谷崎潤一郎『痴人の愛』(1947)新潮社
言わずと知れた谷崎文学の代表作。もちろん名作なのだが、それにしてもこの作品はとんでもねえ。カフェで見染めた美少女のナオミを妻として
・・・と、こう書けば、まるで譲治ばかりが美女に振り回される哀れな男のようであるが、この男、この男こそが本物のクズなのだ。ナオミが誰かと会っているという状況があまりに苦しくて、譲治は部屋にあったティッシュの箱を背中に乗せると、その箱をナオミに見立て、お馬さんごっこを始める。お前、絶対楽しんでるだろ!
ダメすぎる。この男は何をやっているのか。まだ人格も定まらぬうちに、こんな男の人生に巻き込まれたナオミこそがはっきりと被害者だ。だけど譲治はクズだから、「哀れな男の立場」を降りようとはしない。ああ、譲治を殴りたい。殴りたいけど、そんなことをしたらこの男の思うツボである。わなわなしながら谷崎の無敵さを味わうための一冊。
中村文則『掏摸 』(2013)河出書房
第4回大江健三郎賞受賞作。LAタイムズ文学賞候補作、アメリカ「ウォール・ストリート・ジャーナル」2012年ベスト10小説であり、アメリカ・Amazonのbest books of the monthにも選ばれている。各方面から絶賛される作品なのだが、読み返すと「あれ、この作品、まともな人間が1人も出てこなくないか・・・?」と気が付く。ストーリーが面白すぎるから、初読では、人物のクズっぷりに意識が向かない。
それにしても、皆、本当にダメである。掏摸をすることでしか生きていけない主人公ももちろんダメ人間だし、彼を追い詰める黒幕のアノ人も、徹底的にひどい。主人公が交流を持つ親子も、なかなかにクズ。こんなに皆ダメなのに、いつの間にか主人公に、親子に、場合によっては黒幕に、強烈な感情移入をしてしまう。落ちた場所からしか触れない傷を誰もが持っているのだと合点する。
オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(2013)光文社
ジョージ・オーウェル『1984年』と並ぶ、イギリスを代表するディストピア小説。西暦2540年、人間はすべて工場で生産される。フリーセックスが奨励され、「ソーマ」と呼ばれる快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。
皮肉たっぷりに描かれた世界の、ハッピーぶりがぞくぞくする。どこかで言い争いが始まりそうになると「おいおいどうしたんだ、幸せになれる薬でも飲んで落ち着けよ」と誰かが肩を叩く。好きな人に操を立てている女性には、「ずっと同じ人と付き合っているなんてお前は変態か?」と真顔で詰め寄る。何より恐ろしいのは、
町田康「本音街」/『浄土』に収録(2008)講談社
「私はあなたと別れます。なぜならあなたが
町田康がダメ人間を描写することにかける情熱にはただただ驚嘆させられる。芥川賞受賞作となった『きれぎれ』も絶望的にダメな人ばかり出てきたし、『夫婦茶碗』の主人公が金を稼がぬことは山のごとしであった。『告白』にいたっては、ダメ人間の汁を何年も煮詰めてソリッドにしたような、徹底したしつこさで読者の生きる気力を根絶やしにした。
本作「本音街」では、軽妙な会話の奥に、いや、表に滲む人物たちのクズっぷりを味わうことができる。「今あなたを殴ろうかなと思っているけれども、いいですか」という問いに対して「いやです。なぜなら痛いから」と答えるシーンは圧巻だ。誰もが本音で会話をする世界は、結局誰も殴り合うことのない、だらしなくて平和な世界なのかもしれない。