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アートディレクターと個性【連載】広告代理店の現役アートディレクターが語る

中村征士 中村征士


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広告代理店でのアートディレクターの育てられ方

新入社員はクリエーティブチームに配属されると、アイデアや企画や表現を持ち寄る打ち合わせに入れてもらうことができます。そこでは、与えられたお題に対して、自分だけの答えを表明する打席が与えられます。しかし、めちゃくちゃドキドキしながら自分が必死に考えて面白いと思い込んでいたアイデアを説明しても、ことごとく空振りする。プロの洗礼です。

『考えても考えてもことごとくダメ出しされると全人格を否定されたような気持ちになる』色んなクリエイターがルーキーの頃の苦い体験をそんなふうに表現しているけれど、大げさでなく僕もそう感じました。僕は全く役に立てないのかもしれないと。

でもちゃんと理由があって、必要なのは商品やサービスの良さを伝える表現なのだから、お前の個性なんて何の役にも立たないよってことなんですね。先輩がはっきり教えてくれないのが、またもどかしいところです。

僕がいたクリエーティブ局では(多分どこでもそうだと思います)、徹底的に表現に対するエゴみたいなものやこだわりを叩き壊されました。先輩や上司としてルーキーを使う側は、そのけじめををつけておかないと仕事がやりづらくて仕方がない。それが分っていなかった生意気なルーキーの僕は、当時けっこう悩んでしまいました。なんだか思っていたほど自由じゃないなあ、と。

でも、アートディレクターの個性とか思いが広告の全てに反映されていたならば、広告はもっと自由であったはずですもんね。自然と気づくほど考える余裕はありませんでした。だから、半年くらい経って自分のアイデアが社内の会議を通ってお得意様にプレゼンされた時は、本当に嬉しかったことを今も記憶しています。

なぜ必要ないかを理解した上で、個性を発揮できる方が楽しい

クリエーティブ局における個性に対する考え方が、今はちょっと変わってきているのを感じます。とってもユニークなコンテンツをつくってネットで話題になって結果として広告効果が上がる、そんな今までとは違った文脈の広告が好まれています。面白いもん勝ち、みたいな。

自分なりの表現を広告にフィットさせて話題のコンテンツにできる可能性が膨らんで、広告の納品物を「作品」と呼ぶ人がもっともっと増えていって、作家のように個性あふれるアートディレクターの広告表現が主流になっていくかもしれません。その方が、なんだか世の中が明るく楽しくなっていきそうで。僕はそうなってほしいと勝手に期待しています。

街角のクリエイティブ ロゴ


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