天童木工ならば実現してくれる。
そして、バタフライスツール誕生へ。
終戦後、手持ち材料で製造を開始、ちゃぶ台がたくさん売れていた天童木工に対して、1947年にGHQから進駐軍用家具の量産が依頼されました。この年に周波発振装置を導入し成形合板技術による家具の本格的な生産に着手していきました。
その頃、柳宗理氏は、世界的に著名なプロダクトデザイナー・チャールズ イームズ氏を訪ねていました。柳宗理氏はイームズ氏の自宅にて、目の前に置かれた成形合板の家具をみて驚愕。帰国後に自ら「成形合板」を使いプロダクトを製造できないか? と試行錯誤を繰り返す日々。そんな中で、
「いろんな場所で断られたことも、天童木工ならば実現してくれる」
という話を聞いた柳宗理氏は、成形合板の技術を研究していた天童木工にスツールの模型を持ち込みました。
それがバタフライスツール誕生のキッカケとなり、
東北人ならではの気質ともいえる粘り強さ、探求力&技術力によって
蝶のように美しい曲線デザインを実現させました。
1954年、バタフライスツールの試作品が完成。そして1956年には製品として発売が開始。今では、ミッドセンチュリー家具の代表作として世界中で愛されています。
命をいただいてモノに変える。
60年以上たった木を使うんだから、
60年以上使えるモノづくりをする。
結城さんが天童木工に入ったばかりの頃、職人さんから質問されました。
「木が一番綺麗な時を知っているか?」。
どう答えて良いか、迷っていた結城さんに職人さんは言いました。
「それは山に生えている時だ」と。
命をいただいてモノに変える。60年以上も命を宿していた木を使う。
だから60年以上使えるモノづくりをすることを忘れてはいけないんだよ。
一般的に無垢材は40%程度しか使用されません。でも、天童木工では80-90%を使用することができるのです。それは、単板を木材から“カツラ剥き”のように切り出して成形合板として使用するため、無駄を極限に抑えることが可能となっています。どうしても製造過程で出てしまう廃材は熱エネルギーに転換し工場内での暖房や木材の乾燥に利用されていてほとんど木材ロスがありません。