大事なことほど注釈にされる
「注釈」とは、基本的に本文のとある範囲の内容や意味を補足説明するためのものです。しかし通販広告などで見られるいわゆる「注釈」では、回りくどい・踏み込んだ表現の緩衝材(逃げの材料)としての役割も同じくらい果たしています。
しかも薬機法(旧:薬事法)や景表法からは逃げられませんので、そこで表現の変更が余儀なくされた場合に、逃げるための理由としてもしかり。つまり、説明的になる要素はすべて注釈に委ねるという感じです。機会損失は避けたいのでユーザーが興味を持ってくれるようなストーリーのままで突っ走りたいですからね。
「契約書」なんていわれるものにも通じることですが、大事なことほど注釈にされる傾向にあります。これを卑怯と捉えるか親切と捉えるか。これは提供側と提供される側で違ってきますが、個人的には“どっちも正しい”と言わせてください。
大事だから注釈で補足するんです。ここはホント。
でもめんどくさい。みんなめんどくさい。好きな人なんていないと思う。でも大事なことは大抵めんどくさいものです。