフェラーリ」について書きます。
忖度はないですが、ネタバレはありです。気になる方は鑑賞後にお読みください。
それでは、どうぞ。
泥臭い男の物語を撮り続けてきた監督の、見事な脚色
「フォードvsフェラーリ」は、1960年代にアメリカの巨大な自動車メーカー・フォードと、イタリアの小さな自動車メーカー・フェラーリがフランスのル・マンで開催される自動車耐久レース「ル・マン24時間レース」で激突した実話をベースにした物語です。クライマックスは、1966年のル・マン24時間レース。
予告編を見た方が早いですね。
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実話ベースの物語で重要なのは「脚色」です。実話をそのまま映画にしても、おもしろくなりません。テーマを設定し、それに沿った改変は行われるべきです。
だから「事実とちがう!」と批判されることもあります。あたらしいところだと「ボヘミアン・ラプソディ」。映画の中でフレディ・マーキュリーがエイズ感染をメンバーに告げるのは、ライブ・エイドの前です。実際には、ライブ・エイドの後だったといいます。もっというと、劇中ではライブ・エイド前まで解散状態でしたが、これも事実とは異なる脚色です。これが批判を集めました。事実と違う!
結果的に、エイズの告白と仲直りを経てのライブ・エイドは見事なクライマックスになりました。これがもし、事実に合わせていたら? 物語のテーマを語るうえで、映画としてより魅力的なものにするために脚色は不可欠です。
「フォードvsフェラーリ」において、ジェームズ・マンゴールド監督は自動車メーカーの戦いの実話をいかに脚色したか?
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「ドライバー2人の友情」「組織vs個人」に振りきりました。
映画の企画自体は10年近く前から存在し、紆余曲折あったといいます。キャロル・シェルビーをトム・クルーズが演じるという話もあったそうです(それはそれで見たい)。『フォードvsフェラーリ 伝説のル・マン』という原案のひとつとなった本があるんですが、Amazonの商品説明には「ブラッド・ピット主演で映画化」とも書いてあります(それはそれで見たい)。
劇場パンフレットのインタビューでマット・デイモンが答えているんですが、脚本も何本かつくられていたそうです。エンジニアに焦点が当てられ、チームとしての車づくりにクローズアップされたバージョンもあったんだとか。
色々調べてみると「エンジニアを主としたチームの戦い」が事実と近いようなんです。何しろ4,800kmを平均時速200kmで走りつづけるわけですから、ドライバーだけではどうにもできない。レース中のシフトチェンジ回数は9,000回を超えるそうですよ。走りつづけられる車をつくり、24時間整備しつづける。エンジニアの戦いはAmazonプライム・ビデオで配信もされているドキュメンタリー「24時間戦争」を見るとよく分かります。
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特にフィル・レミントンが天才エンジニアとしてフォード・GT40の開発に多大な貢献をしたことが分かります。「フォードvsフェラーリ」ではレイ・マッキノンがレミントンを演じていました。
出典:IMDb 右から2番目がレミントン。
「24時間戦争」はフォード、フェラーリ、それぞれの成り立ちから映画の後の物語まで詳細に分かります。第二次世界大戦時、戦闘機の製造をフォードが行っていて、その戦闘機がフェラーリ発祥の地・モデナを爆撃していた可能性もある。みたいな話もでてきて両社の因縁をより感じられます。「フォードvsフェラーリ」の補助線としても「24時間戦争」は是非ご覧ください。
ともあれ、マンゴールド監督はケン・マイルズとキャロル・シェルビー2人の友情にクローズアップしました。
出典:IMDb クリスチャン・ベイルの煽り顔、ホント最高!
人付き合いのうまいシェルビーと、車とレースにしか興味がなく口が悪いマイルズというキャラクターの違いはあります。彼らの共通点は「7,000回転の世界」を知っているということ。時速300km以上でシートベルトもつけずに運転するレースドライバーは狂人ともいえる、ネジのぶっ飛んだ人です。重さを失い、肉体だけが時間と空間を移動する7,000回転の世界。それを知っているからこそ深い部分で通じ合うものがあったんですよね。
ドライバー同士のつながりでいうと、フェラーリのトップ、エンツォ・フェラーリもそうなんですよ。エンツォはもともとレースドライバーで第一次大戦後にアルファロメオに所属していました。その後、フェラーリを設立。
1966年ル・マン24時間レースの後、マイルズに対してエンツォは脱帽し敬意を表しました。ドライバーだからこその共感があったんでしょう。実際には1966年のル・マン会場にエンツォはいなかったようなので、これはうまい脚色です。
中盤以降、「フォードvsマイルズ・シェルビー」が色濃くなりました。常人には理解できない世界にいるドライバーの物語に、組織に属する人間なら経験がある軋轢をまぶした。これが幅広く共感してもらえる物語づくりに大きく貢献していると思います。
もとの事実を脚色し「ドライバー2人の友情」「組織vs個人」のテーマにしぼった。それをスムーズに描ききるために主要キャラクターは分かりやすく整理されていますよね。
特に、レオ・ビーブ。にっくき副社長。清々しいまでに意味のない横槍を入れてきましたが、実際のレオ・ビーブはそんな人じゃないようですよ。
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組織側でありつつ、本心は現場を応援したいという微妙な立ち位置のリー・アイアコッカ。車に詳しくないので知らなかったんですが、凄い人なんですね。フォードの社長に登りつめ、クライスラーを立て直した人でもある。劇中だとエンツォが言ったフォード2世への悪口に「デブ」を追加していましたよね。戦略なのか、本心なのか。
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マイルズの家族、息子のピーターはマイルズを信じ、見届ける理想的な描かれ方。あんなのお父さん泣いちゃうよ……。
妻のモリーも良かった! かわいいし。表向きは「しっかりやってきなさい!」と尻を叩きながら、裏ではしっかり心配しているという塩梅がちょうどいい。かわいいし。「天空の城ラピュタ」のマ=ドーラぽさがありましたよね。かわいいし。
出典:IMDb かわいいし。
人物造形を分かりやすくし、役割も明確化したことがカーレースのスピード感とも見事にマッチし、映画全体にドライブがかかっていました。
レースシーンは実車(さすがにレプリカ)を使用。空撮やVFXによるトリッキーなショットは少なく、地面すれすれに設置されたカメラやドライバーの表情に肉薄するようなクロースアップを多用していました。クラッシュシーンはカタパルトで車ぶっ飛ばして撮影したようです。
「フォードvsフェラーリ」は上映時間153分なんですけど、長さを感じなかったですよね。疾走感の源泉は、モチーフと語り口が見事に連携した人馬一体なつくりにあったと思います。
それを実現したジェームズ・マンゴールド恐るべしなんですが、過去作を見ると納得なんです。
多作な人でフィルモグラフィは多岐にわたるんですが、とにかく西部劇が大好き。直近作の「LOGAN/ローガン」(2017)はヒーローの老いと人生の決着を描いた、西部劇の影響が色濃い作品です。「3時10分、決断のとき」(2009)は、「決断の3時10分」(1957)をリメイクとした西部劇。「3時10分、決断のとき」はクリスチャン・ベイル主演ですからマンゴールド監督とはそれ以来のタッグですね。
シルヴェスター・スタローンがさえない中年警官を演じた「コップランド」(1997)も葛藤しながら悪に立ち向かう姿が、西部劇を彷彿とさせます。
「LOGAN/ローガン」「3時10分、決断のとき」「コップランド」はいずれも泥臭く、背負った業に苦しみながら最後は立ち向かう男の姿を描いています。
マンゴールド監督は、フォードとフェラーリの対決という史実を自らの作家性にグイっと引きこんでまとめあげたんです。見事な手腕です。
さて、ここからは少し視点を変え「フォードvsフェラーリ」が影響をうけている過去の映画をご紹介します。この辺を知ると、さらにおもしろくなると思いますよ。
「フォードvsフェラーリ」に影響を与えた映画
まず、ル・マン24時間レースを描いた名作として名高い「栄光のル・マン」(1971)。
カーレースに尋常じゃない思い入れのあったスティーブ・マックイーンが主演し、自らのプロダクションの総力を結集して製作しました。「フォードvsフェラーリ」でもスティーブ・マックイーンの名前がさらっとふれられていましたね。
「栄光のル・マン」は1970年のル・マン24時間レースを実際に現地で撮影し、その映像とドラマパートとを組み合わせた半ばドキュメンタリーのような映画です。
出典:IMDb 開始30分くらい主人公が喋らないという変わった映画でもあります。
レースの迫力はもちろん、ル・マン24時間レースが街全体をあげたお祭りなんだと実感できます。集まる観衆、遊園地のにぎわいなど「フォードvsフェラーリ」だけではわからないル・マン24時間レースの姿がたくさんでてきます。
「フォードvsフェラーリ」のル・マン24時間レース終盤でマイルズがフェラーリのライバルと直線でギリギリまでブレーキをかけないチキンレ―スを展開しますが、そっくりな流れが「栄光のル・マン」にも登場します。ここは影響を受けているでしょうね。
もうひとつは「ライトスタッフ」(1983)。
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マンゴールド監督が「フォードvsフェラーリ」は「ライトスタッフ」のカーレース版だと会見で発言したそうです。映画評論家・町山智浩さんが「映画その他ムダ話」で紹介していました。
「ライトスタッフ」は1950年代末から1960年代にかけて行われたアメリカの有人宇宙飛行計画”マーキュリー計画”を描いています。マーキュリー計画のパイロットとして選ばれた7人の宇宙飛行士が、NASAや国家と時に対立しながらも宇宙を目指す。そして、7人には選ばれなかったものの速さと高度にこだわりつづけたパイロット・イェーガーも含めた実話ベースの物語。
「個人と組織の軋轢」「偉大な事実の裏に隠れた英雄」というテーマが「フォードvsフェラーリ」にもつながってきます。
テーマはもちろん「ライトスタッフ」冒頭のイエーガーと妻のやり取りが「フォードvsフェラーリ」とそっくりなんですよね。他人のような素振りから実は夫婦でしたという流れで。変わり者同士の夫婦なんだとスマートに表現されたシーンだと思います。
調べれば調べるほどマンゴールド監督は過去作から影響をうけ、引用しながらも最終的には自分の描きたいものに落とし込んでいることがよく分かります。
ここまで監督の手腕ばかり褒めている気がするんですが、それくらい「よくできた」映画なんですよ。
もちろん、クリスチャン・ベイルのチェイニーからマイルズへの役作りは凄まじいし、マット・デイモンの優等生的はぐれもの感は抜群です。
それを活かすも殺すも監督の手腕なんだなあとつくづく思うわけです。優秀な役者というレーシングカーを自在に操るドライバーのようです。下手な監督なら、冒頭のマイルズに追いかえされたファッションだけでレーシングカーを乗りこなせていないアメリカ人みたいになるんですよね。
まだまだ褒めていいですか?
「音」についてです。
物語を彩る音と、音を置き去りにする瞬間
田中泰延さんは「映画の半分は音である」と書かれています。「フォードvsフェラーリ」も、まったくその通りで「音」も主役。エンジンのうなり、タイヤのこすれ、エギゾースト・ノイズ。車が発するあらゆる音が高揚感を高めます。さらに物語を彩るのは、劇伴。
度々用いられていたのはエルヴィス・プレスリーのバンドでリードギターを弾いていたジェームス・バートンの『ポーク・サラダ・アニー』。トニー・ジョー・ホワイトが1969年にヒットさせた曲をジェームス・バートンが1971年にカヴァーしたバージョンがつかわれました。クラシカルなロックンロールが映画の雰囲気にマッチしていましたよね。
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1965年のル・マン24時間レース。参加できなかったマイルズのために妻モリ―が選局したラジオ。そこでかかっていたのはニーナ・シモンが歌う『アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー』。これまたカヴァーで、原曲はスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが1956年に発表しました。ニーナ・シモン版は1965年に発表されました。粘っこく情念たっぷりな「お前に魔法をかけてやる(I put a spell on you)」という歌声がモリーの雰囲気にマッチしていました。マイルズは、モリーにかけられた魔法で翌年のル・マンを疾走することになりました。
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オリジナル曲も秀逸なものばかり。最も印象的なのは『ル・マン 66』。ル・マン出場をかけたデイトナ24時間レースでトップに出る瞬間と曲のクライマックスがリンクして、とんでもない高揚感でした。『ル・マン 66』はあのシーン以外でも使われていて、冒頭のシェルビーのレースシーンでも抑えめに流れていましよね。小出し小出しで高めてからのあの瞬間なので、最高としかいえません。最高にハイってやつだ!!
出典:YouTube
とにかく轟音爆音でたたみかけてくるんですが、マイルズが集中した時、7,000回転を超えた世界になると途端に音が消えるんですよ。
音が消える瞬間、誰しもあるじゃないですか。ひとつのことに没頭した瞬間が。時速300kmオーバーという狂人の世界と、自分の経験がリンクする瞬間なんですよね。
グッときますよ、燃えますよ。
音の演出でいうと、ル・マンに出発する前日にマイルズがピーターにコース解説をするシーン。マイルズが語りだすとうっすら車の走行音がしてくるんですよ。いやあニクい、ニクすぎるぞ、マンゴールド!
マイルズが散り際、心にくべる火
さんざん褒めたので、そろそろ最後にするんですが「脚色」にもどります。事実を物語のテーマに合わせてかえることが脚色だと書きました。「フォードvsフェラーリ」は脚色に成功していると。
もうひとつ脚色を紹介します。マイルズの最期です。
1966年のル・マン24時間レースの後もマシンの改良に情熱を注いだマイルズとシェルビー。マイルズはテスト走行中7,000回転の世界でそのままクラッシュし、炎に包まれました。実際は崖から転落したそうです。リバーサイドのコースで劇中と同じように車が壊れて転落した。「24時間戦争」で語られています。
転落ではなくクラッシュしてからの炎上。小さな改変ですが、大きな意味があると思うんです。
炎上は冒頭のシェルビー、開発中のテスト走行と繰り返し描写されました。レミントンとピーターが車の炎上について語るシーンまでありました。それだけ下準備をしたうえでのラストですから。
僕には、最期の炎がマイルズ自身の情熱が発した炎として描かれたように見えたんです。
人づきあいが下手で破天荒。ソーダとアイスクリームが大好きな少年のようなマイルズ。車とレースに憑かれたマイルズ。ひたすらに注ぎ続けた結果、自らの情熱の炎に焼かれたんです。
レオ・ビーブは、マイルズは「ピュア」すぎるからフォードに不適格だといいました。しかし、ひたすらに「ピュア」だったからこそ勝利できた。デイトナ24時間レースの最後、シェルビーたちの横にあったタンクに貼られたステッカーには「PURE(ピュア)」と書かれていました。
なにかに情熱を注いだことのある人なら、マイルズに共感できるはずです。僕もそうです。たとえば今、この原稿を書いているこの瞬間。ひとつの映画のために調べて調べて書いているこの瞬間。最高です。
でも、マイルズには到底なれません。身を滅ぼすような情熱は、ほんの一握りの人間にしか宿りません。だから、まぶしくて憧れるんですよ。
出典:IMDb
マイルズの情熱の炎は、映画をみたひとりひとりの心に分けてくべられたと思います。彼のようにはできなくとも、それでも自分の大切なものへの情熱は高まったはずです。
あらためてマイルズとシェルビーのことを考えているとイーグルスの『デスペラード』が聞こえてきました。 「デスペラード(Desperado)」は「ならず者」「命知らず」などを意味します。マイルズとシェルビーにぴったりじゃないですか。 『デスペラード』という曲はボーカルのドン・ヘンリーが「いつまでくよくよしているつもりだ?」と友人を鼓舞するために作ったといわれています。
人間性や病で華々しい舞台から遠ざかっていた2人のならず者が出会い、命知らずな挑戦を果たす。マイルズは本当に命を落としてしまいましたが、シェルビーは情熱を持ちつづけ歴史に残る数々の車を設計しました。
『デスペラード』を思い出したと書きましたが、物語の終わりは曲のようにしっとりではありません。シェルビーがかけたエンジンの爆音は、僕の心にも火をつけてくれました。
いつかくるゴールのために。くよくよすることなく、火を絶やさず駆けぬけたい。そんなことを思いながら、終わりにします。
いやあ、それにしてもいい映画だったなあ。
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[イラスト]清澤春香