• MV_1120x330
  • MV_1120x330

「君の膵臓をたべたい」ミスチルの膵臓をたべたい僕が観た感想文

シーズン野田 シーズン野田


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ということで、今回はろくに内容も調べもせずミスチルなだけで「君の膵臓をたべたい」略して「キミスイ」について書きたいと編集部さんにお伺いを立てました。そんなロスチャイルドで、ミスターチャイルドな陰謀が隠れているとはつゆ知らず、編集部さんは「じゃあそれで」と、何も略さず快諾してくださりました。

とりあえず予告編にミスチルの主題歌が流れているので貼っておきます。 CDが発売されるまではこの予告編でミスチルを聴くしかないので、ミスチル以外が本当に邪魔くさい予告編です。

Reference:YouTube

ここまでミスチルミスチル言っておりますが、今までミスチルが主題歌を担当した映画って観に行ったことがないんです。

全然惹かれない映画ばかりというのもあるけれど、エンドロールで流れるミスチルを待つばかりで映画に集中できないのではないか? という懸念があるからです。

ですからミスチルだから見に行くという映画の選び方は、実は今回が初めてです。

ということで、ミスチルに興味のない人、ごめんなさい。

 

ミスチルからのキミスイ

といいつつ「君の膵臓をたべたい」も、タイトルだけ聞くとかなり気になる作品です。

今作は、本屋大賞2位に輝いた住野よる原作『君の膵臓をたべたい』と同名タイトルの映画なのですが、近年の邦画の中でもかなりインパクトあるタイトルで、「バイアグラ100mg男」に凌ぐ勢いです。(前回に引き続き、再び安易にホットワードを使ってしまい、すいません)。食べたいのが心臓でも、肝臓でも、胃でも、ウンコでもなく膵臓っていうのがいいですよね。

ちなみに「君の雑炊をたべたい」でググると、自称ケチで節約大好き主婦のブログと一緒に引っかかります。これぞ真の「ちなみ」です。

タイトルのグロさから察するとホラーなのかな?と推測する人もいるかもやしれませんが、どうやら「余命もの」というやつで、感動系の話らしいです。なるほど。余命ものっていうのは、映画見終わった人たちの「泣きました!」っていうインタビューが宣伝に使われるやつですよね。「感動しました!」とか「さすがサスペンスの帝王。自宅でも名演技」とか言いながら、女性たちがうるうるしてるやつですよね? (おっと、最後は違うか)

泣きたい人が泣くために見るデトックス映画ですよね?

24時間テレビの途中でやるドラマみたいなやつですよね?

「恋空」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「余命一ヶ月の花嫁」とかみたいに、両想いの男女が、どちらかの病気をきっかけに、今を大事に生きよう! と人生を見つめ直すこと以外にやりようのない、猿でもこわっぱでも書けるジャンルのやつですよね。

そっか。どうしよ。

全然見たくないんだけど。

 

江戸っ子がうどんを食わないのと同じように、男は「余命もの」を観ないのが粋だと常々思っているので、いくらミスチルが主題歌だからってさすがに腰が重い。つい「見に行かないで感想を書く」というズルが脳裏をよぎります。

人間いつか死ぬのは当たり前です。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。みんないつまでも生きていると思っていますが、余命というのは死に間際の人にだけあるのではありません。震災後は、次の震災前だし、戦後は次の戦争の前。終わりと始まりは常に表裏一体であり、生まれた瞬間に死へのカウントダウンがスタートするのです。生きとし生けるもの全てに余命があるのです。だから「余命もの」の余命然とした感じがどうしても好きになれないのです。自分の余命を「余命もの」に割り当てたくないのです。

だいたいミスチルもミスチルだよ。いつも見たくない映画の主題歌ばっかり。そういえば「恋空」もミスチルが主題歌担当してました。あんたら余命もののなんなのさ!

http://www.toysfactory.co.jp/artist_images/007012_RR_Tzdgy2ofxIQmTaYEjSMoFC8iMOP.jpg出典:TOY‘S FACTORY公式HP

飛んでいる場合じゃないぞ!! と憤怒していたその時です。弟が「お兄ちゃん、この本面白いよ」と、なんと『君の膵臓をたべたい』と湊かなえの『リバース』を手渡してきたのです。実にマイルドヤンキーな小学校の教師が読みそうな本だと妙に納得しながら、これも運命だということでとりあえず「君の膵臓をたべてリバース」することにしました。オエっ。

「余命もの糞ダセー」

さて、自分は余命ものを読んだことがないのでわかりませんが、というかライトノベル自体あまり読んだことがありませんが、意外にもこの作品には、余命ものへの批評的眼差しがあるように感じました。人と関わりを持たない読書家の主人公の、現実には小説のような「前振りも、伏線も、ミスリードもない」という気付きが描かれていたのです。そこには「余命もの糞ダセー」という作者のキングコングな思いを感じずにはいられませんでした。そもそもこんなタイトルをつける時点でパンクな気もします。人間いつか死ぬが、余命を与えられたものに関しては、その余命は全うされるという誰もが思っている幻想を、軽やかに打ち砕いたわけです。人間死ぬときは、余命もへったくれもねーぜって。

そして自分にも、とある気付きが芽生えていました。読み終わりと同時に、ミスチルの主題歌『himawari』を流せば、もう映画を観たのと一緒ではないのか? と。1800円が浮くと。しかし小説的なギミックも含めて、これをどのように映画化しているのかが気になったのも事実で、今回はそこの興味だけで仕方なく映画を観に行くことにしました。「映画を観に行くことにしました」って、それ前提のコラムではないのか? という気もしないでもありませんが、自分の場合は常に「映画を観ないで映画のコラムを書けないか?」と模索しているのでね。

ということで一旦ここで執筆はやめ、今から映画館に行ってきます。ではのちほど!!

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP