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ひいおじいちゃんと暮らす【連載】松尾英里子のウラオモテ

松尾英里子 松尾英里子


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そんな会話を繰り返したり、祖父の行動を観察しているうちに、息子は「ひいおじいちゃん」がどんな人だが、だんだんわかってきたらしい。耳が遠い。歩くのはゆっくり。しゃがむのは大変。杖も使う。薬も飲む。3日も経つと、耳元で「おはよ~」と話しかけ、出かける時には足元に靴を用意し(2歳の妹のほうも、真似して「はい、どうぞ」と祖父の靴を揃えるようになった)、出かけ先では、一緒にゆっくり歩くようになった。自主的に、「ひいおじいちゃん」のところまでお茶を運んだり、「おくすりのんだ?」「ころばないようにね」と声をかけたりする様子も見られるようになった。
 

なるほど。どうやら子どもたちは、高齢者の存在を認識したようだ。そして、どんなふうに話しかけるか、どんなサポートが必要なのか、自分にできるサポートはなにか、子どもながらに何かしら気付いたようだ。もしかして、高齢の方に対する思いやりの気持ちとか、相手の健康や体調を気遣う心というのは、こういう経験をもとに育まれるのではないか。ふと、そんな気がしてきた。

小さな4人家族では、なかなかこれまで接することのなかった「ひいおじいちゃん」のような高齢の方。でも、今の日本、これからの日本で生きていく上で、高齢者という存在はますます身近になってくる。また、生きている以上は、必ずいつか自分の通る道となる。
 

自然に触れよう、英語で過ごそう、などと、今、様々な「アクティブラーニング」が世にあふれている。それと同じように「おじいちゃんおばあちゃんと過ごそう」「おじいちゃんおばあちゃんのお手伝いをしよう」なんていう機会が、もっともっとあれば、世間はもっと優しくなるのかな。
せっかく長生きしてくれているひいおじいちゃん。もっとたくさん会いに行こう。そんなふうに思った、今回の帰省だった。

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