ウォレス
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●ジャレド・レトが演じるウォレスが盲目なのは、前作で目を潰されたタイレルのあとを継ぐものだからですよね。
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これはソポクレスが書いた戯曲『オイディプス王』からの引用。オイディプスは親(神)を殺してしまい、自らの両目をついてしまいます。
また彷彿とさせるのは、堕天使ルシファーが創造主ヤハウェに対して、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ物語、『失楽園』を書いたミルトンが失明していたこと。
●しかし、ウォレス自身がやたらに聖書を引用したり、レプリカントを「天使」と呼んだり、「神になりたい感」を出しすぎなので、ここはもうちょっと前作のタイレルとセバスチャンのように、理系の人間らしい倫理感のなさがあったほうがよいのでは。神になりたい感出したままウォレスは物語世界で死なない幕引きなので、いくらでも続編が考えられてしまう余地が残る。
デッカード
●「チーズをひと切れ持ってないか?」は、スティーブンソンの『宝島』からの引用。これは前作でカットされたシーンからわざわざ引っ張ってきてますね。
●フランク・シナトラやプレスリーについては、ラスベガスだから、という以外に、なぜその曲なのか? という話がまた延々とできそう。
●ハリソン・フォード演じるデッカードは、僕がオススメしたオリジナルの1982年劇場公開版ではどうみても「人間」でしたが、その後リドリー・スコットによる改変によって、彼もレプリカントではないか? という疑念が生じるバージョンが生まれています。
●その点に関しては今回もあいかわらずよくわかりません。まず、普通に歳を取っている。なら人間だったのかと思うと放射能に汚染されたあんなところで一人暮らし。あの犬は平気で酒を飲んでいるので造りモノですね。しかも、レプリカントのKと殴り合ったり、壁を壊すぐらいに強い。だが最後はちょっと縛られたぐらいで簡単に溺れ死にそうだし、わけがわかりません。
●1982年のオリジナルの劇場公開版では、デッカードははっきりと「人間」でした。デッカード自身によるナレーションもあり、離婚歴があったりと、きわめて人間臭く描かれていました。ところが前述したようにリドリー・スコット監督はその後のバージョンで「デッカードは実はレプリカントではないか」という疑念を観客に抱かせるシーンをわざわざ挿入、これがまたカルト・ムービー化に一役かっているのですが、演じたハリソン・フォードは「もしそうなら俺は人形同士のラブシーンを演じたのか」と激しく反発した時期もあり、僕としては、今回の話にすんなり繋がるのは「人間」であるとしたオリジナルの劇場公開版ではないかと個人的には思っています。
●ですが、今作では「人間かレプリカントかは、生物学的にもはやどうでもいい」というところまで話が来ているので、どうでもいいような気もします。
レイチェル
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●蜂がKの手にとまります。蜂は旧約聖書の申命記7章20節にも出てきます。「主はまた蜂を彼らのうちに送り生き残っている者たちや隠れている者たちをあなたの前から滅ぼされる」
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蜂は前作の鳩とも呼応する「生命」の象徴です。前作ではレイチェルはデッカードから「ヴォイト=カンプ テスト」を受けます。これは数学者アラン・チューリングが考案した、それが人間か人工知能かを調べる質問集「イミテーション・ゲーム」をもとにしています。チューリングは人間の思考と人工知能の区別がなくなる可能性を示唆した数学者です。そのなかで、レイチェルは「蜂が手にとまる」「殺す」と答えていますが、Kは殺しません。ここにもレプリカントの心がもはや人間と区別がつかない段階に来ていることが示されます。
●ショーン・ヤングのCGについては、人間社会にレプリカントというものが入り込むというのをこれ、みんな映画の中の出来事と思ってるけど、実際に映画の中の文脈でやってみたら、ほら、ぎょっとするでしょ? というメタ的な組み込み方になってるんじゃないかと。
●もちろんいちばんストーリーの中で巨大な引用は前作のレイチェル(Rachel)を「ラケル」と読み替えて、ストーリー上のつながりを作ったこと。ラケルとは、旧約聖書の『創世記』に出てくるヤコブの妻。その子の名前は、ヨセフ、つまりジョーです。
ほかにも
●エドワード・ジェームズ・オルモス演じるガフが35年ぶりに登場。折り紙は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の羊。
●木馬には「ユニコーンの角が取れた跡」がある。ユニコーンの記憶は本物かどうか? はリドリー・スコット監督の改変後の問題となっている。それをわざわざモチーフにつかっている。
●シルヴィア・フークス演じるレプリカント「Luv」に関してはかなり掘り下げられると思いますし、LAPDの上司「マダム」もかなり複雑な人物造形がされていて、性的なほのめかし、その倫理観は? またレジスタンスとはなんぞや? そもそも登場人物全員の中に人間はいたのか? という考え方もできますね。
●アナ・ステリン博士に関してはこの目の持ち主は誰かと考える時に重要です。
出典:IMDb
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前作も目から始まりました。
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またリドリー・スコット監督は「エイリアン:コヴェナント」も目で始めました。「プロメテウス」そして「エイリアン:コヴェナント」は、人間が作ったアンドロイドが造物主になるという話で、ブレードランナー世界のさらに先の話と考えることもできます。リドリー・スコットのなかでは繋がっているテーマですね。
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・・・もう、こんなことやってたら進みません。この映画は、旧約聖書やロシア音楽やソ連映画やそして前の「ブレードランナー」からの引用だらけです。ソ連の映画監督、アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス」からの影響なんて、こんなにあからさまです。この映画、長い上にアート映画です。
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タルコフスキー・オマージュは現代のハリウッドに顕著です。クリストファー・ノーランは「インセプション」で「惑星ソラリス」をなぞりましたし、アレハンドロ・イニャリトゥの「レヴェナント」は全編タルコフスキーそっくりの画作りが続きます。