先日、現代の日本人が持っている、お化けや妖怪のイメージに多大な影響を与えたと言っても大げさではない功労者であり、また、忘れ去られそうになっていた日本人が本来持っていた精神性を、楽しく、解りやすく伝承してくれた水木しげる先生が霊界へと旅立たれました。ご冥福をお祈りします。
今回は、『ゲゲゲの鬼太郎』を観て育ち、妖怪に興味を持った1人として、その伝承の一助になればと、妖怪の中でも、ちょっとマヌケな妖怪や、さすがに編集段階でボツにできなかったのかと困惑してしまいそうな、面白い妖怪や怪異の類をご紹介します。
げに恐ろしき正体不明の山男。山操(やまわろ)
山操(やまわろ)とは、長野県西部の山奥に住んでいると言われている大男で、身長は約3メートルほど、江戸時代に書かれた随筆『想山著聞奇集』に目撃例が記載されています。その異形の姿たるや、真っ黒い大きな身体、赤い顔に茶碗ほどもある大きさの目が白く光っていたそうです。
これだけ聞くと相当怖いですが、上述した『想山著聞奇集』にある山操の絵はこちらです。
『想山著聞奇集』「山」(出典:Wikipedia)
「うぃーっす!」とキャプションを付けたくなるくらいのどうしようもない絵ですが、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に描かれている山操も中々趣があります。
『和漢三才図会』「山操」(出典:Wikipedia)
往年のギャル男雑誌『メンズエッグ』を彷彿とさせるヘアスタイルを気にしながら全裸でドヤ顔、「茶碗ほどもある大きさの目」は一体どこに行ってしまったのでしょうか。これを見た木こりは山小屋へ逃げ込み、3日間寝込んだそうですが、確かに何がなんだか解らなくて3日くらい寝込めそうな絵ではあります。
怪奇! 屏風の陰から情事を覗く。屏風のぞき
『今昔百鬼拾遺』によれば、屏風のぞきという、屏風の外側から人を覗き込む妖怪がいるそうです。秋田県のとある伝承によれば、結婚した男女が初夜を迎えようとしたところ、周りを囲んだ屏風の陰から、痩せた女性が長い髪を垂らしてまじまじとのぞき見していた。という恐ろしい事案が伝わっています。
そして、その時びっくりした男は、いきなり覗いてきた女にこう問いただしたそうです。
「どこから来たのだ」
そう尋ねると、その女は
「のぞき女です」
と答えたそうです。
『今昔百鬼拾遺』「屛風闚」(出典:Wikipedia)
馬鹿正直に答えるところは好感が持てますが、そもそも質問に答えていませんし、別に名乗れとも言われていません。
ちなみにこの屏風のぞき、多くの男女の行為を見続けてしまった屏風が付喪神(長い年月を経た道具などが不思議な力を持つこと)になったものであるという説がありますが、それを言うなら日本中のラブホテルは屏風のぞきだらけになっているはずです。「おかしなことが起きる」と、ちょっとした心霊スポットになっているラブホテルが全国にありますが、そういうことだったのですね。
哀しき嗜好の不一致。蛤女房
童話『鶴の恩返し』のような恩返し系の昔話にも、面白い妖怪が出現します。
その昔、ある漁夫の男が漁をしていると、それはそれは大きな蛤が穫れたそうです。
蛤は10cm以上のものが大きいとされる(出典:Wikipedia)
「ここまで大きくなるのは大変だったろう」
男はそう思い、蛤をリリースしてやりました。しばらくしたある日、男の元にそれはそれは美しい娘が現れてこう言いました。
「あなたのお嫁さんにしてください」
この辺りで常識ある人間は、詐欺か何かを疑うところですが、男はあっけなく婚姻を済ませます。女房となった美しい娘が作る、ダシの効いた料理は天下一品、特に味噌汁が絶品だったそうです。
しかし、嫁さんはなぜか料理をしている姿は絶対に男に見せません。このあたりは、鶴の恩返しと同じく、“見るなのタブー”ですね。
もちろん、物語的に男は女が料理をしているところをのぞき見てしまいます。すると、何ということでしょう。嫁さんが鍋に跨って激しく放尿していたのです。
ここで、この行為が男の守備範囲内であればまったく問題なかったのですが、男は
「そんな趣味はない!」
と怒って女を追い出してしまいます。聖水でダシをとっていただけなのに、三行半を突きつけられてしまった嫁さんは、海辺で泣いているうちに、元の姿をあらわします。それはなんと、男がかつてリリースしたあの蛤だったのです。
このような、よくある異類婚姻譚のひとつですが、その中でもなかなか趣味性の高いエピソードとなっております。
助けても竜宮城へは行けない。和尚魚
江戸時代の百科辞典『和漢三才図会』に登場する海坊主の一種と考えられている和尚魚は、スッポンに似た身体と、おっさんの顔を持った、ハイブリッドな実験動物のような出で立ちで、わたしたちを困惑させます。
『和漢三才図会』「和尚魚」(出典:Wikipedia)
大きさは約1.5〜1.8メートルと意外と大きく、捕まえて殺そうとすると、和尚魚は手を合わせて涙を流し、命乞いをするそうです。その光景を想像しただけで何とも言えない気持ちになってきてしまいますが、姿を見ると不吉なできごとが起こるとも言われています。
しかし、その場合は酒を飲ませて海に返してやれば良いとされています。どこまでもおっさんの和尚魚。「ゆるキャラ」という概念は江戸時代よりあったのかも知れません。
実は妖怪だった。山に木霊する山彦
ゆるキャラと言えば、妖怪業界でも、かなりのゆるさを醸し出しているのが山彦です。いわゆる山などで
「ヤッホー」
と言うと
「ヤッホー……ヤッホー……」
とこだまする現象も、かつては山の神や妖怪の仕業だと考えられていました。その山彦の想像図がこちらです。
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『百怪図巻』「山びこ」(出典:Wikipedia)
『画図百鬼夜行』「幽谷響(やまびこ)」(出典:Wikipedia)
どちらも腕の角度にかなりの拘りがあるようです。岩山にひとりぼっちで座りながら、誰かの声を待っているような、寂しげな佇まいが胸を打ちます。
ちなみに、「こだま」は木霊と書きますが、これは樹木の霊が呼びかけに応えて返しているということからきています。日本人が古くから持っている精神性を感じられる言葉ではないでしょうか。
本当にどうもこうもない。どうもこうも
熊本県八代市の松井文庫所蔵品である妖怪絵巻『百鬼夜行絵巻』には、どうもこうもという名前の妖怪が登場します。
残念ながら、どのような、何をする妖怪なのかは一切分かっていません。と、これで説明は終わりなのですが、問題の絵をご覧ください。
『百鬼夜行絵巻』「どうもこうも」(出典:Wikipedia)
どうもこうもありません。
石は夜、慟哭する。夜泣き石
日本人が古くから信仰の対象としてきた代表的なモノといえば石ですが、もちろん、石や岩、つまり鉱物に関する伝説や怪異も多く存在しています。
見出しの夜泣き石とは、石から泣き声が聞こえてきたり、夜泣きが収まったりという類のもので、静岡県の小夜の中山夜泣き石、京都の八坂神社などが有名ですが、石が夜に泣き声を出したり、赤子の夜泣きが収まるのは、「音がなる石」界ではまだまだ序の口です。
『狂歌百物語』「夜鳴石」(出典:Wikipedia)
たとえば、岡山県の鏡野町にある杓子岩と呼ばれている石は、道行く人にいきなり
「味噌をくれ」
と言って杓子を突きつけたという伝説がありますし、香川県まんのう町の山中にある「オマンノ岩」に至っては、近くを通りがかる人がいると、岩の中から老婆が突如現れ
「おまんの母でございます」
と自己紹介をはじめるという、かなりトリッキーな伝承も存在しています。
どこかで聞いたことのあるようなエピソードが光る。ぬるぬる坊主
最後は水木しげる先生が名付け親だと言われているぬるぬる坊主です。その昔、とある男性が海岸を歩いていたところ、沖合に不思議なスタイルの怪物が居たそうで、もうこの時点でおかしいですが、「ありゃ何だべ」と思って見ていると、その怪物はおもむろに上陸し、男にもたれかかってきたそうです。
もたれかかれる前に逃げればいいのに。という胸のもやもやはさておき、力自慢(自称)の男はなんと、果敢にもその怪物を投げ飛ばそうとしますが、全身がぬるぬるしており、掴みどころがないため四苦八苦。なんだか数年前に何かのニュースで聞いたような話になってきました。
水木しげるロード「海坊主(ぬるぬる坊主は海坊主の亜種)」の像(出典:Wikipedia)
格闘すること幾年月、ついに怪物の方も疲れ果て、男は見事1本勝ちを収め、そのまま怪物を引きずって帰り、自宅に生えていた木に括りつけて悦に浸っていたそうです。
翌朝、見世物と化したぬるぬるの怪物を見物に集まった近隣住民でしたが、誰も怪物の正体が分かりません。そんな中、90歳を過ぎた村のご意見番が
「こりゃあれじゃよ。ぬるぬる坊主じゃよ」
と断定して一件落着。正直、ゾンビ映画よろしく、実は人間が一番怖いという伝承です。
ちなみに、なぜもたれかかって来たかについては、ただ単純に身体が痒かったので全身の脂を相手に擦り付けようとしただけ。という単純な理由でした。悪気はないのに見世物にまでされてしまったぬるぬる坊主の心中は、いかほどだったのでしょうか。
妖怪は後世に語り継ぎたい日本の文化である
このように、世の中には怖い、恐ろしい、背筋が寒くなるような話だけではなく、どこか間抜けな、面白い、くだらない妖怪や怪異の類もたくさん存在しています。ひとつひとつ特徴があり、似てはいても同じものは決してありません。まさに人間と同じです。
そして、その特徴やエピソードは、日本人が昔から持っていた考え方や宗教観、自然に対する畏怖などを如実に表しています。
ここ数年でも、『妖怪ウォッチ』などにより、妖怪ブームは再燃していますが、伝承はそれを伝える人が居なくなった時に途絶えてしまいます。赤い猫の地縛霊も良いですが、往年のマイナーな妖怪たちも、共に後世に語り継いでいきたいものです。
もしかしたら、わたしたちも数百年後には、何らかの文献に「スマートフォンという妖怪に取り憑かれた人々」という挿絵とともに紹介されているかも知れませんね。