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「ワイルド・スピード ICE BREAK」からのお題

シーズン野田 シーズン野田


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ハリウッドからの挑発文

またまた大幅に脱線してしまいましたが、単刀直入に言います。この映画、面白いです。ここまで実につまらなそーに書いていますが、面白い。

物語中盤で、裏切り者のドミニクが乗った車が仲間たちに囲まれて八方からワイヤーで引っ張られるという印象的なシーンがあるのですが、最後には意味合いが反転して、生身のドミニクを仲間たちが取り囲んで爆風から守るのです。これ、ここ最近観た映画で最も旨くいった対表現じゃなかろうかと。いや、しびれました。


出典:IMDb

いつかはハリウッド映画の脚本を書き、アカデミー賞を夢見ている・・・わけでもないのですしむしろそんなのクソ食らえなのですが、やっぱりこういうド派手な映画を観る度に、自分がセコセコと物を作る必要なんてないんじゃないかと思ってしまいます。

そして、ハリウッド映画を観る度に傷つく自分に気がつきます。そこに関われていないという仲間はずれの気持ちなのか、不甲斐なさなのか、その正体は分かりませんが、なぜか傷つく。ふてくされ、勝手に日本映画界なんかを憂いてしまう。単純な嫉妬とかそういうのではなく、大げさな絶望感。

以前、天才歌人の枡野浩一さんが、どんな映画にも必ず物申す人がいるのは映画に傷つけられているからだ、とおっしゃっていました。観ること自体が傷つく行為であると。その作品に関われていないことに端から傷ついている自分がいるのです。他者である自分が当事者になるには、作品をけなすしかありません。映画がグッとくればくるほど傷つきます。傷つけられたから、傷つけるのです。

そういえば「ラ・ラ・ランド」を観た時もなんか傷つきました。それは僕が外人じゃないからかもしれないし、監督より年上だからかもしれないし、そもそも監督なんて大変なことができないからかもしれないですが、映画館にどかーんと貼られた「アカデミー賞最有力候補!」という大見出しからすでに傷ついていました。傷つけられたんだから文句を言いたい!! 傷つけられたのに黙っているなんてそんなダライ・ラマみたいなことはできません! しかし、表現の前ではクリエイターは聖人であらねばなりません。文句は表現を通して発熱しなければならないのです。

事程左様に、今作にも傷つけられている自分がいました。

エンドクレジットの最後に、

「この映画は閉鎖された空間で撮影しています。絶対にマネしないで下さい」

というまさかの注意書きが表示されるのですが、

「ま、君ごときにマネなどできないだろうがね。さぁどう撮る?」

とお題を突きつけられている気分になりました。

街角のクリエイティブ ロゴ


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