例えば、欽ちゃんが桃の形をしたまんじゅうを差し出されるシーンで「おやつに桃太郎って・・・なんだろう」とボソッと呟きます。
出典:YouTube
別におやつに桃太郎だっていいし、そもそも桃の形の饅頭を「桃太郎」と勝手に称し、自ら「なんだろう」と迷路に突っ込んでいくわけのわからなさに「どういうこと?」と疑問が湧きますが、本当に何気ない「言葉にならない言葉」です。
これは監督にカメラを渡された欽ちゃんが、自分自身を撮った素材の中にあったものですが「カメラマンがいつもいてくれて、楽をしていたのがよくわかる」と、自分で自分を撮ることがない欽ちゃんの動揺と油断なのかもしれません。
実際、欽ちゃんは映画を撮っている事も知らされず、この動画自体も世の中にお目見えするとは思っていたなかったらしい。
監督は、焚きつけることもけしかけることもなく、欽ちゃんを揺さぶり続け、狂人の「お言葉」を導き出すと同時に、「言葉にならない言葉」を発生させます。欽ちゃんはすごい! と畏怖を抱きながらも、そのときだけ僕らは(少なくとも僕は)は欽ちゃんの心に触れた気になるのです。
ラストで、言葉にならない言葉を吐く欽ちゃんには、思わず目を背けたくなるほどでした。詳しくはネタバレをするので避けますが、まるでそのときだけ、本作を通し、狂人萩本欽一になることができたような錯覚が起こるのです。まさに「萩本欽一の穴」。
これぞ映画体験。自分は自分の人生しか体験できないのだけれど、殺人犯だろうが喰い逃げ犯だろうが、どこかで通じ合って、その他の誰かを擬似的に体験することによって、また違う誰かを許せるようになるという。僕はこの映画を見てまた一人誰かを許せるようなった・・・ような気もししないでもない・・・かも?
クリエイターを鼓舞する自己啓発ムービー!