おれの名前はドラゲナイ。上級国民が支配する1億総活躍社会でテロに屈しないで生きている下流老人だ。あるスーパームーンの夜、サードウェーブコーヒーを飲みながら北陸新幹線に乗り、カナザワ・シティでとある、ミニマリストのフレネミーに会おうとしていた。
窓からは、たっぷりの月明かりに照らされて、老舗の反政府団体「SEALDs」が日夜飛ばし続けるドローンが飛び交うのが良く見える。お馴染みの盾を模したエンブレムの下に刻印された「とりま、廃案」というキャッチフレーズが夜空に浮かび上がっていた。
通路を挟んだ横の席では、爆買い帰りのプロ彼女らしき女性が、スマートフォンで複数人存在するであろう彼氏に、切れ目のない対応をしている。その鮮やかなフリック入力から繰り出されるルーティンは、まるで居合い抜きの達人が刀を抜く瞬間のような凄みすら感じさせる。その切れ味たるや、まさに刀剣女子である。
マイナンバー施行以後、日本もだいぶ変わってしまった。大阪都構想は白紙撤回され、都道府県の形こそ変わっていないものの、多くの自治体は過疎化により消滅してしまった。常に国民が監視されるようになり、さらには国民同士も監視し合うようになっている。その管理システムや、政権などに反対する反政府組織は、現在では多くが独自のネットワークを築き、地下に潜って活動をしている。
インターネットもすべて実名制が開始されて久しい。少しでも物騒なことを書けば直ぐに炎上し、右だ左だのというレッテルを貼られた挙句通報され、すぐさま青いヘルメットを被った駆けつけ警護隊に拘束されてしまう。
半年前まで、インバウンドマーケティングの仕事をしていた時もそうだった。新人教育のためにと、おれの若い頃からの愛読カレンダー「まいにち、修造!」を一言一句365回書き写させたり、福山ロス、つまり広島県福山市〜ロサンゼルス間をバックパックひとつでヒッチハイクさせたり、結果にコミットすることができない若手を懐かしの五郎丸ポーズで毎日のように詰める日々……すべてこの監視・管理された社会で生き抜く力を身に付けられるようにという親心だった。
それにも関わらず、ある社員がSNSでそのことを拡散させた挙句にまとめられ、モラハラで訴えられてしまい、あっけなく首を切られてしまった。オワハラされて入社し45年間務め上げ、退職金が出ないからと雇用延長を持ちかけられて、生活のために仕方なく働いていたのに、まったく酷い仕打ちである。
さらに、忘年会で皮を被った“自分自身”を露出しながら「安心してください。穿いてますよ」という一発芸をやって、セクハラ扱いされて女性社員から訴えられている。洒落の通じない世の中になってしまったものだ。
「言いたいこともいえないこんな世の中じゃ……」
おれは気付けば大昔に流行った歌の文句を口ずさんでいた。
「……ポイズン……」
そう呟き終えるか、終えないかくらいのタイミングで、車両の前方ドアから、ひとりの男が勢いよく飛び出して来た。「ラブライバー」と血で書かれた鉢巻をしている。ラブライバーとは、武闘派で有名な反政府地下組織の名称である。
ちなみに、かつて流行した「ラブライブ」というごくありふれた女子高「音ノ木坂学院」で結成された、架空のアイドルグループの奮闘と成長を描く日本のメディアミックス作品群とはまったく関係が無いらしく、元祖ラブライバーたちと、その名称を巡って抗争になり、鶯谷駅前の中華料理店で起こった発砲騒ぎで死人が出たのを覚えている。
さて、飛び出してきた男はアゴクイをしながら「ラッスンゴレライ」などという訳の解らない言葉を、目を血走らせながら連呼している。これは大変危険な状況だ。まさに存立危機事態である。彼は靴底に鉄板を取り付けたドクター・マーチンを床に擦り付け、火花を散らしながら乗客に向かって叫ぶ。
「早く質問しろよ!」
乗客の1人が食ってかかる
「キ……キミ! 落ち着きたまえ! いったいなんでこんなことにチャレンジするんだ!」
「うるせぇ! このハゲ! はい、論破!」
待ってましたとばかりに答えるラブライバー。論破された乗客は、いくばくかの毛髪を残して爆散した。アベ長期政権の最中、「アベ政治を許さない」という理念の元に結成された超能力開発団体が、特殊な訓練を受け、超常的な力を身に付けた若者、“トリプルスリーチルドレン”を反政府組織に送り込んでいるということは、月刊ムーなどでまことしやかに囁かれていたが、まさか本当にお目にかかるとは思っていなかった。
と、悠長に構えてはいられない。すでに死人が出ている。車内にはプロ彼女はもとより、未来のある若者たちも乗っている。こういう時こそ、老い先短い老人が出張らなければいけない。おれはゆっくりと立ち上がると、名も無きラブライバーに向かって歩き始めた。一瞬、彼が怯んだ。
「じじぃ! 何勝手に動いてんだ! 早く質問しろよ!」
おれはゆっくり、諭すように彼に質問する
「戦争法案は国民の理解が深まっていないよね?」
「う……そ、そうだ……」
戦争法案廃案というお題目を立てている反政府地下組織には、これは論破できない。おれは流れるように次の言葉を紡ぎだす。まるで昔聴いた、SEKAI NO OWARIの歌詞のように。
「自民党、感じ悪いよね?」
「ぱうッ!」
後ずさりするラブライバー、長年続いている自民党政権。これも論破できない。さらに粛々と言葉を重ねる。
「上級国民……マイナンバー……アベ政治を許さない……」
「パパウッ! パウッ!」
ラブライバーは苦しみながらしゅわしゅわと音を立てて溶け始めた。能力者はその能力を使った場合、力を発動できずに阻害されると溶けて死んでしまう。これは先月号のムーに書いてあった。「定期購読していてよかった……」そう頭の片隅で思いながら、目の前の、何かを壊す生き方しかできない、不器用で哀しい宿命を背負った若者に、おれは慈悲を込めて尋ねた。
「最期に聞こう。名も無きラブライバーよ。君の名前は?」
「I AM KENJI……」
「そうか、ケンジ君、安心して眠りたまえ。墓石にはこう刻んでおくよ。“I am not ABE”と……」
「ありがとう……でも苗字、アベなんです……」
そう言うと、彼は消滅した。鉢巻がゆらゆらと舞いながら、そっと床に落ちた。
「最早、哀しみの連鎖は止めることができないのか……」
そう呟いて振り向くと、少しの静寂の後、車内には拍手の嵐が吹き荒れた。
「よくやったぞ! じいさん!」
「ありがとう! 怖かったわ!」
「よっ! 大統領!」
おれは照れながら席に戻り、すっかり冷めたサードウェーブコーヒーを飲み干して一息ついた。
「あの……」
声をかけられた方に振り向くと、プロ彼女が潤んだ目をしてこちらを上目遣いで見ている。顔が近い。
「よかったら、これ……おにぎらず……あったかいんだから……」
「ありがとう、素敵なお嬢さん」
彼女は更に顔を近づけて、白い肌に頬を紅く染めながら言う。グッドスメルがする。
「あと、隣に座ってもいいですか? 男友達の連絡先……全部消しました……」
やれやれ、どうやら目的地を変更しなければいけないらしい。
窓の外には、彼女の胸くらい大きなスーパームーンが輝いていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。