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カンボジアの野菜文化をレポートします

笹本愛子 笹本愛子


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私はアメリカが好きだ。何故かはよく分からないが、日本に暮らす我々の中で、アメリカ好きを自称する方はあまり多くないかもしれない。だが私は恐れずもう一度言う。私はアメリカが好きだ。正しくはカリフォルニア、いや北カリフォルニアがとても好きだ。
 

私にとっての遅くきた青春時代・20代半ばを北カリフォルニアで過ごしたせいか、その頃の出来事は今の自分に大きく影響していると思う。北カリフォルニアの至極リベラルな時間を通し、様々な価値観が植え付けられた。(正しくは、自分の自由奔放さを正当化するために、積極的に採用していった)そんな様々な価値観のうちの一つが、野菜への愛だ。
 

私が暮らしていた街では、毎週2回ファーマーズマーケットが開催される。ファーマーズマーケットと言うと、あの表参道・国連大学前で開催されるVERY妻の縄張り的野菜市を想像されるかもしれない。(VERY妻の「べ」の字すら分からない私も、大好きなのであるが)そんなシャレオツな野菜たちが肩を並べる表参道とはまた違った顔を見せる、私の馴染みであったファーマーズマーケットであるが、当時北カリフォルニアかぶれしていた私は、カリフォルニアンな美味い野菜を求め足しげく通った。
 

「この野菜何て言うの?」

「ケールだよ。今がちょうどシーズンだから、苦みがあってうまいぜ」

「ヘーそうなんだ。どうやって調理するとおいしい?」

「そうだね、俺ならベーコンをまず炒めて、その油と一緒に炒めちゃうぜ。そうするとすごく美味いんだ」

「オーライ、じゃあそのケール、1パウンド分ちょうだい!」
 

当時、ケールとは何者であり、1パウンドがどれ程の量か全く見当もつかなかった。ただ純粋に、『ファーマーズマーケットで有機野菜を買い、ファーマーと気さくに話もしちゃったりする、北カリフォルニアに生きるアジア人のワタシ』像に陶酔する、若かりし頃であった。
 

その野菜好きが功を奏したのか、はたまた度が過ぎたのか、今では日本や開発途上国の野菜づくり・穀物づくりに熱を上げている。私が暮らすカンボジアにも、素晴らしくかっこいい野菜たちが多く存在する。ダンディズム120%のおやっさんが栽培した、無農薬・無化学肥料のゴーヤ。あのパステルカラーな黄緑色、苦みの奥にある甘みは、頭で思い出すだけでも口の中にその味が広がる。そんな美味さと農家さんのパッション溢れる有機農作物はまだ限られた数しか流通されていないが、確実にその需要は高まりつつあり、それに応えようとする農家も増え始めている。
 

しかしながら、カンボジアには「道の駅」のような直販所や、「おいしっくす」的イケてるネットショッピングサイトは残念ながら未だ主流ではない。代わりに、ミドルマン・仲買人と呼ばれる人々を介し、消費者の元まで届けられる。ミドルマンは農家の畑まで出向き、作付け期前には

「今年はこんな新しい種子ありまっせ」

などと種子や肥料などを売る。収穫期が近づくと、

「きゅうりの発育はどないでっか。買取りまっせ」

とそろばんを弾く。大きな街から離れた農村地帯に暮らす農家にとって、このミドルマンの存在は大助かりであり、不当な取引をさせられることも、他の発展途上国諸国と比較して少ないように感じられる。しかし、せっかく丹誠込めて育てられた美しくかっこいい野菜たちも、ミドルマンに買取られたら最後、他の薬物中毒野菜と一緒くたにされてしまう。そして、地方都市や首都圏で販売される。
 

カンボジアで野菜流通に精通している方にお話を聞くと、

「この国は大きなマーケットで野菜を仕入れると、〇〇産ってのが言えなくてほんと大変なんだよね〜。それが言えれば、もっと別の付加価値がつくと思うんだけどね〜」

そうおっしゃられる。野菜の品質の振れ幅が大きいこの国では、美味しく安全なものは日本産にも負けず劣らない一方、そうでないものは一体どこで誰がどのような育て方をしたのか、見当もつかない。

 

今年末、東南アジア版EU「ASEAN経済共同体」が発足し、2018年までに域内関税は基本的に全て撤廃される予定である。カンボジアもご多分に漏れず、この共同体の一員である。近い将来、野菜の市場競争はより激化し、そのトレーサビリティを高めることは困難となるであろう。

これをピンチと捉えるか、チャンスと捉えるか。野菜を「おいしい」ものとするか、「おそろしい」ものとするか。決めるのは君だ、カンボジア!

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