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後味が悪すぎる小説7選

岡田麻沙 岡田麻沙


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大岡昇平『靴の話』(1996)集英社

俘虜ふりょ記』や『野火』といった戦争文学で知られる大岡昇平の短篇集。重要なシーンを切り出した短篇では、著者のまなざしの厳しさが際立つ。

フィリピンの山中でアメリカ兵を「射たなかった」という自身の体験をどこまでも分解し、仔細しさいに検分する短篇『捉まるまで』。極限状態で陥りそうになる性善説的な帰結や、露悪的な諦念を注意深く排除しながら展開される。この厳しさがつらい。読んでいるとただただ、つらい。でも何度も読んでしまう。

表題作『靴の話』は、11ページにも満たない短い作品である。死んだ戦友の靴を履く「私」の状況が綴られている。筆者はこの「靴を履く」という行為によって起きる心の動きを描写しようとし、とりやめる。

しかしこう書いてもなお私はその時の私の真理を正確に描いたとは感じない。
結局靴だけが「事実」である。こういう脆(もろ)い靴で兵士に戦うことを強いた国家の弱点だけが「事実」である。それは必ずしもその兵士の真理に、私はこう思った、ああ感じたというふうに働きはしないが、根本においてそれを決定している。
引用:大岡昇平『靴の話』(1996)集英社、p.180

大岡昇平の作品は、どれも、しんどい。読後はどこまでも憂鬱だ。しかし、後味の悪すぎる現実を招くぐらいならば、後味の悪すぎる小説を読んで、考え続ける方がずっといい。

 

ジャック・ケッチャム『隣の家の少女』(1998)扶桑社

この本を私は、三度、手放している。
手元に置いておくには憂鬱すぎる作品だからだ。今、本棚にあった4冊目を読み返し、果てしなく陰鬱な気持ちで紹介文を書いている。スティーヴン・キングは折に触れてホラー作家ジャック・ケッチャムのことを評価する発言をしているが、中でも本作『隣の家の少女』には、手放しで、と言っても良いほど惜しみのない称賛を送っている。

主人公は当時12歳の少年であったデイヴィッド。彼は隣の家に越して来た美少女メグに恋をする。両親を失ったメグは妹のスーザンと共に、デイヴィットの隣にあるチャンドラー家に引き取られるため、やって来たのだった。ある日デイヴィットはチャンドラー家の人間がメグとスーザンを厳しく折檻せっかんしている場面に出くわす・・・。

嫌な予感の通りに物語は進む。チャンドラー家がメグに行う折檻を加速させるのは子供たちの好奇心だ。そしてそれを支えるのが、メグの心の強さと、主人公デイヴィッドの恋心である。心の弱い人間ほど、理由さえ正当化されてしまえば、不利な状況にある者を激しくいたぶる。彼らの思考は停止しているので、行為のブレーキは存在しない。
読めば読んだだけ胸が悪くなる小説だが、何度も手元に戻してしまうのは、この作品には人間が描かれていると感じるからだろう。

 

シャーリイ・ジャクスン『くじ』(2016)早川書房

パンケーキやブラックベリー、ラムケーキといったファンシーなアイテムに埋め尽くされた邪悪な小説『ずっとお城で暮らしてる』によって読者を震撼させたシャーリイ・ジャクソン。「魔女」の異名を持つ本作家が手掛けた短篇を集めたことでこの世に生まれてしまった新たな毒物が、『くじ』である。本書の帯には「黒い感情がにじみだす傑作短篇集」という文字が躍る。どういうことなのか。

表題作の『くじ』は、ある村で毎年行われているくじ引きの一部始終を描いた短篇だ。広場に集まり、微笑みを交わし合う住人の面々。子供たちは石を拾い集めている。ふいに走る目配せが印象的だ。
物語の冒頭で何度か触れられるこの村の人々の「微笑み」が、後からどんどん効いてくる。なぜ彼らは笑っているのか。考え始めると人間不信に陥りそうだ。

「じわじわくる」という言葉が、こんなにも恐ろしい形で似合ってしまう作品はなかなかない。性格の悪い人ならばきっと好きになるだろう小説。

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