「秀吉、ギャフン!」のキャッチコピー
自分は、映画を観る前に必ずキャッチコピーを確認しておきます。途中で眠くなったり、話の筋が追えなくなったり、この映画ってホラー? コメディー? と見方が定まらなくなった時に、しがみつける“浮き”になるからです。
例えば、「タイタニック」のコピーは“運命の恋。誰もそれを裂くことはできない”です。もし急に話の筋が追えなくなっても、コピーに立ち戻れば「ああ、これは運命の恋の話だった。沈む船がもったいないという感情移入は間違っているのだな」と視点を定め直すことができるのです。また、仮に「もののけ姫」の鑑賞中に眠くなったとしても、あの有名なキャッチコピー“起きろ”を思い出せば、眠気も吹き飛ぶことでしょう。
このように、キャッチコピーは、映画の本質からずれてしまいがちな自分にとって、映画の観方を定めてくれる照準器と言えるのです。
で、今回の映画「花戦さ」のキャッチコピーは“秀吉ギャフン!”なわけですが、正直何度も鑑賞中に「秀吉ギャフン! 秀吉ギャフン!」、たまに「秀吉ダッフンダ!」になりながらも唱え続ける運びになりました。
なぜかって?
野村萬斎の演技の癖がすごすぎて、話に集中できないからです!!
野村萬斎と言えば、数々の映画で主役を張るほどの大物役者でありながらも、本職は狂言師です。NHKの教育番組「にほんごであそぼ」の“ややこしやの人”と言えばお分かり頂けると思います。自分も文化的に高度な人間ですので、何度か狂言を鑑賞したことがあります。
ただ、あの伝統的な発声法が普段、馴染みの現代芝居に入ってくると、たちまち異物混入事件です。芝居によってもたらされる心情の機微よりも、表面的なインパクトが勝ってしまい、
「野村萬斎って面白い顔だなぁ。そういえばコロッケの顔面ドアップの写真集も面白かったなぁ。立ち読みで大笑いしたの、あれが初めてだったなぁ、ははは・・・・・・あれ、なんの話だっけ? ・・・秀吉、ダッフンダ!」
といった流れで、コピーを唱えることが多々ありました。唱えなければたちまち物語を見失ってしまうのです。華道、茶道の他に、まさかものまね道が入り込んでくるとは思いませんでした。そのくらい、映画館の巨大なスクリーンに映し出される表情豊かな野村萬斎の顔は、異様なエネルギーを放っているのです。「シン・ゴジラ」の動きは野村萬斎の動きをキャプチャーしているということですが、まんま彼が大きくなって東京を破壊する方が、より迫力が出るのではないかと本気で思います。
特に、超自然派演技でおなじみの佐藤浩一演じる千利休と、野村萬斎演じる池坊専好の茶室の中での会話シーンは、演技に温度差がありすぎて風邪をひきそうになりました。別日に撮ったのではないか? と勘ぐるほど、両者の芝居の世界が混ざり合うことがなく、まるで花に抹茶をそのままぶっかけたような状態です。
1995年の映画「ヒート」では、不仲であるデニーロとアルパチーノの会話のシーンを別々に撮影して上手いこと編集でどうにかしたという有名な逸話がありますが、今作において、野村萬斎と佐藤浩一の仲が悪いとは思えないので(なんでだよ)、おそらく同日に撮っていると思われます。にもかかわらず、まるで別日に撮ったかのようなテンションの違いが発生し、クールな千利休と暑苦しい専好という“ひやあつ”なシーンが生まれていました。
他にも、随所にこの“ひやあつ”が散りばめられており、その都度「秀吉ギャフン!」と唱えずにはいられませんでした。しかし、実はその“ひやあつ”こそが、この映画の肝だったのです。