劇中、欽ちゃんは会話の中で「数字」という言葉をよく口にします。もちろん視聴率の事です。どうしたら数字が取れるのか「1笑いで、1%数字が下がる」なんてのもありましたが、まるで営業のように、彼なりのロジックで延々と語られるのです。クリエイターにありがちな「数字なんてどうでもいいんだ!」という態度は一切ありません。営業側からの目線を持っていて、すべて数字のためのロジックであるから、妙な説得力を持って響きます。テレビに関わる人間の視聴率に対するこだわりは、並大抵なものではありません。逆に視聴率こそが今の欽ちゃんを作り上げ、自尊心を育て上げたのだから当然です。
しかし映画が進むにつれ、「数字」という言葉が徐々にゲシュタルト崩壊していき、「スージー」だか、「吸う人」だからわかりませんが、何か違う意味を帯びた響きで立ち上がり始めます。最終的には欽ちゃんの「数字」を語るその姿の裏には「面白もいものを作れば数字はついてくる」というロマンと信念が、やっぱりどうしたってうずまいているのです。
アフタートークで土屋監督が「欽ちゃんのいう数字は、我々が普段営業的、コンプライアンス的な立場からいうところの数字とは違う。とてつもなく面白いものを作りたいということだけがそこにある」と(確か)言っていましたが、そういうことだと思います。
欽ちゃんは数字を媒介に、自己へ問いかけしているだけなのです。自己批評の末路が数字を求める事だった。こうして欽ちゃんは、創作脳と視聴率の奥義が網の目のように複雑に一体化した頭脳を作り上げました。
欽ちゃんが突きつける「なんでそうなるの?」は、ただの逆でもなんでもなく、実にヒリヒリするものでした。もっと踏み込め、常に疑え、発見しろ! ・・・すいません。
映画のタイトルに「?」がついているのもまた、監督からの問いかけなのかもしれない。
映画はアナログ放送からデジタル放送に完全に切り替えられる日までの日数をカウントダウンしながら進行します。アナログ放送の象徴ともいうべき欽ちゃんの新番組を、アナログ放送が終わるギリギリに制作する監督の感覚に洒落っ気を感じないでもないのですが、これもまた監督からの問いかけなのかもしれません。時代は日々進化し、何事もないように様々なものが恣意的に切り替えられ、僕らはそれをただ受け入れて進むしかない。自らを問いかける暇も時間も猶予もなく、ただ適応していく事への問いかけというか。そういえば作品は問いかけであるべきだって、誰かが言ってたな。
ただ、そんな問いかけに頭を費やす暇もないほど、欽ちゃんの言葉が次から次へとやってきて、宿題だけが重なっていきます。映画を見ながらここまで自分のメモ帳が埋め尽くされたこともありませんでした。