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村上春樹『騎士団長殺し』はマグロの解体ショーだ

岡田麻沙 岡田麻沙


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2017年2月24日、村上春樹による7年ぶりの長編小説『騎士団長殺し』が刊行された。1ヶ月が経ち、既に多くの書評が世に出ている。

今あらためてここで何かを語れる余地は、そう多くない。だから、32歳・無職系ライターの私は、大人げないことをしようと思う。作品解釈だ。凡人の気安さを利用し、作家や作品の意図にズカズカ踏み込んでいこう。盛大なネタバレもする。『騎士団長殺し』は、展開を知ってしまったからといって面白さが半減するような小説ではないが、まっさらな状態で本を読みたい方は、どうかご注意いただきたい。

『騎士団長殺し』は、タイトルが与える印象の通り、奇妙な小説である。主人公が「顔のない男」の肖像画を描こうとする場面から物語は始まる。まずはあらすじを紹介しつつ、世界観を整理していこう。

ルネ・マグリット「人の子」1964


出典:Wikipedia

『騎士団長殺し』の舞台≠この世

この物語の主人公は、妻にフラれたばかりの男性である「私」。36歳、職業は画家だ。一度妻にフラれて離婚し、再び同じ女性と結婚をする。いわゆる「モトサヤ」である。二度目の結婚までには9ヶ月余りの独身期間があり、そのときに起きた一連の出来事が舞台の中心となる。

離婚中の状況を、「私」はこんな風に振り返る。あのころは、「ものごとの軽重や遠近や繋がり具合が往々にして揺らぎ」「論理の順序が素早く入れ替わってしまう」(第1部、P.15)状態だった、と。全部壊れてるやん。いくら主人公がナイーブだったとしても、ショックを受けているにもほどがある。

これは、当時の主人公が肉体を持っていないことの暗示である。物理法則がぶっ壊れているのは、「私」がいたのが<死後の世界>だったからだ。村上春樹は、二度の結婚生活のことを「前期と後期」(第1部、P.15)とわざわざ言い換えている。「現世と来世」「前世と現世」をイメージさせる表現である。

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