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恋とは、予感である。平野啓一郎『マチネの終わりに』

岡田麻沙 岡田麻沙


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脳汁が出るは、視点のせい

物語では、恋愛小説につきものの、いくつかのすれ違いが起きる。このすれ違い方がまた、緻密ちみつだ。『マチネの終わりに』は、「神視点」で書かれた小説である。主人公・蒔野の行動も、洋子の行動も、全て見える。私たちは普通こういう、神様のように全部が見える視点から書かれた小説を読むとき、すれ違いの場面になると「志村―! 後ろ後ろ!」って気分なる。「ああもう、何やってんだよバカ! ・・・ったく、バカ・・・」と、切ない気持ちになるのだ。

でも『マチネの終わりに』は、それだけでは済まない。「後ろ後ろ! ・・・あ、でも、前もですね・・・。あ、横もそうだね、うん、そうだよね(真顔)」ってなるのだ。平野啓一郎のクリアーな筆は細部を正確に説明してくれるので、全部にピントが合っているえぐい写真を見た時みたいに、読んでいると脳みそがスパークして身動きが取れなくなる。チャクラ開きまくりである。

しかも、私たち読者にはもう1つの神視点が与えられている。それが「過去に関する記憶や知識」だ。2006年、蒔野と初めて出会った洋子は、その席で「もうじきイラクに行くんです」と告げる。2006年のイラクと言えば、2003年より勃発したイラク戦争が最悪の事態を迎える期間だ。2006年の3月時点で、イラクにおける民間の犠牲者数は2004年、2005年それぞれの年間犠牲者の数を上回ってしまった。それほどに、現地は熾烈しれつな状況であった。

イラク? イラクに行くの? 洋子が行くのはいつなの? まさか・・・とハラハラしながら頁を進めると、次の章で躍り出る「2月」の文字。

ここで読者は、「あかーん!」と叫ぶのである。

私は叫んだ。「洋子あかん、そっち行ったらあかん!」心の中でそう叫びながら、ますます必死に文字を追う。そして、物語の中盤にさしかかるころには、「そう叫んでしまった自分」について考え込まずにはいられないという体験をした。本作には、こんな意匠がふんだんに散りばめられている。

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