もしもラーメン屋のガンコ親父が単に強がってるだけだったら

上田啓太 上田啓太


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ガンコ親父といえばラーメン屋である。

こだわりぬいてラーメンを作るのである。客が気に入らない態度を取れば追い返すのである。スープを残すなどありえない。接客マニュアルなどくそくらえ。それがガンコ親父のラーメン屋である。

しかし私なんかは、人間を矛盾した生き物として捉えている。外見がそのまま内面の反映だとは思わない。美女の内面は意外とオッサンだったりするものである。それが私の人間観である。

ということで、ガンコ親父の内面は意外と乙女だったりするわけである。

「わし、ほんとはガンコじゃないんだよ・・・?」

そんなことを思って、ガンコ親父は一人で泣いているのである。それが人間の真実である。険しい顔をして腕組みしている人間が心のなかでも腕組みしていると思ったら大間違いである。

夜とは昼の尻ぬぐいをさせられる時間である。昼間の反動は夜に出るのである。だからバイトたちを帰らせたあと、真夜中の厨房でガンコ親父はひとりで泣くのである。

「わしのラーメンがどうして塩味かわかる?」

誰もいない厨房でつぶやくのである。

「わしの涙の味なんだよ・・・」

もちろん、誰も聞いてくれないのである。ここにガンコ親父のせつなさがある。いちどガンコだと思われればそれまで。人間社会の厳しいところである。ガンコの裏にある強がりを見てくれる人はいない。誰かがガンコ親父の悲痛なさけびを聞いてやるべきである。奥さんだろうか? しかし奥さんは友人に愚痴っている。

「あの人、ほんとうにガンコでねえ・・・」

逃げ道はないのである。

「わし、しょうゆラーメン作っても、豚骨ラーメン作っても、塩ラーメンになっちゃうんだよ。涙に涙を継ぎ足して、秘伝のスープを作っているんだよ。自分の弱い心を隠すために、毎日がんばって腕組みしてるんだよ。それはわしなりのSOSなんだよ。強く締めすぎたハチマキに気づいてほしいよ」

「強く締めすぎたハチマキに気づいてほしいよ・・・」

これは、ガンコ親父と西野カナがコラボレーションしたときに生まれる歌詞である。しかし西野カナもガンコ親父にむけては歌を歌わない。西野カナが歌うのは、あくまでも同世代に向けた歌である。こうしてガンコ親父は孤立していくのである。

「ナルトの模様より複雑な、わしの心・・・」

誰かがガンコ親父の声を聞いてやるべきである。ガンコじゃなくていいんだよ、強がらなくていいんだよ、今だけは腕組みもハチマキもやめて、ポケモンかわいいとか、パンダかわいいとか、手乗り文鳥ってほんとに手に乗るんだねとか言っていいんだよ。ガンコの看板、今日だけは降ろしていいんだよ。

しかし誰も言ってくれないのである。だからガンコ親父は泥沼にはまる。ガンコさを強調しようと頑張って、店内に親父のこだわりを大量に貼るのである。どれも毛筆で荒々しく書かれている。店内私語厳禁。黙ってラーメンを食え。まずはスープを飲め。店内では親父がルール。

しかし親父は、夜中の二時に店内の貼紙を見て、つぶやくのである。

「習字の文字、ほんとは丸ゴシックにしたいよ・・・」

むろん、丸ゴシックにはできないのである。

だからガンコ親父は今日も強がって店に立つ。若者がスープを残せば「てめえ、スープ残してんじゃねえ!」と怒鳴るのである。ほとんど義務感である。そして夜になれば昼間の自分を思い出して泣く。ますますラーメンの塩味が強くなる。夜とは昼の尻ぬぐいである。真夜中に親父は鏡にむかってつぶやくのである。わしはガンコ、わしはガンコ、わしのラーメンは日本一、わしのラーメンは日本一、わしのラーメンは日本一・・・。

「でもわし、ラ王のことめちゃくちゃウマイと感じるんだよ・・・」

これが私の人間観である。ふらりと入ったラーメン屋で塩味のラーメンが出てきたときは注意せねばならない。それは、親父の涙の味である。

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