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「海獣の子供」の圧倒的世界感はどう生まれたのか

さかかな さかかな


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「海獣の子供」を観終えたあと、私は映画館の椅子に座ったまま放心状態だった。何一つ理解出来なかった。すごいものを見てしまった。相反する気持ちが交わり、うねりを上げて昂ぶっていた。

けれど、衝動は静かで心の奥、いや、腹の奥からぐずずずずっと聞こえてきた。なにか、多分、きっとこれは、感動という名の感情が渦巻く音なのだろう。あの不思議な感覚は一生忘れられないにちがいない。

「何に感動したのか」「何をすごいと思ったのか」をいつもだったらすぐに言葉にしてしまえるのに、この作品だけはどうしてもできなかった。


出典:映画.com

うまく言葉に出来ないが「今、感じているこの感動は確かだ」と思ったのだ。

一番大切な約束は言葉では交わさない。

そうだ。これは、私と彼女たちとの約束なのかもしれない。主人公の少女、琉花が過ごした夏を追体験。それはまるで〈生命誕生の物語〉を伝える美しい宗教画のようだった。

海で起きるほとんどのことは、誰にも気づかれない。 この映画で、あなたは〈生命誕生の物語〉を目の当たりにする――。

「映画の世界観」とは、映像と音で表現する人生・哲学・芸術

出典:Youtube

〈世界観〉という言葉を私たちは「文学・音楽などで、その作品がもつ雰囲気や状況設定」という意味として使うことがあるが、この使い方は2000年頃に発生した。発祥はとあるインターネットの掲示板だという。

しかし、本来〈世界観〉とは1900年頃に生まれた言葉で、当時の哲学者たちによって使われていた専門用語だった。

 
世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天観・厭世 (えんせい) 観・運命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。

引用:goo辞書「世界観」

世界観とは、人生・哲学・芸術に対する個の考えを一括りにした総称である。例えば、キリストの世界観、マルクスの世界観というような「誰かの思想・信条による世界の切りとり方」を意味している。

では「映画の世界観」とはなんだろうか。

映画を「映像と音を切りとり、物語として編みあげること」だとしたら、製作する者の人生・哲学・芸術を表現するために映像と音が「映画の世界観」を生み出していると言えるのではないだろうか。

「海獣の子供」を制作したアニメーション制作スタジオ“STUDIO4℃”は、原作の物語をどのように映像と音で編集しあげたのか。私が言葉にできなかった「すごい」の理由に近づいていこうと思う。

 

「海獣の子供」について│物語

https://i.imgur.com/fDy6Ub1.jpg
出典:amazon

映画「海獣の子供」は2019年6月7日公開。

五十嵐大介原作で、「月刊IKKI」にて2006年から2011年の5年間連載していた。単行本は全5巻で1巻300ページを超える大作だ。

タイトルの海獣とはジュゴンのこと。ジュゴンは人魚のモデルになったと言われている動物であるが、

ジュゴンに育てられた二人の不思議な少年たちにまつわる物語である。彼らと世界各地で言い伝えられている海の伝承を中心に「生命はどこから生まれてくるのか」という壮大なテーマが描かれている。

海獣の子供3

海獣の子供2
出典:ecomic 海獣の子供(1)

独特なタッチで、キャラクターと背景を区別せず同じ密度で描かれ、いきいきとした海洋生物たちがくらす海の雄大さを伝えるコマ使いが特徴的な大作である。

映画化が決まったのは、連載終了後の2013年。制作はSTUDIO4℃。彼らの代表作は「鉄コン筋クリート」「ムタフカズ」など、ハイクオリティな映像で、先鋭的な表現に挑戦する世界的評価の高いアニメーション制作会社だ。

出典:Youtube

STUDIO4℃代表取締役社長であり本作プロデューサーである田中栄子は、連載の1話目を読んだときに「これを映画化するならうちだね」とスタッフと話したそうだ。

しかし連載終了後「これは無理だ」と一度諦めることとなる。

物語のテーマである〈生命誕生の物語〉のスケール、五十嵐大介の世界観を表現する密度の高い画。これらを2時間の映画にまとめることはあまりに無謀だった。

その数年後、社内の企画会議で再び「海獣の子供」の話が持ち上がる。

それならば、とチームメンバーが集められ制作がスタートした。制作開始から6年。映画「海獣の子供」は原作と同じだけの時間をかけ制作されることとなる。

 

わからないということがわかる映画

https://eiga.k-img.com/images/movie/89501/photo/ea47aee4f72a0ca2/640.jpg?1551225915出典:映画.com

TwitterでもFilmarksでも、映画レビューの高評価の人も低い人も、皆が口をそろえて言う。「わからないが、美しい」と。

私が、まず伝えたいこと。本作は原作「海獣の子供」へと導くための宗教画のような映像作品である。ということである。

その昔、ヨーロッパでキリスト教が普及したころの大衆は文字が読めなかった。けれど、多くの人が救いの物語を知っているのは、教会に飾られた絵画を見て、司教がその物語を説き、人々に神の教えを伝えていたからである。

映画「海獣の子供」は、ジュゴンに育てられた子供たちの物語を美しく魅せるために作られた。それは教会などに見られるステンドグラスであり、まさに宗教画の一つと言えるだろう。

人間は誰しもが物事に「答え」を欲しがる生き物だ。だが、この物語の最大のテーマである〈生命誕生の物語〉の明確な答えは原作にもない。

誤解を恐れずに言うならば、この映画に一つの答えを導きだそうとすること自体が人間の驕りではないだろうか。

 

「自然の原理、人間の見えていることはほんの一部である」と、物語の中でアングラードも言っている。

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出典:映画.com


物語そのものが宗教。それを伝える原作と宗教画。

美しい映像へと昇華した「海獣の子供」は私たちを原作へと導く力を持ち、「生命はどこから生まれてくるのか」という五十嵐大介の世界観を大衆に伝えるべく、STUDIO4℃は「海獣の子供」を映像化したと捉えても面白いのではないだろうか。

 

「海獣の子供」という映画作品としての凄さを考える

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出典:映画.com

本作は、主人公である少女琉花(るか)にフォーカスした物語だ。他人になかなか自分の気持ちをうまく伝えられない琉花は、ジュゴン=海獣に育てられたという不思議な二人の少年、海(うみ)、空(そら)と出会う。

声を演じるのは、琉花:芦田愛菜、海:石橋陽彩、空:浦上晟周の3人。

現実世界でも14歳というリアルなキャストである。今しか感じられない世界を知っている彼らの演技は、原作者の五十嵐大介も「あぁ、琉花たちってこういう声をしていたんだ」なんて言うほどだ。

瑞々しい彼らの「音」はとてもハマっていたと思う。

では、何がなんだかわからないが、皆が口をそろえて「すごい」という本作を少しマクロに見てみたいと思う。

映画とは、「映像」と「音」を切りとり、編みあげることで成立すると冒頭で述べたが、編み上げるためには次の3つが条件になる。

1.物語│2時間という制約を乗り越える
2.映像│動くキャラクターと世界を構築する背景
3.音│独立した音楽と嘘のない音

詳しくみてみよう。

1.物語│2時間という制約を乗り越える

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出典:映画.com

「考えるな。感じろ」とは、まさに「海獣の子供」のための言葉ではないだろうか、と思うほどに圧倒的な展開をみせる。しかしわからないのに、なぜか観終えたあとの満足感は失われない。その理由を原作を元に考えてみる。

・世界設定は変更していない
・物語の展開もほぼ変更なし
・原作のテーマを見失っていない

原作を読んでもらうとわかるのだが、実は「海獣の子供」の世界設定はほぼ変わっていない。

琉花の視点に振り切った脚本により生み出された体験

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出典:映画.com

2時間という制約の中での必要な変更はもちろん幾らかはあった。例えば、海と琉花が出会うシーンは東京の海ではなく、水族館の大水槽に変更されている。

けれどうまいのは、台詞回しや展開は変えずに「省略」することで物語全体のテンポを生んでいることだ。

漫画では次話につなげるフックが必要だが、映画にその必要はない。そういった編集の積み重ねが、脚本=物語性を高めることになるのではないだろうか。

原作と大きく異なるのは「琉花の視点で物語が進む」ということだ。つまり、多くの見えない物語があるということだ。

公式パンフレットでは「あえて原作で語られているすべてを描ききらない選択をした」と渡辺歩監督は語っている。大人たちを取り巻く悲痛な現実、ジムとアングラードの出会い。空と海の生い立ち。琉花の両親とのつながり。

今を生きている琉花には見えない話たちだ

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出典:映画.com

「人間に見えている世界はわずかで、なにも見えていないのと同じである

渡辺歩監督たちの世界観はこの空のセリフなのかもしれない。物語のすべてを描かないことで、作品に奥行きをもたせているのだ。

 

原作からのテーマである「海と宇宙」。見えている部分は一部であり、私たちはまだ何も知らない。そして、琉花と“海獣の子供たち”の関係は、物語のキーとなるくじらの歌「ソング」を介してうまれた。

本作を見ただけでは、原作「海獣の子供」の世界は知らないことと同じ。私たちと「海獣の子供」という物語は、画を介して出会うことが出来たのだ。

 

そのかわりと言ってはなんだが、私たちは琉花と一緒に特別な夏を経験することになる。

ジンベイザメがこちらに向かってくるときの、頭は冷静でありながらも、どうしようもなく身体が言うことを聞かない恐怖に支配される感覚。

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出典:映画.com

クジラに飲まれるときの「でかい」という支配。諦めと同時に、立つ鳥肌。

映像の美しさだけでなく、映画館のスクリーンを最大に活かした構図が生み出す迫力は、これが生の体験であるかのような錯覚を引き起こす。

クジラが見切れる。飲まれようとする主人公の驚きや絶望を映すわけでもなく、絶対神であるビーナスを抱くクジラのための演出。

海獣の子供MV2

海獣の子供7
出典:YouTube「海獣の子供」特報

しかしその絶対神は圧倒的すぎて見切れている。

私は初めて、アニメーションで畏れを感じた。

また、3人が夕焼けに赤く染まった海から空を見上げるとき。私はそこに広がる空を知らないのに、懐かしくそして永遠を感じたのだ。

私の琴線に触れたものは、空や海が燃やしている命への共鳴かもしれないし、私たちにも一度は訪れる14歳という一瞬の煌きなのかもしれない。

出典:YouTube「海獣の子供」特報

原作のページをめくるたびに広がる畏敬を感じる海と宇宙が本作にはある。

渡辺歩監督は私たちに、琉花と海獣の子供たちとの出会いを追体験させようとしているにちがいない。

 

カオスさを失わずに、比較的わかりやすく表現されていた誕生祭

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出典:YouTube

わからない、わからない、とあれだけ言っていたのに、ここにきて「わかりやすく」とは一体どういうことだと思われるだろう。

もしあなたがすでに鑑賞後であるならば1つ聞きたい。例のシーンを見て「よくわからないけれど、生命や誕生のことが言いたかったのかな?」と思ったのではないだろうか。

それは、物語に順序正しくキーとなるセリフ、アイテムがビジュアルとしてわかりやすく配置され、「わからない」ことに文脈を与えているからである。

例のシーンで彼が言う受胎、誕生祭

隕石は精子。惑星は卵子を暗喩する画。

最後に聞こえる赤ちゃんの泣き声

エンドロールまで観た私たちは「きっとこういうことなのだろう」という解釈を生み出し、理解が及ばない事象に意味を与えているのである。

それはまるで世界の始まりを伝承し続ける村人のようだ。

 

ちなみに、隕石のくだりがなぜ生命を授かる神秘を意味するのかよくわからないという人は、〈パンスペルミア説〉を調べてみてほしい。まさにそれなので。

〈パンスペルミア説〉とは、命の起源に関する仮説のひとつ。地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したもの、とする説である。「胚種広布説」とも邦訳されるようだ。

もし光を微生物とすると、この不可解な隕石を巡るファンタジーが少しだけ理解できる気はしないだろうか。

また、原作では、世界各地で伝えられている神話を描いている。その意味は〈パンスペルミア説〉のような科学的な仮説を人が唱えるよりも以前から、それに近しい物語として存在することを示唆しているのだ。

映画版では神話のくだりは削られてしまっていたが、海獣の子供たちそのものが神話のようなものである。

世界、つまりは生命の始まりを伝承し続ける村人たちは、理解が及ばないことに感銘し、慄き、物語を語り継いでいるのだろう。

例のシーンはたしかにカオスではあるが、それが〈生命の始まり〉であることは明白で、だから私たちはそれを「すごい」と語ることができるのである。

 

2.映像│動くキャラクターと世界を構築する背景

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出典:映画.com

漫画は限られた紙面にコマを作り、描写をしていく。一方映像は、画面の中で流れていく時間軸に、キャラクターや世界を動かして表現していく。

映像を作り出すにはキャラクターを動かすことと彼らが動き回る世界=背景が必要となる。

作画は、キャラクターの動きや表情をみせる。一方、背景は水族館、海辺、琉花の部屋、海中の海洋生物とその担当範囲は非常に広く、キャラクター以外のすべてを美術としている。

原作をリスペクトした線を活かした作画

総作画監督は小西賢一。「耳をすませば」「もののけ姫」などで原画を担当し、その後2006年に公開された映画「ドラえもん のび太の恐竜2006」で渡辺歩から誘われて作画監督を務めた。

小西は、原作漫画をアニメにするにはすべて線を確実に描ききらなくてはならず、そのあたりに苦労したという。

原作感を残すために独特なタッチを残しながら、躍動感を生み出していることに、原作へのリスペクトを感じる。

海獣の子供MV
出典:YouTube「海の幽霊」

映画版の琉花は、原作よりも小柄で少し幼く見える。これも作画監督が意図して「普通の子」を目指すために設定されたそうだ。

しかし、この映画版の琉花のこのカットだけで、傷ついていることは伝わってくる表情を表現する。身震いする。

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出典:映画.com

海獣の子供
出典:ecomic 海獣の子供(1)

 

世界を決める背景│懐かしさを感じる見たことのない世界

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出典:映画.com

美術監督を務めたのは木村真二。STUDIO4℃では「鉄コン筋クリート」「ムタフカズ」の美術監督を担当している。そして映画の彩りを決めていく色彩設計の伊東美由樹とは、3度目のタッグだ。

「アニメの評価を決めるのは美術である」と言われる背景。

木村は、原作の線画とカラー原稿のハイブリッドで、いいとこどりをし、通常のアニメーションでは意識しないレベルで空間を作ったという。

夏の空気感。空気に色素が溶け込んでいるかのような影ににじむ緑色であったり、夏の強い光によって透けて見える塵。

本作で彼の描く背景は夏の湿度や熱が宿っているような生っぽさがある。美しい光のデジタルの演出に相反する厚塗りの絵画のような画とのアンバランスさが魅力だ。

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出典:映画.com

原作のテイストを保つために、アニメではあまり表現されない線による影を、建物や動物の影に入れていたり。

アニメーションとして原作を超えていく挑戦とリスペクトが随所に織り込まれている。

観客達は、ファンタジーのような大きな嘘を許す。夏や街、14歳が過ごす世界といった当たり前にあるものほど作品の完成度へ寄与するのだと思う。

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出典:映画.com

デジタル化により、ただひたすらにキレイな映像には慣れてしまった私たちだが、その先に求める感動はデジタルだけでない作り込みであることを感じさせる。

ジブリのような手書きによって複眼で観た世界表現。新海誠のような実写世界に美しい光を溢れさせた情景。

映像美と言われる所以だろう。

しかし「海獣の子供」は、時代をつくった2つの作品を融合させただけではない。

通常のアニメーションでは意識しないレベルで嘘のない世界を構築することによって、日常の延長だが特別に美しく、揺らぐ夏の日差しに気持ちが揺さぶられる世界を作り上げている。

「海獣の子供」の美しさは、まるで世界の秘密そのもののようである。

 

3.独立した音楽と嘘のない音

アニメと聞くと、まず声優をイメージするかもしれない。音は、当たり前過ぎて意識することはないが、物語を表現するために「常にある」構成要素の1つである。

アーティストによって作られる音楽。そして音響によって作られる音。「海獣の子供」は水の音だけで何十種類、下手したら何百種類とある。

波や浜辺の砂音。ごぽぽぽっという水の中の音。海の深淵から聞こえる海の心臓の音。

音楽を担当したのは宮崎駿や北野武などの映画音楽を手がける久石譲。実はTBS系日曜劇場の「この世界の片隅に」も手がけている。

「海獣の子供」の音楽は、あまり主張がない。

主張しない、というのは静かという意味ではない。音楽がどこか一人で遊んでいたり、先に走っていったり、かと思えば一瞬連れ添ってくれる。愛くるしいのに、ずっと一人でいるような。

出典:YouTube

「主人公の気持ちも、海で起こる状況も、説明をしない映画音楽」だと久石譲も言っているから「ずっと一人でいる音楽」という感想はあながち間違いではないのだろう。

そしてそれは、音楽家として意図しているのかどうかは不明だが、昨今の映画音楽に対するアンチテーゼになっている。

「マクロスシリーズ」のような代表的なアニメから生まれた音楽にはじまり、「君の名は。」のまるでRADWIMPSのMVかのような映像と一体感のある音楽。

映像と音楽が補完しあい、2つの作品が共鳴して鑑賞者の感動を揺さぶる。そしてこのような音楽アニメは、商業性が高く、ヒットしやすい。

音楽そのものが感動というわかりやすいアイコンになっているからだ。

「海獣の子供」はその共鳴し合う手法とは異なる道を行っている。アニメ映画にもかかわらず、映像の美しさ、音楽の独立性が感動の余韻に浸れる理由の1つではないだろうか。

 

海獣の子供はすべてのアニメの系譜を受け継ぐ、新たな時代の作品

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出典:映画.com

正直に言おう。私は「海獣の子供」をアニメ映画だと高を括っていた。

生まれたときからジブリ映画に囲まれて育ち、ディズニーのプリンセスたちに憧れた。未来のロボットから夢をもらい、わけも分からず世界を救い、かと思えば世界の秘密のような彼女に想いをはせてきた。

日本がアニメ大国と言われて久しい。始まりは1963年「鉄腕アトム」だ。

その世代に育った人たちが1980年代に「カリオストロの城」や「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」を生み出し、テレビやVHSの普及も相まって日本にアニメ文化を定着させた。

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出典:IMDb

今度はジブリを見て育った世代が、もっと自身、少年少女の内向に注目したセカイ系を生み出す。

1990年以降のアニメに「内向」を持ちこんだのが、ジブリの系譜を引くクリエイターであることが信じがたい。

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出典:IMDb

インターネットという技術により、世界を狭く、刹那的に表現が行われはじめる。

20世紀に入り、進歩したデジタル技術は、現実を超える美しさによって思春期の切ないを表現するようになる。

アニメで言えばP.A.WORKSの代表作「Angel Beats!」。映画ならば、新海誠の「言の葉の庭」や「君の名は。」が挙げられる。

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出典:映画.com/

2019年を生きる世代は、当たり前にアニメを嗜んでいる。

これらのアニメの歴史がすべてが受け継がれ、今でしか体験できない映像として「海獣の子供」は生み出された。

もしかしたら私は「ジブリを初めて観た人たちの感動」と同じ体験をしたのかもしれない。

 

STUDIO4℃の執念深い原作へのリスペクト、映像化による真価。クリエイターの命を削ったかのような作品は、物語、映像、音が編みこまれ、描かれていく。

それが「海獣の子供」なのだ。

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海獣の子供
出典:ecomic 海獣の子供(1)

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出典:映画.com

STUDIO4℃によって映像化された結果、叩きつけられるような映像美。「人と海の対比」「母なる海への畏敬」「儚く美しいものへの憧憬」として表現されている。

圧倒的な世界観に飲み込まれて、息をするのも忘れるような没入感。

画面の向こうにある物語に感動し、共感して育った私は、初めて、まるでそこに私がいるような感覚を味わった。

映画コラムを書くようになってから思うのは、最近の私たちは答えを求めすぎているのだということだ。「海獣の子供」は久々にずどんとおなかに落ちてくる映画であった。

 

海獣の子供の作り手たちの紹介│こんなすごい作品は2度と作れません!

余談だが、「海獣の子供」という宗教に出会わせてくれたSTUDIO4の各トピックを引用する。ぜひ公式パンフレットを買って読んでほしい。

原作へのリスペクトと深い愛情と全スタッフの情熱と技術の融合によって生まれた「海獣の子供」。

公式パンフレットには、描ききった彼らの想いや制作に対する意気込みなどが読めるので、ぜひ読んでほしい。

以下は公式パンフレットより一部抜粋した。

ぜひ彼らの編み出した映画を、映画館で堪能してほしい。

監督:渡辺歩

1本の映画には到底まとめられないテーマの原作。それなら思い切って琉花という肖像の物語に絞ろうと決めたんです。

美術監督:木村真二

空気でも、光でも、塵でも、どこかで何かが動いている。そこまで表現しているのは新しいかもしれません。

CGI監督:秋本賢一郎

海洋生物や自然描写、特殊エフェクト表現はこのスタッフでなかったらなし得なかった。

CGI:平野浩太郎

目指したのは作画ともCGともつかない「いったいどうやって作るんだ」と思わせるすごい絵。

色彩設計:伊藤美由樹

キャラクターの信条に沿った色を使うことで琉花ちゃんの感情や気持ちのニュアンスを伝えたい。

音響監督:笠松広司

音楽を軸において全体の音を構築したシーンも多い。ある種音楽映画と言っても過言ではない作品。

プロデューサー:田中栄子

こんなすごい作品は2度と作れません!

音楽:久石譲

主人公の気持ちも、海で起こる状況も、説明しない映画音楽

参考文献:
海獣の子供 1巻~5巻
海獣の子供 パンフレット
海獣の子供 アートブック
新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」
宮崎駿ワールド大研究
細田守の世界
セカイ系とは
日本映画はいま
第四の消費


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[イラスト]ダニエル

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