2. 変なところに入りたがるお兄さん
スーパーマーケットで野菜を選んでいると、行く手を阻むように立ちはだかるお兄さんがいた。邪魔をしてしまっているのかと思い海産物の棚に移動すると、彼は再びわたしの進路に回りこみ、上体を深く折り曲げて棚の上に覆いかぶさるような姿勢を取った。顔はあきらかにこちらを見つめている。
(鯖に、シメサバに髪の毛がつきそう・・・!)
わたしは驚愕のあまり、お兄さんと目を合わせてしまった。お兄さんはにやりと笑い、こう言った。
新鮮やで、俺。
幻聴に違いないと判断したわたしはきびすを返そうと身をよじったが、振り返るより先に彼の口が開いた。
買ってくれへんの? 俺のこと。
えっ
俺、お姉さんのカゴの中に入りたくて、むっちゃ頑張って海から泳いで来てん。な、買ってくれへんの?
えっ
今やったら三千円でええで。
口をつぐみ、足早に移動するわたしの後ろからお兄さんは「新鮮やでほんま」「さかなクンより美味いで」「ぴっちぴちやで」とはばかることなくしゃべり続け、しまいには「サカナサカナサカナー♪」と口ずさみながら後をつけてきた。どうしよう、これは新手のぼったくりなのだろうか。JF全漁連が魚を食べると頭が良くなると喧伝した結果がこれだよ、大阪にまた一人のプロが生まれてしまったよ。混乱する頭を抱えて買い物を済ませたわたしは、まるで万引き犯のようにこそこそとした態度で店を後にした。
途中でうまく撒いたと思っていたお兄さんは店の外で待っていたらしく、「買ってくれてありがとう」と言いながら満面の笑みですり寄ってきた。通りの向こうから歩いてきていたお姉さんが明らかに「ヒモを養う女」を見る表情でわたしに
あっち行って下さい。
あっちってどっち? お姉さんの家?
ふざけんな。
なに怒ってんの。怒らんといてよ。俺楽しみにしてるんやから、お姉さんの家の冷蔵庫に入るん。
ここで不覚にも笑ってしまったわたしの様子に、お兄さんは承認欲求を満たされたらしく、爽やかな笑顔で去っていった。冷蔵庫に入ったら死んでしまうから、お兄さんをお買い上げしなくて本当に良かったと思う。しかし、最初の「新鮮やで、俺(ドヤ)」という発言を守るため、律儀にも魚設定を貫いて冷蔵庫に入ろうとするあたり、非常に芸が細かい。プロのこだわりを感じた一件である。あのお兄さんが、自分を上手にさばいてくれる素敵なお姉さんと巡り合えることを、陰ながら祈るばかりだ。