クリンとイースとウッド【連載】ひろのぶ雑記

田中泰延 田中泰延


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昨年末に47歳で退職したわけだが、先日48歳になった。まさか無職の誕生日を迎えるとは思ってもみなかった。

 

24年間ひとつの仕事を続けて、とうとう辞めてしまったわけだが、人生というのはいろいろあるもので、その間にも転職を考えたことはあった。

 

ささやかに海外の広告賞をいただいたときに、マレーシアの広告会社から「来ないか」と誘われたときはちょっと心を動かされたが、べつに広告の仕事をするなら電通でできるし、英語も不得手である。TOEICなんか受けると、「日常会話には困らないが、絶対に仕事を任せてはいけない点数」あたりだ。なにより、マレーシアは回教国なんで、酒が飲めなかったら俺の人生どうするんだと思い、わりとすぐに断った。

 

だが、24年の中で、本気で迷い、ギリギリまでやるかやらないか考えて結局断ってしまった誘いが、3つある。きょうはその話をしよう。
 

世の中には、自分に似た人が3人いるという。それはつまり、自分にそっくりなのに、違う場所で、違う人生を歩んでいる自分の姿なのではないか。そう考えると、少し楽しくなる。もちろん、何度生まれ変わっても「この仕事しか我を生かす道なし」と考える人もいるだろう。映画監督のクリンとイースとウッドさんなどは、3人組なのに脇目もふらずに一つの仕事をしているのだ。

 

だが、私には別の選択肢もあった。

 

違う人生を歩んでいたかもしれないひとつめは、寺の住職だ。

 

こちらの寺である。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/11/06fb85a005aaa1574955ab72fc6385cf.jpg出典:google map

 

どこの寺とは言わないが、地方の、かなり田舎の寺だ。いまはGoogleマップという便利なものがある。私は、30代前半の頃、この寺の住職と知り合い、何年かしたとき「跡取りがいないので、この寺の坊主になってくれないか」と真剣に頼まれた。

 

一ヶ月くらい、真剣に考えた。
 

よくは知らないが宗教法人というのは税金もかからないし、食いっぱぐれもなさそうだ。檀家みたいな存在もいて、それなりに安定収入もあるのかもしれない。しかし、頭も剃らなくちゃいけないだろうし、話をよく聞くとこの宗派の総本山で3年ぐらい修行をしてから住職になるらしい。

 

楽な仕事というのはないのである。それはちょっとしんどいやろ。それに、地方の檀家の法事なんかに出向いて、ありがたいお話をする自分というのも想像しにくい。だいたい、住職というのは寺に住むのである。何度もこのお寺を訪れたが、当たり前だが境内にお墓もある。お墓の隣で布団を敷いて寝るのはちょっと苦手だ。

 

そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、この寺は廃寺になってしまった。跡を継いでいたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

いまでも時々、髪を剃り、袈裟を着てお経をあげ、なんだかありがたいようなよくわからないような法話をする自分を想像すると、不思議な気分になる。

 

違う人生を歩んでいたかもしれないふたつめは、バーのマスターだ。

 

こちらのバーである。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/10/af7b0e6056c5fc450f72a459eb699e0b.jpg

どこのバーとは言わないが、地元で、20年近く通った店だ。40になったぐらいの頃、この店のオーナーに「歳を食って、もうカウンターに立ち続けらない。この店のバーテンダーになってくれないか」と真剣に頼まれた。

 

二ヶ月くらい、真剣に考えた。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/10/1517d97ce104fde696b27f6c20c4e204.jpg

このバーの内装は数千万円かかっているが、数百万円で権利を譲るという。置いてあるボトルや、ウイスキーの希少な樽もそのまま使って営業して構わないと言われた。20年通っていたがゆえに、オーナーは「田中さんしかいない」と言ってくれた。しかし、バーテンダーとしての修行も必要だろう。また、20年通う間には、結局一晩、客が私一人だけという夜が何度もあった。水商売というのは厳しいものだ。とうとう客が来なかった日は、朝、店の鍵を閉めていると涙が滲んでくるんだよ、とオーナーが言っていたこともあった。

 

楽な仕事というのはないのである。それはちょっとしんどいやろ。それに、タチの悪い客に絡まれて、「お代は結構ですからお引き取りください」なんて塩をまいている自分というのも想像しにくい。だいたい、バーテンダーというのは立ち仕事だ。電車でもダッシュして座る自分にはできそうもない。

 

そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、このバーは閉店になってしまった。なんとか代わりに営業を続けていたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

いまでも時々、黒いベストを着て、「バーテンダーが着るフォーマルな服をバーコートっていうんですよ」とかなんとか言いながら、シェーカーを振る自分を想像すると、不思議な気分になる。

 

違う人生を歩んでいたかもしれないみっつめは、雑誌の編集長だ。

 

こちらの雑誌である。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81Cvg08G17L.jpg出典:Amazon

どこの国とは言わないが、東南アジアの、風俗店や観光スポットを案内する雑誌だ。40すぎた頃、この雑誌を刊行している会社の株主に「この雑誌、編集部が揉めたりして発行部数が下がっている。編集長になってくれないか」と真剣に頼まれた。

 

三ヶ月くらい、真剣に考えた。
 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Bangkok_at_night_01_%28MK%29.jpg/1920px-Bangkok_at_night_01_%28MK%29.jpg出典:Wikipedia

 

バンコクには住んでみたい。撮影や観光で何度も訪れているエキサイティングな場所だ。食い物もうまい。おねえさんも綺麗だ。その街で風俗店の紹介をする記事の指揮を執る。なんだか酒池肉林なような気もする。だが、負わなくてはいけない責任は、編集部員や、ライターや、カメラマンたち、なにより数字にはっきり現れる売り上げ部数だ。

 

楽な仕事というのはないのである。それはちょっとしんどいやろ。それに、毎日風俗嬢の写真を選別して「今月の特集はヌットちゃんでいく! セクシーな写真を撮ってこい!」なんて檄を飛ばしている自分というのも想像しにくい。いや、ちょっと想像できるけど仕事にしたらどんなことでも大変だろう。

 

そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、この雑誌は紙の本としては休刊になり、web配信の媒体になってしまった。なんとか編集長を務めて新機軸を打ち出せていたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

いまでも時々、トゥクトゥクの後席に座り、「新規開店の風俗店に急げ。200人も女の子が在籍してるらしいぞ。写真をずらっと並べろ」とかなんとか言いながら、バンコクの街を走り回る自分を想像すると、不思議な気分になる。

 

世の中には、自分に似た人が3人いるという。それはつまり、自分にそっくりなのに、違う場所で、違う人生を歩んでいる自分の姿なのではないか。そう考えると、少し楽しくなる。

 

そんな私が、会社員以外の自分に出会っているこの1年は、けっこう、楽しいのである。

 

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