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村上春樹『騎士団長殺し』はマグロの解体ショーだ

岡田麻沙 岡田麻沙


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名前の意味:免色渉は哲学的ゾンビ

「免色渉」という奇妙な名前が意味しているのは「哲学的ゾンビ」だ。このことは、少し後で登場する重要キャラクター、騎士団長の正体が「イデア」であることからも推測できる。順序が逆だが、まず騎士団長の方からいこう。イデアとは何か? 騎士団長の口癖「あらない」をバラせば、答えは出る。

あらない = 「在る」 + 「ない」

イデアは、「ある」と「ない」をつなぐものだ。騎士団長は自分で「イデアは他者による認識なしには存在し得ないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在するもの」だと言っている(第2部、P.119)。これはめっちゃタマシイっぽい

だいたいイデアとか最初に言い出した哲学者プラトンは、タマシイとか信じちゃってる系の男だったから、「人がものを考えている時って、生まれる前にいた世界のことを思い出しているに過ぎないんだぜ」とか、かなりロマンチックなこと言ってる(『パイドン(プラトン著、岩田靖夫訳、1998、岩波文庫)』)。イデアはあの世と密接にかかわる概念なのだ。イデアはタマシイっぽいねばねばとした何かで、この世とあの世を繋ぐもので、生者と死者をつなぐものなのだ。

さて、免色渉の件に戻ろう。イデアの「認識する」って話と似たようなやつで、「クオリア」という概念がある。誰かが赤いものを見て、「赤いなあ」と感じているとき、その赤さが他の人と同じ赤である保証はない。他人になることはできない、私は私しか体験できない。これがクオリア問題のポイントだ。

「色を免れる」という意味を持つ「免色」という名は、この赤の赤らしさを認識していない、タマシイの抜けちゃったような人という意味だ。「渉」は「経過」という意味があるから、「免色渉」は「今ちょっとタマシイ抜けちゃった感じの人。言うなれば哲学的ゾンビ」ということになる。そうやって見ていくと、主人公は哲学的ゾンビである免色さんに、どうにかしてタマシイをインストールしようとあの手この手を尽くしているようにも見える。

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