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マッサージ師に教わった、人間関係をハックする快楽の作法

岡田麻沙 岡田麻沙


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それから、マッサージの圧力を上げるとき。急に刺激が強まると、痛みに驚いて受け手の筋肉はこわばってしまう。多くのマッサージ師が、力を強くする直前に大きく長く息を吸う。人気マッサージ師たちは、これを聞こえるようにやる。雑談を交えた施術中に力を強めたい場合は、喋る速度を徐々に落としていく。これが「さあ、行きますよ」という合図になる。彼らのマッサージに共通する気配りに気が付いた時、わたしはぶったまげた。予測誤差はコミュニケーションでこんなにも調整することができるのかと。

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予測誤差がないところに快楽は生じない、とは、社会学者である上野千鶴子の言葉である。上野は対談の中で、快楽が生じる条件について以下のように語っている。

くすぐったさは快楽とスレスレですね。赤ん坊だってくすぐると嬉しそうに笑いますものね。<中略>まず予測誤差があること。つまり自分がコントロールしぬけないという自己放棄が前提になっている。にもかかわらずその予測誤差が危険や不安の範囲を超えないということに対する安心感があるということ。
引用:上野千鶴子(2015)『セクシュアリティをことばにする 上野千鶴子対談集』青土社

たくさんのマッサージ師たちが教えてくれていたのは、快楽の作法だったのだ。見知らぬ他人に肉体をあずけること。そうした状況に同意ができるかどうかは、受け手の柔軟な態度と、マッサージ師の発する「体からの問いかけ」にかかっている。「これから触りますよ、いいですか」と伝えるための息継ぎ。「大丈夫ですか」と問うように、皮膚の上で立ち止まる両手。相手の吐く息に、こちらの吐く息の速度を合わせること。一言も言葉を交わさずとも、信頼関係を築くことぐらいできるのだ、と、彼らの作法は示してくれた。

他者から触れられることはときに恐ろしい。だが、誤差を恐れているばかりではつまらない。たまにはズレを味わいたい。予測誤差によって今生きている世界から引きずり出される体験は、まぎれもなく快楽であると思うからだ。

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