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「ギミーデンジャー」ジム・ジャームッシュとイギー・ポップが仕掛けた再構築

加藤広大 加藤広大


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ジム・ジャームッシュとイギー・ポップが果たしたそれぞれの再構築

しかし、ジム・ジャームッシュが徹底的に裏方に回ったことで、「ギミー・デンジャー」はある種特異なドキュメンタリーであるという側面を獲得しています。

多くの音楽ドキュメンタリーは、存命であればミュージシャン本人、親類縁者、プロデューサー、批評家、研究家、ファンなど、多くの視座からミュージシャン像や音楽界における功績を導き出そうとします。言わば粘土のようなものをペタペタと貼り付けて、像を成形していくわけです。

けれども、本作ではジム・ジャームッシュ、イギー・ポップ本人とメンバー、ごく近しい人間のみで構成されているため、ほぼ「ステージからの目線」で語られています。まずこれが珍しいです。そのソリッドさ、硬質さはザ・ストゥージズという題材に最も適しています。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BMTU1OTgxNTY5Nl5BMl5BanBnXkFtZTgwNTI0OTIwOTE@._V1_SY1000_SX1620_AL_.jpg出典IMDb

ジム・オスターバーグ(イギーの本名)がジム・オスターバーグについて、幼少期にうけたいじめや、かつてフォードの工場で聞いた轟音ごうおんについて語ります。

イギー・ポップがイギー・ポップについて、バンドをはじめた頃の苦労話やぶっ飛んだ、いかにもイギー・ポップらしいエピソードやメンバーとの関係を語ります。

そしてザ・ストゥージズが如何にして見出されたか、当時のシーンでどんな扱いを受けたかを語り、メンバーやファミリーがそれぞれの物語を補完します。

敢えてジム・ジャームッシュが自分を抑え、完全に聞き役に徹し、1日10時間にも及ぶイギーとのセッションのなかで、ジム・オスターバーグとして、イギー・ポップとして、そしてザ・ストゥージズのメンバーとして、思い出しながら形成される過去が語られる。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BMjk5MDMyNTU1NV5BMl5BanBnXkFtZTgwMDI0OTIwOTE@._V1_SX1513_CR0,0,1513,999_AL_.jpg出典:IMDb

思い出しながら形成される過去、つまり人は過去を語る時には必ず記憶の間違え、改竄かいざん、誇張などが入ってしまいますから、ある意味新たなるジム・オスターバーグ、イギー・ポップ、そしてザ・ストゥージズ像がまるで彫刻で削られるかのように輪郭をあらわにし、再構築されていきます。

そして、その文脈はWikipediaには書かれていません。我々は、「ギミー・デンジャー」を通してのみ、今まで語られてきたイギー・ポップ/ザ・ストゥージズと、本人たちの手によって再構築されたイギー・ポップ/ザ・ストゥージの乖離かいりを楽しみ味わうことができる。これが凄いのです。

彼等を知っていると思っていた私たちは、そのイギー・ポップ/ザ・ストゥージズ像が、実は断片的な情報から自分で作り上げたものであり、「知ってるつもりだったけど、ぜんぜん知らなかったわ」と一刀両断されることになります。

この斬られる痛快さ、嬉しさ、そして少々の恥ずかしさは、本作に関わらずドキュメンタリーの面白さであり、題材を知っている/知っているつもりでないと味わえません。冒頭でWikipediaを読んだり、予告編を観てみたりするのを推奨した理由のひとつはここにあります。

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