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麗蘭 〜夜更けの哀しみを蹴飛ばす方法〜

加藤広大 加藤広大


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reiran

嫌なことがあって何だか憂鬱な夜、ひとりぼっちでバーや自宅で飲酒をし完全なる酩酊状態になった時に、ふと理由もなく久しぶりに聴きたくなるような音楽、もう一度観たくなる映画や読み直したくなる文章を、誰でもひとつくらいは持っているのではないでしょうか。

また、夜も更けてくると、昔のことを思い出して「あの頃は良かったなあ」などとしみじみ思ってしまったりもするものです。私も良く「あの時男子校じゃなくて、共学を選んでいれば」と嘆き悲しんでいます。しかし、いくら後悔しても、壁に頭をぶつけても、坂道で思いっきりジャンプしてみても高校入学前の時代には戻れません。

人はなぜ、こんな気持ちになるのでしょう。そして、なぜ夜中にポエマーになるのでしょうか。そのカラクリは分かりませんが、とあるバンドのとある曲が、そんな夜を過ごすための、ちょっとしたコツを教えてくれました。

仲井戸“chabo”麗市というミュージシャンがいます。ご存知「RCサクセション」でギターを弾き、すべての人の哀しみを、たった3つのコードで切り裂きました。


仲井戸麗市(出典:diskunion

チャボは、高校3年生の頃、奥津光洋と「古井戸」というバンドを結成し、名前はそのままに卒業後、加奈崎芳太郎と「加奈崎芳太郎&古井戸」として活動を開始します。その後、1971年に「古井戸」の名義で「唄の市 第一集」でデビューを飾り、1979年に解散。その前年より、チャボはRCサクセションのサポートメンバーとしてギターを弾き始め、翌年から正式メンバーとして活動を始めました。その後の活躍は言わずもがな。日本を代表するロック・バンドのリードギタリストとして名を馳せます。

ちなみに、仲井戸“chabo”麗市の「仲井戸」は古井戸在籍時、背丈順に小井戸、中井戸、大井戸と付けた名残で、「chabo(チャボ)」はツアー先の宿屋にいた鶏がチョコマカしていた動きに本人が似ているため、あだ名として定着しました。最後の「麗市」は、スコットランドはグラスゴー生まれのシンガー、ドノヴァン・フィリップス・レイッチから取られており、実の本名は加藤秀明と言います。私と半分氏名が同じなのに、たった2文字でこの差は一体何なのでしょうか。

もう一人、蘭丸というミュージシャンがいます。ご存知「THE STREET SLIDERS」でギターを弾き、野良犬が吠えるようなフレーズをかき鳴らし、多くの少年にギターを持たせました。

1960年生まれ、チャボより10歳年下の蘭丸もまた芸名で、織田信長の小姓「森蘭丸」から付けられたそうです。本名を土屋公平と言います。

THE STREET SLIDERSは結成してから20年間、不動のメンバーで走り続け、その「リトル・ストーンズ」とも称されたブルースをルーツに持つ奥の深い音楽性は、時代を超えて今なお愛されています。結成は1983年、これは私の生まれた年なのですが、今まで32年間生きてきて、同バンドの曲名のように、野良犬にさえなれない私は一体何なのでしょうか。

さて、RCサクセションとTHE STREET SLIDERSという2つのバンドは、時を同じくして活動休止に突入します。そして、上述した2人のギタリストは、1991年に「麗蘭(れいらん)」というバンドを結成します。お互いが背負ったブルースに、2人はまるでリゾネーター・ギターのように共鳴し合い、どこかで聴いたことのあるような、しかし、決してどこにもない唯一無二の音楽を次々と生み出していくこととなります。

ブルースという言葉が出てきたので補足しますと、ブルースとは、アメリカの南部で発生した音楽で、12章節形式で綴られたブルーノート・スケールがどうとかこうとか……と話していると、
「何言ってんだテメェ! ブルースってのはよお!」
とか言いながら黒革の手帳をチラつかせ、音楽ポリスが助走を付けて殴りかかって来そうなので、ここでは音楽的な話は抜きにして「憂鬱」とか「気が塞いでいる」とか、そういうある意味「雰囲気」的なものとして使用していると捉えていただければ幸いです。

話を戻しまして、そのチャボと蘭丸という偉大なるブルースマン(もちろん、バンドメンバーも!)の真髄がたっぷりと楽しめる名曲が「今夜R&Bを・・・」です。

Reference:YouTube

曲中では、2人の音楽的なルーツであるさまざまなミュージシャン、曲名、ジャンルが列挙されていきます。以下、スタジオ盤に収録されているものを記載してみます。ライブでは、さらにたくさん登場します。

オーティス・レディング、サム・クック、テンプテーションズ、シュープリームス、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、サム&デイブ、ジェームス・ブラウン、ボビー・ウォーマック、クラレンス・カーター、キング・カーティス、O.Vライト、ルーファス・トーマス、カーラ・トーマス、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ソロモン・バーク、ドン・コヴェイ、ステイブル・シンガース、フォー・トップス、エディ・フロイド、ノックオンウッド、アーサー・コンレイ、スイート・ソウル・ミュージック、ジョー・テックス、ウィリアム・ベル、パーシー・スレッジ、バーナード・バーディー、コーネル・デュプリー、ネヴィル・ブラザーズ、ドクター・ジョン、カーティス・メイフィールド、アラン・トゥーサン、ボ・ディドリー、プロフェッサーロングヘアー、マディ・ウォーターズ、イマワノ・キヨシロウ、ロバート・ジョンソン、マジック・サム、ジョン・リー・フッカー、ジミー・リード、ライトニング・ホプキンス、B.Bキング、フレディー・キング、アルバート・キング、アルバート・コリンズ、バディ・ガイ、スティーヴィー・レイヴォーン、ビル・ウィザーズ、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、メンフィス・サウンド、バイ・サウンド、モータウン・サウンド、スモーキー・ロビンソン、ブッカーT.&MGs、スティーブ・クロッパー、グリーン・オニオン、ダック・ダン、チャック・ベリー、T・ボーン・ウォーカー、ブルース・ブラザーズ、ジョン・ベルーシ、リズム&ブルース……

申し訳ございません。並べたらまるで寿限無のようになってしまいました。

丸みを帯びつつも、野太いしっかりとした響きを奏でる早川岳晴のベースラインから始まる「今夜R&Bを・・・」は、夜の隙間を暖かい灯りが埋めていくように、音はゆっくりと辺りに広がっていき、その灯りに強調されて、ノイズがかったような憂鬱の影がチャボの歌声にそっと陰影を付けます。優しさと哀しさが一緒くたになって空間を漂っている。これをブルースと言わずして何というでしょうか。

チャボの口から次々と登場する、言霊のように空間を飛び交うルーツ・ミュージックの呪文は、その少しかすれた声のせいなのか、聴いたことのないミュージシャンですら、なんだか懐かしい気持ちに思えて来てしまいます。それにしても、こんなにもたくさんのルーツがチャボと蘭丸の血肉となり、リズム・アンド・ブルースを遺伝子レベルで取り込んで、ひとつの曲を紡いでいると思うと、まさに壮観です。

ところで、このルーツというものは、人が何かを創作することにおいて、非常に重要な役割を担っています。

なぜなら、人間はよほどの天才か気の狂った人でなければ無から有を創り上げることはできません。いや、天才だろうがアレな人だろうが、そんなことはほぼ不可能です。ただ、その昔サティヤ・サイ・ババという人が、手からビブーティなる灰を出すのをテレビで観た記憶がありますので、もしかしたらできるのかもしれません。たしか月刊ムーでも見ました。ですので断言はできませんが、少なくともサイ・ババを除いて、人間誰しも自分のルーツを基にして、知識や経験を自分の中でこねくりまわし、創作を行うしかないのです。

そして、ルーツにはもちろんルーツがあり、そのまたルーツも存在します。このルーツをどれだけ掘り下げられているかで、生み出されるものの説得力は大きく左右されます。

掘り下げたルーツが多ければ多いほど、引き出しは増え、創作に役立ちます。そして、音楽的、映画的、なんであれ、ルーツは共通言語としても役に立ちます。いくら年が違っても、それこそ人種が違ってもです。共通言語を介して、時に馬鹿話をしたり、一緒に創作したりして、人は人からさらに多くのことを学ぶのです。主に飲み屋で、たまに仕事で。そしてまた、誰かから学んだことを参考にして、未だ知らないルーツを掘り出し、興奮しながら紐解いて、自分に取り込み、創作の糧にするのです。

この、終わりのないルーツ探求の旅は、相当な胆力を必要とします。だとすれば、ルーツとは言い換えれば、“自分が本当に心の底から好きなもの”とも捉えられるのではないでしょうか。その好きという中には、もちろん辛い、嫌いといった感情も含まれます。そういったものを全てひっくるめて、これを探求しなければならない、やらなければならない、と何かに突き動かされて、時間と呼吸を忘れて熱中できることこそが、本当に自分のルーツとして心の中に存在しているものなのではないでしょうか。

チャボの相棒、忌野清志郎が生前にガンを告白した際にこう言っていました。

「この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できればと思います」

と、書いてて泣きそうになって来ましたが、清志郎が、ガンを自身のルーツである大好きなブルースに例えたように、チャボと蘭丸が、自分たちのバンドがヘヴィな状況に置かれている時、ルーツである大好きなミュージシャンや曲名、ジャンルを歌の中で列挙したように、きっと、人はブルースを背負った時に自分のルーツを反芻して、捩れてしまった心の芯をまっすぐにするのでしょう。そして、哀しみや憂鬱を笑い飛ばす力を得るのです。

嫌なことがあって、なんだか憂鬱な夜や、はたまた歌詞にあるように「なんだか昔と違う、夜の深さ感じる時」には、馴染みのバーの良く座る席や、自室の一番柔らかい場所に沈み込み、携帯電話の電源を切り、いつもより少しだけ良いお酒を片手に、自分のルーツを引っ張り出して、ブルースを蹴飛ばしながら、自分が本当に好きなものと一緒に、夜を過ごしてみてはいかがでしょうか。

最後になりますが、実は列挙したミュージシャンや曲名、ジャンルの中に、実際の歌詞の中に入っていない、私の大好きな、ソウルミュージシャンを1人忍び込ませてあります。もし発見できたなら、いつかどこかで、ぜひ一杯奢らせてください。その時は、共通言語を話しながら、一緒にあの古いメロディを聴きましょう。

「麗蘭」公式サイト

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