戻りたい過去は、ありますか。
光景を、音を、肌わざりを、もういちど味わえるとしたら。大切な人との大切な時間。過ぎ去り、失われた時間を。
過去は今を温めてくれると共に、危険なものでもあります。
今回ご紹介する「レミニセンス」は、「もういちど味わいたい過去」へ思いを馳さたくなるロマンティックなSFノワールです。
出典:映画.com
先に言っておきますね。
予告や宣伝ではSFアクション大作のように見せていますが、実際は印象が異なります。予告はクリストファー・ノーラン監督の「インセプション」を意識していると思います。
くわしくは後述しますが「圧倒的映像体験」「誰もが騙されるどんでん返し」みたいなことを期待する映画じゃありません。「インセプション」に共通している部分はあるんですが、表層的な派手な部分ではない。事前情報と印象は違うし、近年のSF大作と比べたら派手でもないので、評価は分かれると思います。
僕は、好きです。
時々見返したくなると思います。
ひとりの男の記憶と執着、哀しい希望の物語。
ネタバレ全開でいきますので、ご注意ください。
それでは、どうぞ。
水没したマイアミと、記憶潜入
舞台はフロリダ州の主要都市マイアミ。リゾート地として知られますが、「レミニセンス」ではリゾートの雰囲気はありません。水没しているのです。著しい海面上昇により海にのまれ、都市が沈みつつあるという設定です。
気温も上昇しているようで、日中は活動できないほどの高温。多くの店が夕暮れ後から開く、昼夜逆転の生活が当たり前になっています。内陸部はどうなのか、アメリカ以外がどうなっているか明言されませんが、未来への希望が少ない世界になっていることがうかがえます。
出典:IMDb
完全に崩壊はしていないが、ゆるやかな破滅に向かうディストピア。段階的に大きな防波堤(壁)で囲まれた都市は『進撃の巨人』のようでもあります。
水に浸かっていない陸地は、何より価値があるもので「持つ者」と「持たざる者」を隔てます。持つ者はより高い壁をつくり、壁から跳ね返る水は、さらに「持たざる者」に流れこみ、困窮されていく。
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「水」が格差・理不尽の象徴として使われる。「パラサイト 半地下の家族」と似ていますね。下にいる者に水が流れ込みつづけ、上がることができない絶望的な世界。
物語の背景で人々の不満が風船のように膨らみつづけ、主人公の行動がきっかけで爆発するという点で「JOKER」に通じるものもあります。
水没世界というSF的設定ながら、現実と地続きな問題意識が横たわります。
「レミニセンス」のSF要素、ひとつが水没都市のディストピアだとすると、もうひとつが「レミニセンス(記憶潜入)」です。
脳にアクセスし、過去の記憶を映像として再生できる。戦争中に尋問の技術として発達し、犯罪捜査や裁判の証拠としても活用されています。
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似たような設定の映画だと「記憶探偵と鍵のかかった少女」(2013)があります。この映画でも、他人の記憶にアクセスし情報を得ることをビジネスとしている企業が描かれ、主人公はその一員として問題を抱えた少女と関わっていくストーリー。
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大掛かりなSF設定などはないですが、同じ「記憶潜入もの」として楽しめると思います。
記憶をどう捉えるか。ここには作り手の考えが出やすいところですよね。「レミニセンス」において、記憶とは「唯一無二であり、改竄不可なもの」として描かれます。事実にない記憶に導こうとすると、脳に異常がおこる。
「記憶探偵と鍵のかかった少女」のキャッチコピーにある通り、記憶は嘘をつく。我々の記憶とは曖昧なものです。鍵をかけて見ないようにしたり、都合の良いように書き換えたりするものでしょう。
「レミニセンス」においては、そうでない。記憶とは事実そのものである。で、なければ尋問として機能しませんし、証拠能力だってありません。本人が「記憶」として認識しているものと、レミニセンス(記憶潜入)によって再生されるものが完全に一致するかどうかは明言されませんけどね。
ヒュー・ジャックマン演じる主人公のニックは、記憶潜入のスペシャリストとして戦争を経験し、戦後のマイアミでは顧客が再体験したい記憶へ導くことを生業にしています。検事からの依頼で捜査に協力はしていますが、片手間といった感じですよね。
「記憶潜入エージェント」といわれていますが「記憶見せ屋」が近い感じなんです。戦争のPTSDを抱え、それでも生きていくために戦争中の技術で食いつないでいる。厭世的な人物といえます。
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「記憶潜入エージェント」といわれると、迫り来る危険をかいくぐり目的にたどり着くスパイ的な人物をイメージしませんか? その要素があるにはあるんですが、濃くはないんですよね。
「インセプション」に寄せたイメージ戦略なんでしょう。ポスタービジュアルも、アメリカなどの海外版と色合いがちがっていて「インセプション」を意識しているのがわかります。
出典:IMDb 海外版ポスター。色がまったく違います。
宣伝効果が意識してのチョイスでしょうから、理解はできます。ただ、ディストピアSF世界での厭世的な憂いを称えた男の記憶巡りが魅力にあふれているので、もったいないなと思ってしまいます。
原題である「Reminiscence」は直訳すると「追憶」。「レミニセンス」を味わった今では「追憶」という言葉がぴったりときます。
「インセプション」に寄せられたのは内容だけが原因ではありません。製作に、ジョナサン・ノーランが参加しているのです。
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ジョナサン・ノーランは、クリストファー・ノーラン監督の実弟。
「メメント」(2000)で原案。「プレステージ」(2006)、「ダークナイト」(2008)、「ダークナイト ライジング」(2012)、「インターステラー」(2014)では脚本としてクリストファー・ノーラン監督作品に深く関わっています。
クリストファー・ノーラン監督の弟がプロデュースに参加した「記憶」にまつわるSFノワール。「インセプション」に寄せたくなるのもわかりますね。
監督は、ジョナサン・ノーランのパートナーでもある、リサ・ジョイ。
出典:IMDb
「レミニセンス」がノーラン色を強める一端になっています。
ということで、つづいては「レミニセンス」の世界を作り上げたリサ・ジョイ監督とジョナサン・ノーランのコンビについて触れていきたいと思います。
リサ・ジョイ監督とジョナサン・ノーランが作り上げたSFノワールの世界
リサ・ジョイ監督にとって「レミニセンス」がはじめての長編映画作品。上で書いたようにジョナサン・ノーランとはパートナーです。
2人の出会いはクリストファー・ノーラン監督作品「メメント」(2000)のプレミア上映だったといいます。
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「メメント」は、新しい記憶を数分しか覚えていられない主人公が、妻を殺害した犯人を追うサスペンス。時系列を入れ替えた複雑な編集が最大の特徴。リサ監督はかねてから「時間」に興味を持っており、「メメント」は相当衝撃的だったようです。この出会いをきっかけに、2009年に2人は結婚します。
2人が共同で作品をつくったのは「レミニセンス」が初めてではありません。
2016年からHBOで放映がスタートしたテレビドラマシリーズ「ウエストワールド」です。2人はJ.J.エイブラムスらと共に製作総指揮にクレジット。多くのエピソードで、脚本を手がけています。
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「ウエストワールド」は1973年の同名映画が原案で、西部劇の世界を再現した広大なテーマパークが舞台。ホストと呼ばれるアンドロイドと客や運営側である人間たちの物語です。
道具として消費されるだけのアンドロイドにフラッシュバックする「記憶」が重要な要素になっており、リサとジョナサンが「記憶」に大きな関心を持っていることがうかがいしれます。
シーズン1しか完走していませんが、人間の倫理観とアンドロイドの記憶が複雑に絡みながら進行する「レミニセンス」とも関連するような作品です。
「レミニセンス」でニックの相棒・ワッツを演じたタンディ・ニュートンと、常連・エルサを演じたアンジェラ・サラフィアンは「ウエストワールド」でも重要な役で出演しています。
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音楽のラミン・ジャヴァディ、撮影監督のポール・キャメロンも「ウエストワールド」から引き続いての参加です。
ラミン・ジャヴァディは、ハンス・ジマーの目に留まり彼の会社に引き抜かれた人物。弟子筋と言えるでしょう。「アイアンマン」でグラミー賞ノミネート、「ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズでエミー賞の作曲賞を受賞しています。
「レミニセンス」はリサとジョナサンが「ウエストワールド」で培った技術とつながりを発揮して作った映画だといえます。
リサ・ジョイ監督は「レミニセンス」について、パンフレットのインタビューで「SF、未来の要素がある話を、クラシックな美しさとスタイルで語りたかった」と言っています。
そして、影響を受けた映画として2本を挙げています。
1947年公開、ジャック・ターナー監督によるフィルム・ノワール「過去を逃れて」と、1958年公開、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」です。
「過去を逃れて」は、ロバート・ミッチャム演じる主人公が、私立探偵をしていた過去を精算するために危険な仕事に身を投じる物語。彼の運命を狂わせる女性・キャシーをジェーン・グリアが演じています。フィルム・ノワールの多くに登場する、運命を狂わせる美しい女性は「ファム・ファタール」と呼ばれます。「レミニセンス」におけるメイも、典型的なファム・ファタールですね。
主人公とキャシーがアカプルコで出会うシーンで行商から翡翠のイヤリングを購入するんですが、「レミニセンス」で翡翠のイヤリングがキーアイテムなのは「過去を逃れて」へのオマージュなのかもしれません。
ファム・ファタールの存在はフィルム・ノワールに欠かせない要素です。美しく、多くの場合は暗い過去を抱えている。そして、主人公と愛し合う。僕が「レミニセンス」の初見時に思い出したのはロマン・ポランスキー監督の「チャイナタウン」(1974)でした。
出典:IMDb 「チャイナタウン」
ジャック・ニコルソン演じる私立探偵のもとへ舞い込んだ浮気調査依頼と、ひとつの殺人事件。それをきっかけに、ある美女と家族の抱える大きな秘密の渦にのまれていく。
1930年代に実際におこったカリフォルニア州の水供給問題が背景になっており、「水」を巡る社会問題が横たわる点で「レミニセンス」と共通しています。
ファム・ファタールでの出会いで運命が大きく変わっていくという典型的な筋書きを「レミニセンス」は踏襲しているんです。
ヒッチコックの「めまい」からは「愛した女性に執着する男」という点で影響がみられます。失われた女性の姿を求めて、精神のバランスを崩し、周囲の心配をよそに街を駆け回る。
水没都市や記憶潜入というSF大作的な容れものに、運命の女性に執着する男という古典的なノワールの要素が注がれているのが「レミニセンス」なんです。
映像的な驚きや、アクション的な見せ場は、弱め。ゆるやかに破滅に向かう世界で、甘い記憶に浸る人々の哀しさと、それゆえに起こる悲劇が切々と語られます。
ヒュー・ジャックマンにはウルヴァリンのような屈強さ、P・T・バーナムのような運命を切り開く強い意志もありません。戦争のPTSDもあり、良い身体の割に弱い。ウジウジし続けるヒュー・ジャックマン。哀愁をたたえた姿は、あらたな彼の魅力になると思います。
過去のない男がみつけた哀しい希望
映画で描かれるほとんどは、ニックがループし続けている記憶の映像だと僕は解釈しています。同じ記憶を見続けると、現実に戻れなくなる。ニックは、メイが訪ねてきた日から彼女の秘密と本当の心を知った日までをループし続けていた。
ワッツに孫ができ、大きくなるほどに長い長い時間を。
映画自体が、ニックの記憶の再生。まさに「追憶」です。
最後、ニックが装置に入るのは、ある意味自殺の瞬間でもある。レミニセンスは、やさしい棺桶なんですね。過ごしてきた時間、これから過ごす時間を捨て、たった数ヶ月の甘く絶望的な記憶に浸りつづけるニック。なんと哀しい物語でしょう。
分かるのは、ニックには過去もなかったということ。今の自分を温めてくれる、未来にほの明るい光をさしてくれるような過去はなかった。戦争でひたすら他人の記憶を見つづけた。目を背けたくなるようなものもたくさんあったはず。
それが、メイと出会って変わった。未来を照らす存在に巡り会えた。彼女の真実に辿り着いた時、もう彼女はこの世にいなかった。
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最期の瞬間、ニックがブースの記憶を再生することを信じて語るメイとの見つめ合いとキス。
あんなにロマンチックで哀しいシーンを、僕は知りません。
簾のような幕に立体的に投影しているから可能になる2人の時間。過去の再生映像は「ホロガーゼ」と呼ばれる現実の投影技術を活用して撮影されたといいます。
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未来を捨ててでも、死と同義でも、メイとの過去に浸りつづけたかった。ニックには、それしかなかったから。過去の記憶が、松明のように未来を照らし、花束のように未来を彩ってくれる。
「花束みたいな恋をした」でも同じことを思いました。
「花束みたいな恋をした」も、多くの場面が過去の回想として描かれます。映画内の現在では、失われた恋。しかしそれは、2人にとってかけがえのないものとして、未来を生きる上での大切な花束になっている。
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過去も未来もなかった男は、運命の女性から「記憶」という花束を受けとり、眠りについたんです。
ニックとの対比として、ワッツが過去と和解し未来に希望を見出したのが、良かったと思います。でなければ、それこそ「過去から逃れて」や「めまい」のような暗く重い終わりになっていたでしょうから。
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未来への希望としてワッツの存在が効いていました。
すべての物語は、バッドエンドだから
ニックがメイに語った、オルフェウスの神話。ニックは、結末を変えて語ったんですよね。実際の話では、オルフェウスは妻のエウリュディケを冥界から連れもどすことができなかったのです。
それを、2人は幸せに暮らしたことにして語っていました。
「嘘」の結末をメイに語ったニックは、ひどい男でしょうか。少なくともあの瞬間、2人は自分たちが幸せに暮らし続ける未来を思い描いたことでしょう。おそらく、そんな未来はこないことが分かっていながら。
嘘でもいい。それを信じて幸せになれるのであれば。
リサ・ジョイ監督が描いたテーマのひとつだと思います。そしてそれは、クリスファー・ノーラン監督の作品とも共鳴してきます。
クリストファー・ノーラン監督の多くの作品では、「嘘」が良いものとして描かれます。
「メメント」で、妻の殺害に関する真実を知った主人公。
「インセプション」で、あるアイデアを植え付けられたキリアン・マーフィ演じる富豪の息子。
「ダークナイト」で、ゴッサム・シティを守るために真実を隠された、トゥーフェイスことハーヴィ・デント。
物語上だけではありません。「ダンケルク」では3つの時間軸を編集という「嘘」で劇的に仕立て上げています。
出典:IMDb
クリストファー・ノーラン監督は、嘘をつくことをいとわない。そもそも映画が虚構、嘘だからです。
この点こそ、冒頭で書いた「レミニセンス」と「インセプション」が共通する点です。作り手の思想といえる、深い部分で繋がっていると思います。
「ハッピーエンドは、存在しない。すべての物語は、悲劇だ」
「レミニセンス」におけるニックの言葉です。
すべての人が迎える物語は悲劇、つまり「死」です。
結末が決まっている以上、どんな幸せも、悲劇への途中といえる。逃れられない絶望を抱えて生まれた人間にとって、たとえ嘘でも信じる人が幸せであれば、それは「是」ではないでしょうか。映画という虚構の中であれば、なおさらです。
リサ・ジョイ監督。「記憶」「時間」「嘘」を操るクリエイターとして、期待できると思います。この先、どんな映画を作ってくれるかとてもたのしみです。
未来の傑作映画との出会いを信じることも、生きる希望になるはずですからね。
出典:IMDb
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[イラスト]清澤春香