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「ミッチェル家とマシンの反乱」成長じゃなく、修理。あるがままを受け入れる、変人家族の物語

金子ゆうき 金子ゆうき


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がっかりするのは期待しているから、なんて言葉があります。

ひとりよがりな期待のことが多いですが、当人は「裏切られた!」と感じたりします。逆に、最初から期待していなければ、がっかりすることもない。思いがけない喜びがより大きくなったりします。

我が家の食事づくりは、基本的に僕が担当しています。得意分野だし、嫌じゃない。その分、他の家事はやってもらっているわけですし。しんどいことだって、そりゃあります。それでも「つらいんだから、代わりにやってくれるだろう」なんて、思ったらおしまいです。勝手に期待して、勝手にがっかりしちゃうわけです。

期待値は低く、低く。だから、ときどき代わりにやってもらった時の喜びと感謝が大きくなるんですよね。

映画も似たようなことがあります。

期待しすぎると、いつもなら楽しめるものでもがっかりしてしまう。逆に、たまたま見た作品がとても良いと、評価マシマシになったりしますよね。

今回ご紹介するNetflixのアニメ「ミッチェル家とマシンの反乱」がまさにそうで、期待しないで見たらとても良かったんです。

ぶっちゃけると、5月は「ゴジラvsコング」評を書く気だったんですよ。それが公開延期になって、さてどうしたものかと。たまたまNetflixで見つけて見た、という感じです。

だから、これから見る方にも、同じ気持ちを味わってほしいんですよね。情報も入れず、期待もせずに、今すぐNetflixで見てほしい。きっと2時間後には大満足で、この評に戻ってこられるはずです。

さあさあ、Netflixへどうぞ。

……

……

………

見ました? まだ見てない? 困りましたね。
では、とっておきの情報を教えましょう。

「ミッチェル家とマシンの反乱」は、フィル・ロード&クリストファー・ミラーがプロデューサー「スパイダーマン: スパイダーバース」の制作チームが携わっています!

これで僕が勝手に言っているんじゃないと分かりましたね。

……

……

………

さすがに見ましたね? 良い意味で期待を裏切られたでしょう! そうでしょう、そうでしょう。

というわけで、今回は「ミッチェル家とマシンの反乱」について書いていきます。

ネタバレ前提ですが、この映画に関しては気にすることもないかなと思います。物語自体はシンプルなので。ですが、見てから読んでもらった方がたのしめるはずです。

それでは、どうぞ。

よくあるアメリカの3DCGアニメと思いきや……。

まず、あらすじをご紹介しましょう。

ミッチェル家の面々は、変人ばかり。周りに溶け込めず映画と映画づくりだけに没頭してきた、ケイティ。自然を愛し、ドライバーを常に持ち歩く父・リック。家族を分け隔てなく愛する(犬であっても)母・リンダ。恐竜の話をするために電話帳で手当たり次第電話する、ケイティの弟・アーロン。そして、顔と行動がいつもたるんでいる愛犬・モンチ。

ケイティは念願の映画学校へ進学が決定したが、巣立ちの前日に父と喧嘩してしまう。リックはバラバラになった家族を修理するため、ケイティの学校までの車旅行を強制的に決めてしまう。道中、人類を脅かす大事態が発生。なぜか、ミッチェル家に人類の運命が託される。ケイティたち家族は、世界を救えるか。

という感じです。

監督は、マイク・リアンダ。ディズニープラスで配信されているテレビアニメシリーズ「怪奇ゾーン グラビティフォールズ」を手掛け、今回が長編映画監督デビューです。


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出典:IMDb

「ミッチェル家とマシンの反乱」は、基本スラップスティックコメディです。日本のアニメで近いのは「クレヨンしんちゃん」の劇場版シリーズでしょう。家族のドタバタと、人類への脅威が平行していく点で「クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ」(2017)を連想しました。


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出典:映画.com

つづいて、ビジュアルをご覧ください。


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出典:映画.com

「アメリカの3DCGアニメっぽいなー」と思いませんでした? 僕は思いました。つるっとしていて、いかにもキッズ向けのカートゥーンアニメっぽい。

「ペット2」を褒めたことはあるんですが、あんまり好みのテイストではないんです。「どうだろうなあ」と不安を抱えながら見始めたんですが、だんだん不思議な気持ちになっていきました。

全然つるっとしてないんですよ。むしろ、手書きイラストの温かさを感じます。「こんなの見たことない!」と驚いたんですよ。

髪の毛や服、背景が特にそうなんですけど、よく見ると水彩画のように滲んでいるのが分かります。


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出典:IMDb


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出典:IMDb

「ミッチェル家とマシンの反乱」のプロダクション・デザイナーにクレジットされているリンゼイ・オリヴァーレスの水彩画を見た、リアンダ監督が「こんな風にしたい!」と希望したのがきっかけのようです。

リンゼイ・オリヴァーレスのInstagramを見ると、たしかに映画の背景のようなイラストがたくさんあります。

水彩画のような手書きの質感を3DCGアニメに取り入れる。簡単じゃないのは、素人の僕でも想像できます。CGは、エッジの効いた直線的な絵は得意ですが、曲線を多用した質感の表現は難しいでしょうから。監督もインタビューで「とても難しかった」と語っています。

父・リックは、ソニー・ピクチャーズ アニメーションが手がけた作品で、もっともお金のかかったキャラクターともいわれているそうです。

「見たことないものを見られる」

原初的な喜びがつまった映画なんですよ。ポスターやサムネイルだと伝わりづらくて、損してるんですよね。大事なことなので、あらためていいますが「ミッチェル家とマシンの反乱」をパッと見で判断するともったいないです。見たことない映像的な驚きがつまっているので、ぜひご覧ください!

で、水彩画のような表現という難題の実現に貢献したのが、冒頭にも書いたフィル・ロード&クリストファー・ミラーと、「スパイダーマン: スパイダーバース」の制作チームです。

見たことない、を実現しつづけるフィル・ロード&クリストファー・ミラー。

フィル・ロード&クリストファー・ミラー。フィル・ロードと、クリストファー・ミラーのコンビです。名前だけでピンとくる方は、このパートを読み飛ばして大丈夫。


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出典:IMDb

いつもながら不勉強な僕は、知りませんでした。

結論からいうと、フィル・ロード&クリストファー・ミラーに外れなし。どれを見ても面白いし、なにより驚きがある。

2人の映画監督デビュー作は、2009年の3DCGアニメ「くもりときどきミートボール」。発明オタクの主人公が、生まれ育った島を救うため「水を食べ物に変える装置」を作ったことで起こる大騒動を描いています。


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出典:映画.com

食べ物が雨のように降り注ぎ、後半はそれが大災害を引き起こす。「食べ物ディザスターコメディ」とも呼べる作品です。

高密度のギャグ、緻密な脚本、そして食べ物が大災害を引き起こすという見たことのない映像で高く評価されました。「普通」に馴染むために本当の自分を隠す必要はない、というメッセージも良いんです。

実写のコメディ映画「21ジャンプストリート」(2012)を経て、監督したのが2014年の「LEGO(R) ムービー」


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出典:映画.com

人物や背景はもちろん、自然現象もLEGOブロックで表現。実物で作ったストップモーションアニメのように作られたCGアニメは、新鮮のひとこと。親しみやすく入りやすいのに「創作」の根源に言及するようなテーマが見てとれるという、ちょっととんでもない作品です。

2014年にアメリカ公開された「21ジャンプストリート」の続編「22ジャンプストリート」以降、主にプロデューサーとして作品をつくっています。「ブリグズビー・ベア」(2018)なんか、とても良かったです。これも突飛な設定の映画なので、未見の方は、ぜひ。


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出典:映画.com

そして、2019年の「スパイダーマン: スパイダーバース」。第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞に輝いた傑作ですね。


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3DCGアニメなのに、紙のコミックのようなコマ割り、視覚化された擬音や集中線が飛び交う。動くアメコミという言葉がぴったりな映画です。どうやって作ったのかと、記事やメイキングを見ると「3Dモデルに手書きで着色する」という身も蓋もないアナログな手法というから、驚きです。180人近いアニメーターが参加した、狂気の映像体験。スパイダーマン映画として最高傑作といわれることも納得です。


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出典:IMDb

フィル・ロード&クリストファー・ミラーが関わった3DCGアニメを振り返えると、多くの作品に「見たことない!」という驚きがあると思います。どんな題材でも、視覚的な驚きが共通しています。

「ミッチェル家とマシンの反乱」にも、それがある。「ミッチェル家とマシンの反乱」は、リアンダ監督のもとで2015年頃から制作がスタートしたようです。制作途中の映像にフィル・ロード&クリストファー・ミラーが感銘をうけ、プロデューサーとして参加がきまったそう。「スパイダーマン: スパイダーバース」の制作チームや技術も投入されます。水彩画のテイストをとり入れるためのツールも、あらたに開発されたそうです。

「スパイダーマン: スパイダーバース」が、動くコミックだとすると、「ミッチェル家とマシンの反乱」は、動くイラスト集。さらに、ケイティが描く映画の世界が現実になったようなポップなイラストや文字(ケイティ・ビジョンと呼ばれていたそう)が、たくさん使われます。それがまた、楽しいおもちゃ箱のような雰囲気をくわえてくれる。


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出典:IMDb

フィル・ロード&クリストファー・ミラーに、外れなし。彼らの作品を見ておけば、間違いありません。

さて、ここまでは映像面に触れてきたので、物語に重心を移していきましょう。

監督の家族をモデルとした、ミッチェル家。

リアンダ監督はインタビューで、ミッチェル家のモデルは自身の家族だと語っています。特に、父・リック。リアンダ監督のお父さんも自然を愛する人で、早朝から外に連れ出されることが多かったそうです。そして、周りからは「変人」と、思われていた。

監督自身も、お父さんを理解するのに時間がかかったと語っています。お父さんにとっての自然、監督にとっての映画作りは、同じことだと気づいて変わったと言っています。他人にとっては、馬鹿らしいものでも、本人はそれに情熱を注いでるという点では同じだと。

これって、「ミッチェル家とマシンの反乱」の物語そのものですよね。

成長するにつれ、反発していた親との共通点が見つかり、受け入れられるようになるって、僕も含めて多くの人が共感できる普遍的なことだと思います。「変人家族」が前面にくるんですが、切り口が普遍的なので受け入れやすいんだと思います。

あと、脚本のつくりにもフィル・ロード&クリストファー・ミラーの影響が大きかったと思います。

というのは、「ミッチェル家とマシンの反乱」のあとに「くもりときどきミートボール」を見て

ああ、「ミッチェル家とマシンの反乱」は、「くもりときどきミートボール」の最新アップデート版だなと思ったんですよ。

それくらい、2作には共通点が多いんです。

まず、オープニング。どちらも、クラスで自分のつくったものを披露して笑われるシーンからはじまります。ケイティは、映画。「くもりときどきミートボール」の主人公・フリントは、発明。2人とも、情熱を注ぐものがありながら周囲に受け入れてもらえない孤独を抱えながら成長します。


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クライマックスで、父の行動が世界の運命を左右するという点も同じなんですよ。父との相互理解という、大きなテーマも共通しています。リアンダ監督は、フィル・ロード&クリストファー・ミラーに脚本についてのアドバイスももらったと語っていますから、相談しながら練り上げていったんだと思います。

ユーモア・ギャグのセンスも似ていたはず。「犬? 豚? 食パン!」のギャグは絶品だし、ケイティが家族への想いを語ったあとのPALの反応、いわゆる「すかし」の笑いも良かった。この辺りは「くもりときどきミートボール」「LEGO(R) ムービー」にも見てとれます。モンチのキャッチが、序盤で使われたあとクライマックスで活かされる構造も見事です。


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ただ、姉弟の関係性は、フィル・ロード&クリストファー・ミラー作品にはなかった点です。ここは「怪奇ゾーン グラビティフォールズ」から踏襲しているので、監督がもともと持っている部分なんだと思います。


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調べたり、過去作を見ると、リアンダ監督の資質とフィル・ロード&クリストファー・ミラーのテイストが合わさって高いクオリティにつながったことがわかります。監督・プロデューサーとして、相性が良かったんでしょうね。

当たり前のものとして描かれる、LGBTQ。

アップデートでいうと、ケイティの性的指向が同性愛、またはバイセクシャルとして描かれているのも大きいです。

名言はされませんが、ケイティのバッジが虹だったり、ラストで母が「感謝祭には、ジュディ(女性)をつれてくるの?」と聞いたりするとこから推測されます。虹は、LGBTQの社会運動を象徴する「レインボーフラッグ」につながりますからね。


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あと、ケイティのヒーローとして示される4人の映画監督のひとり、セリーヌ・シアマ「燃ゆる女の肖像」クィア・パルムを受賞した人です。クィア・パルムは、LGBTやクィアをテーマにした映画に与えられるカンヌ国際映画祭の独立賞のひとつです。


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出典:映画.com

直接的に名言されない、というのが良いと思うんです。主人公の性的指向は、物語に直接的な影響を与えない。家族や周囲の人に、当たり前に受け入れられている。過去に何かあったかもしれないけれど、すくなくとも映画の中では描かれない。

登場人物の個性として当たり前に存在する。「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」とかもそうでしたけど、アメリカ映画ではすでに、性的マイノリティが当たり前に許容された後の社会が、当たり前に描かれるているんですよね。

それに比べて、なんて書きたくはないんですけど、書きます。政治家が性的マイノリティへ信じられない発言(しかも、性的少数者に関する「理解増進」法案に関する部会で)をするような、日本の状況には頭を抱えてしまいます。僕自身、もっと知ってアップデートしていかないといけないなあと、あらためて思わされます。

ケイティの映画のように、色々とっ散らかりましたが、最後は「ミッチェル家とマシンの反乱」のテーマである「家族」について考えていきたいと思います。

家族vsマシン、ではなく、家族vs擬似家族。

「ミッチェル家とマシンの反乱」は、AIが進化を続けたら、みたいなSFが描き続けるテーマと、小さな家族の「反発と再生」が入り混じっています。規模の大きな舞台で、家族の話をするという、スティーブン・スピルバーグ的な特徴をもった物語です。

ただ、マシンがAIが反乱を起こした動機は「地球にとって、人類は害悪だ」みたいなものじゃないですよね。

「家族だよ」と言っていたのに自分(PAL)を捨てた、社長マーク・ボウマンへの復讐です。


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黒幕のパーソナルアシスタントAI・PALを演じたのは、オリヴィア・コールマン「女王陛下のお気に入り」でアカデミー主演女優賞をとった人ですね。家族に恵まれない役が続いている感じがするのは、気のせいでしょうか。


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ともあれ、反乱の動機は「捨てられたから捨ててやる」という、人間的な感情からでした。マーク・ボウマンとPALを擬似家族と捉えると、「ミッチェル家とマシンの反乱」は、破綻した擬似家族が起こした騒動を、問題を抱えた本物の家族が解決する話といえます。

人間vsマシン、というより家族vs家族。それが結果的に「ミッチェル家という家族の話」に厚みを持たせていると思うんです。

「ひとよ」評でも書いたんですけど、擬似家族は簡単に捨てられる。利害関係で繋がっているからです。本当の家族は、そうはいかない。捨てられないとはいいません。どうにもならなければ、捨ててもいい。「ロケットマン」なんかは、そうでしたね。

ただ、簡単ではありません。

捨てるには、繋がりが強すぎる。だからこそ、面倒くさいし、うっとおしい。それでも、繋がれるし、価値のあるもの。

思えば、ミッチェル家は結果的に世界を救ったけど、それぞれが「成長」したわけじゃないんですよね。ただ、それぞれが、それぞれを、あるがままに受け入れただけ。ケイティが小さかった、何も考えずにただ繋がっていられた頃に戻っただけ。

「成長」じゃなく、「修理」しただけ。

家族は変えられるものじゃない、あるがままでいい。「こうなってほしい、こうしてほしい」と、期待したって意味はない。繋がりが強いから、期待を抱いてしまうんでしょうけど。

期待とは「自分の想像の枠に相手を収めようとする行為」なのかもしれません。

ミッチェル家がPALに近づくため、ロボットに変装した時の窮屈さ。あれに似ているような気がします。


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窮屈なマシンに互いを押し込めた作戦は、結局失敗に終わります。その後の反撃は、それぞれの個性と好きなことが存分に発揮されることで果たされます。リックは、常に持ち歩いていたドライバーのおかげで脱出できた。父に興味を持ってもらえなかった、ケイティの「犬コップ」の動画はマシンの誤作動を誘発。アーロンは恐竜の目で、ケイティを援護できた。

うまくいったのは、よくある「映画の潜入作戦」じゃなく、「変人が変人たる根源」からだった。


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「こうあるべき」「これが定番」。そんな窮屈な枠にとらわれる必要はない。家族は、それぞれがあるがままにいるだけでいい。それだけで、充分すばらしい。たたみかけるようなギャグ展開の裏には、リアンダ監督の、そんな想いがあるように思いました。

僕自身、自分の子どもたちは、それぞれまったく違うんですよね。お兄ちゃんはこれができるのに、弟はこれができない。逆もまた然り。好きなものだって、バラバラです。両方できるようになってくれればいいのに、なんて思ったりもします。でもやっぱり、そうじゃないですよね。

相手が好きなことも、必ずしも理解する必要はない。「たのしそうに伸び伸びやっている」ことを尊重し、愛おしむ目線があれば充分じゃないでしょうか。

見ているものが違ったって、あるがままで、家族は家族なんですから。

「期待」という枠を、勝手につくらない。相手のためにも、自分のためにも。

それは、映画も同じですかね。

期待していなかった「ミッチェル家とマシンの反乱」が、これだけすばらしく、たくさんのことを考えるきっかけをくれたんですから。


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[イラスト]清澤春香

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