文学作品には、死者や、死にたい人が登場するものが
「とりあえずひきとめている僕だって飛びたいような気分の夜だ」と詠んだのは、短歌歌人・枡野浩一だ(『ハッピーロンリーウォーリーソング』(2001)角川書店)。北野武監督は、「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」と看破している(映画「ソナチネ」より)。
そういうわけで、今回は、死を扱った作品の中から、タイプの違う小説を3冊ご紹介する。
本谷有紀子『生きてるだけで、愛』(2009)新潮社
「ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ? 雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね?」
引用:本谷有紀子『生きてるだけで、愛』(2009)新潮社、p.106
最初に取り上げるのは、芥川賞作家・本谷有紀子が受賞の10年前に刊行した作品だ。躁うつ病を患う女性を主人公にした本作は、「死にたい」が発生する心の動きをどぎついまでに見つめている。
仮眠。メンヘル。25歳。「妥協におっぱいがついて歩いているような」と自らを評する主人公の
「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生。(中略)いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ」引用:本谷有紀子『生きてるだけで、愛』(2009)新潮社、p.107
寧子、本当にタチが悪い。自我の過剰さに辟易する主人公が始終撒き散らす本音に胸焼けをしながら読み進めるうちに、これほどドロドロした日々を生きながらえている彼女が、実は、とんでもなく力強い存在なのだと気付かされる。
「死にたい」という衝動に貫かれながら生きている人は、自分のことを弱いと断じがちだけれども、相反する欲求を抱えながら立っているという、そのこと自体が、とてもパワフルな事実なのではないだろうか。