こんにちは。鏡竜太郎です。みなさんお元気でしょうか。
わたくし、最近思考の本を出版致しまして、またそれが結構売れておりまして、かなり機嫌が良くなっております。
しかーし! そんな機嫌の良い時に、機嫌の悪い出来事が発生しました。
激しく嫉妬する広告に出会ってしまったのです。
これから紹介する広告は、大げさに言うと「広告表現の新境地」。
いや、大げさに言い過ぎました。「とても秀逸な表現手法で作られた広告」くらいにしておきましょう。
いずれにせよ、なぜ嫉妬したのか。それは「広告表現の常識」を信じられないくらい見事に裏切っているからなんです。広告表現の常識、それは・・
商品説明ばかりの広告は、つまらない。
そう、通常説明ばかりの広告はつまらないです。「広告は見られないという前提で作る!」というのが基本、そうすると商品名やブランド名、商品特徴、いずれかを残しつつ、いかに「コンテンツとして魅力的であるか」が問われてきます。説明ばかりの広告は、東大卒のスポーツマンのイケメンが渋谷のスクランブル交差点で「いかに自分がイケてるか」を拡声器を使って自慢している状態で、誰も足も止めず、半笑いで通り過ぎられてしまいます。つまり通常
商品説明ばかりの広告は、コンテンツとしてはまったく面白くない。
ということになってしまいます。一部の例外を除いては(すぐ後に書きます)。しかし! 何とこの広告はほぼ、商品と商品説明だけにも関わらず滅茶苦茶コンテンツとして魅力的になってしまっています。なぜなら、東大卒のスポーツマンのイケメンが渋谷のスクランブル交差点で「いかに自分がイケてるか」を拡声器を使って自慢しながら、手品をしているのです!!
これは、佐藤雅彦さんがコイケヤ等で実践された「ドキュメントリップシンクロ(日常生活の中でなぜか出演者のセリフだけが商品説明になっている)」という手法を編み出された以来の、快挙であると言えるのです。
なぜ商品説明だけなのに見てしまうのか? それはキーとなるアイデアを
人間の記憶はあやふや
とし、
まったく同じものを、まったく別のものとして見せている
からなんです。言い換えると
まったく同じ商品説明を、まったく別の商品説明として見せている
のです。コンテンツとして楽しみまくった後、強制的に商品名と商品説明を覚えさせられている。まさに麻薬と言える広告なのです。カレー界に例えるとインデアンカレーなんです(例えなくてもいいんですが・・)。